2011年8月31日水曜日

夏の終わりに思い出す事




仕事で物を選んだり、あるいは“もの並べ”をしていて、つくづく感じるのは、およそ40年も前に、自分が経験した出来事の大きく強い影響です。その中心にあるのは、1972年の一夏、およそ50日にわたって「倉敷民藝館」で臨時職員として働いた折りに、そこで自分の中にすり込まれたと思われる、物(ここでは、民藝品と言っていいかもしれません)を通じて得られる、一種の“生理的な喜び”の感覚です。
これは美味しい物を食べた時などに感じる喜びと極めて近いものであって、言葉で説明するのが難しく、一般的な知識の様に本を読んで得られるものでもなければ、また他人が容易に追体験出来るものでもありません。ただ、同じ喜びを知る人間同士が、その物を前にして喜びを共有出来るだけです。私にとって、そんな貴重な50日の機会を与えて下さった方が、これからお話しする外村吉之介(とのむらきちのすけ)先生です。先生については、すでに私のブログの中でも、数回触れました。重複しない様に気をつけながらお話してみます。

最初の出会い(1972年春)については、すでに書きました。その年1972年に、朝日新聞社から濱田・芹沢・外村三人の共著という形で「世界の民芸」が出版されます。これは、「週刊朝日」のグラビアページに連載されていたものを一冊にまとめたもので、その出版を記念して、5月頃だったと記憶していますが、「日本橋・三越」で本に紹介されたものを並べた展覧会があったのです。会期中の一日、会場に出掛けて展覧会を見ていると、なんと会場に先生がいらっしゃるではありませんか。その時の嬉しさ。さっそく御挨拶をし、御話ししている中に「夏休みに、倉敷にいらっしゃい」と云う話が出て、その一夏を倉敷民藝館で過ごす事になるのです。

さて、布団や身の回りの物を東京からチッキで送りなどした後、倉敷に着いて用意された下宿に行って見ると、民藝館と縁の深い写真家の中村昭夫さんの隣家・玉井さんの御宅の物置です。窓は小さく、しかも物置の外には中村さん宅のクーラーの室外機があって、容赦なく熱風を吹き出しています。扇風機は用意されていましたが、暑いのなんの。その上、瀬戸内海沿岸部である倉敷は、夕方から夜中まで風が止まる(瀬戸のベタ凪)のです。夜、陽が落ちたあとも蝉が鳴いているのを聞いたのは、この夏の事です。でも、苦にならなかったのは、若かったからと云うより、それに倍する喜びの日々であったからだろうと思います。臨時職員としての仕事は、草取り、受付、館内掃除、他に展示替えの手伝いなど。当時、民藝館には受付その他で女性が二人、掃除のおばさんのKさん、そして学芸員職のMさんの4人がいて、人手はおそらく足りていた筈です。私のやるべき仕事を見つけるのが、大変だったのかもしれません。まるまる50日の手伝いの終わり近く、先生のお供で出掛けた岡山からの帰りのタクシーの中でのやり取り、2009年7月1日付“30年目の御挨拶”も、すでに書きました。終わって、東京に引き上げる時に頂戴したのが、写真に載せた先生のサイン入りの「世界の民芸」です。これは、いまだに私の物を見る際の大事な道標(みちしるべ)になっています。

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