2018年9月23日日曜日

「喜びのたね命のかて展」始まりました。

ボンベイのアパート
マット装の更紗布と絞り布

昨22日、「喜びのたね命のかて展」が始まりました。1986年「用美社」刊の「旅の歓び」の原画20点と工藝関係の書籍などを並べて、見て頂く催しです。原画のうち、5点を額装し、その内3点はマットも大きいサイズに改めて、バランスが良くなりました。
昨日は定時15分前に店にたどり着いたら、シャッターの前に顔なじみの岡山のOさんが待っていらっしゃいました。人が並ぶ(たとえ一人でも)のは、まことに久し振りでもあり、大変嬉しくなりました。ただその後が大騒動で、ザックに入れた筈の店の鍵が見つからないのです。店に来る前(昨日は電車でした)、昼飯用に買い物をしたスーパーで、店に到着後、鍵を開ける際にザックを降ろさずに済む様、わざわざ鍵用袋から出しカウンターに置いたまま忘れているのです。思い出し、急いで戻って事なきを得ましたが、冷や汗三斗でした。

階段下から二階踊り場に掛けて

さて、今展の「もの並べ」はご覧頂く様に、なかなか見応えのあるものになりました。書籍類も、珍しいものから買って頂き易い値段のものまで沢山あります。特に、柳宗悦関係の書籍は、出版年度の古いもの、そして多くは芹沢銈介の切り文字を使った美しいものが多いのです。勿論、薮庭の花も入りました。

「水上の宮殿」と「ポストと老人」
「手相見(ボンベイ)」と「タイトル文字」
「西瓜のある静物」
「鳥かごを持つ男」と「行人」
書籍類

2018年9月10日月曜日

「喜びのたね 命のかて」 展のご案内


この10年近く、「秋分の日」をはさんで八女の福島八幡秋祭りの時期に合わせて、「高橋宏家」「同家土蔵」等で開催して来た催事を、今年はお休みいたします。来年はまた八女で皆さんにお会い出来る様に念じながら、より一層愉しい催事が出来る様に計画中です。その代わり、平尾の店の2階で前期が9月22日から30日迄、後期が10月13日から21日迄の二期に分けて「喜びのたね命のかて」展と題し、柚木沙弥郎作「旅の歓び」の原画と工藝関係の書籍を集めた会を開催します。出品作や書籍類の詳細は、後日ご案内いたします。


「話しの種」「飯の種」等の様に、「何々の種」と言う言い方の「種」とは、大方、材料とか手立てという意味合いで使われている言葉です。今展のタイトル名「喜びのたね 命のかて 展」は、あまり聞き慣れない、その意味で、いかにも未消化な言葉です。いわば、思いつきに近い言葉を、改めて皆さんに言葉を使って説明する事自体に無理があるのです。かといって、即物的に中味を説明する言葉を並べてタイトルにするのも、気に入りません。しいて言えば、自分が何を仕事の拠りどころにし支えにして、毎日を過ごしているか、これを皆さん方に見て頂く、そんな展観です。柚木沙弥郎という染色家は、若い頃から私の憧れの染色家で、驚くべき事に95歳を過ぎた今でもお元気で、現役の作り手です。その柚木さん60代半ば頃のお仕事の一つが、’86年に「用美社」から刊行された「旅の歓び」で、今回出品の原画は型染めの仕事の前の、一つの手掛かりとして描かれた編集用の原画です。今回それをマット装にし、工芸関係の書籍ともども皆さんに見て頂く事を思い立ちました。写真の書籍類タイトルの切り文字は柚木沙弥郎の師匠の芹沢銈介の手になるものです。小さい展観ですが、師弟競演になる訳です。どうぞ、お出掛けの上ご覧下さい。

2018年9月3日月曜日

忘れられないもの 42 佐々木志年の料理

E • ヒューズ作 黒釉スリップの大皿に手まり寿司

仕事を始め、過ぎて来た40年の時間の中で、私にとって「味覚の世界」の恩人を3人挙げよと云われたら、珈琲の世界の森光宗男(もりきつむねお)(故人)を番外として、まず、見田盛夫(みたもりお)、本名、菅原皙(すがわらてらす)(故人)。フランス料理の評論の世界で「味覚」と云う感覚的な世界に、著書や料理人との対話を通して「言葉」を与え、フランス料理の世界に大きな貢献をした人。学生時代からの知人で、仕事を始めてからは色々なものを買う事で私を助けてくれた人。その点でも恩人です。

次に、吉富等( よしとみひとし)。煮切った醤油数種を使う「江戸前」の寿司が基本ですが、烏賊(いか)に雲丹(うに)、鱧(はも)に梅肉を合わせたり、冬であれば唐津近海産の小粒の牡蠣を使ったり、また茗荷や赤蕪などの野菜を寿司種に使う等の工夫で、美味しい寿司を食べさせてくれます。ほぼ同じ時期(’79年5月)に仕事を始め、一人で寿司屋など入った事がなかった私に、一人で寿司をつまみ酒を飲む、楽しみを教えてくれた人。突き出しに「白子」(何のものだかは失念)が出て来て、口に入れるととろける様で、つい、銚子を一本注文してしまったりした事もありました。

手まり寿司の乗る自作の大皿を持つ
エドワード、嬉しそうに見えます
奥に、佐々木志年と奥さんの静子さん

最後が、佐々木志年(ささきしとし)。知り合った時は20歳で10歳近く年下ですが、感覚的に早熟で、絵や書も達者。仕事の、料理で使う道具(器)類に筋の通った品を多く蒐めていて、驚かされました。
あまねや工藝店を始めて数年経ち、個人作家の会などをやる様になってからは、その作り手の器に自分の持ち物である、古い時代の器類を交えて、味ばかりでなく見た目に美しい料理の数々で、参加した皆を喜ばせてくれました。私の「日常」の世界や「食卓」の味の物差しを作ってくれた人と言って良いでしょう。加えて「食事会」の時、細君が下拵えや配膳の手伝いという形で、具体的に佐々木志年の仕事に関わり始めてからと云うもの、我家の家庭料理の味を大きく変える切っ掛けを作ってくれた人でもあり、感謝しています。

「見田盛夫講演会」の折の会食時、
山本教行作瑠璃釉楕円大鉢に乗る
おにぎり二種と炊いたもの二種

小さい時から包丁を握る事は好きだった様で、小学校3年生の頃から病身の母親に代わって食事を作っていたと、本人から聞いた事が有ります。中学卒業後、市内の調理専門学校を経て、京都の「十二段家」で修行。その後、長崎の卓袱(しっぽく)料理を学ぶなどして独立。知り合って数年後、警固の筑紫女学園の近くに一軒家を借りて料理屋
「くらわんか」を始めています。その後、紆余曲折があって、もう一軒「料理屋」を作り、つぶして、「出張料理」という後年のスタイルで仕事を始め、手伝いの人にも恵まれて、ようやく安定した仕事が出来る様になっています。

鈴木照雄作の打掛け大皿のすずき

特に’90年以降、当店でも様々な人の「個展」開催の折に、二階を使って一席十二人で席を設け、常に満席と云う人気振りでした。佐々木志年が関わる様になった当店最初の催事は、1985年12月の第一回「出西窯の仕事展 <花を挿し菓子を盛る>」からで、この時は水差しを始め種々の器に花を入れ、色々な種類の菓子を出西窯の皿や鉢に案配よく盛り込んでくれました。本来の懐石料理の形で、料理を出す様になったのは山本教行さんの会からで、何を出してくれたやら全く覚えていませんが、自筆の「おしながき」に十二•三品が書き出され、催事によっては、部屋に軸を下げたり季節の花を入れる等の設えを終えた後、春であれば、塩漬けの桜の花を白湯(さゆ)に浮かべた桜湯から始まって、3時間位の時間の中で、向づけ、お造り、椀もの、
焼きもの、鉢もの、など様々な料理が出て来て、最後は季節の果物や菓子にお薄で締めくくる趣向になっています。ここで、’87年4月
29日の日付入「料理会」の「しながき」をご紹介してみましょう。

佐々木志年所有の金彩ガラス鉢

初かつお と題して、向づけ/ 赤貝 鮑 和布 菜の花 わさび 椀もの/ 飛竜頭 中国菜 きのめ 焼きもの/ 小鮎 よもぎ天ぷら 煮もの/ 筍 蕗 すけそうの子 きのめ 鉢もの/ かつを叩き芽しそ 穂じそ 針生姜 葱 防風 和えもの/ 蕨の白和え 筍の木の芽和え さより胡瓜の酢の
もの 御飯/ 青豆ごはん かうのもの/ 筍姫皮 蕗の葉 菜の花漬け 果物/ いちご 菓子/ 蓬もち 桜もち わらび餅 以上。
いまだに、献立の組み立てが新鮮で美味しそうです。
 
鈴木照雄作片口に清末の色絵のレンゲが並ぶ

これまでに、こんな形の「食事会」を催したのは、山本教行(やまもと
のりゆき)、柴田雅章、鈴木照雄、出西窯、沖塩明樹(おきしおはるき)、
エドワード•ヒューズ、ジョン•グラハム、高田青治、見田盛夫、山本まつよの諸氏が関係する催事の時で、外村先生にも山本教行作の楕円大鉢に盛り込んだ60ヶのコロッケをお出しして、喜んで頂いた事があります。私自身(ホストとして)、それらの席に連なるのが仕事の範疇でもあり、毎回12人の内の一人として、十二分に眼と口の幸せを味わった事を今も感謝しています。