2018年2月24日土曜日

第6回「森信也個展」初日

6回目になる「森信也個展」、初日の幕が開きました。会期は11日まで延長しました。久し振りで百子の花も入りました。花器は全て山本教行作。時間は12時から19時までです。

一階のぞきの花
一階階段下の花
二階正面の花
二階階段踊り場
二階の花

2018年2月23日金曜日

「森信也個展」明日から

明日24日から3月11日まで、皿がモチーフの「森信也個展」を開催。明日から、可能な限り森さんも在廊予定です。お出掛け下さい。

一階のぞき、岩絵具を使った
渋目カラフルな森信也の皿々
二階正面、紙に油絵具で描かれた
皿や鉢に盛られた野菜などなど
一階階段下
二階階段上
二階右壁
一階階段下

2018年2月5日月曜日

忘れられないもの35            富山みずえの歌による日本語


2017年年11月6日にアイレフホールを会場に行われた「森光宗男メモリアルコンサート」の事は、先月のこの欄「わすれられないもの  百子の花 」の中でも取り上げました。このコンサートの後半で、つのだたかしのリュートに伴われた富山みずえの歌により、16世紀イギリスの作曲家 J•ダウランドの「悲しみよとどまれ」他、同じ時代の英語の歌10曲が歌われました。中には、アメリカの二人組サイモンとガーファンクルの歌で私達が聴き知っているイギリス古謡「スカボロフェア」などもあり、私は大いに楽しめました。さて今回、私が皆様方にお伝えしたいと思っているのは、このプログラムの最後にアンコールとして歌われた、日本人作曲家 武満徹の作詞作曲による「翼」の、歌い手 富山みずえの声によって会場に姿を現した、産まれたばかりの輝きに満ちた日本語の美しさについてなのです。
ただ問題は、この歌によって現れた「言葉の美しさ」が、ある特定の時空間(2017年11月6日午後8時を過ぎた頃、福岡市中央区舞鶴のアイレフホール)の中にだけ存在していたものである事で、これを具体的に音として再現し、皆様方に聞いて頂く事は出来ないのです。従って、これから私が申し述べる事の真偽も、客観的にそれを確かめる術(すべ)はありません。しかし、これまで経験して来た事の中でも、取り分けくっきりと私の脳裏に刻まれ、忘れる事が出来そうにない今回の出来事を(言葉では充分に、或は全くお伝え出来ないとしても)せめてその出来事の輪郭なりとも皆様にお報(しら)せしたい、そう思ったのです。

その「翼」の歌詞を、ここで少しご紹介してみましょうか。

風よ 雲よ 光よ 夢を運ぶ翼 
はるかなる空に描く希望という字を 
人は夢見 旅して いつか空を飛ぶ 
風よ 雲よ 光よ 夢を運ぶ翼 
はるかなる空に描く自由という字を 

ポップス系の歌手tenが歌ったものや東京混声合唱団によるもの等、様々な演奏がこの曲にはあります。今回、特に歌詞に書かれた日本語に耳を奪われたのは、以下の理由によるものだと思われます。
まず、その歌が傑出した一人の歌い手(富山みずえ)によって歌われたものであった事。次に、伴奏がリュートという、決して声の前に出しゃばる事のない楽器によって巧みになされた事。そして、何より作曲家武満徹自身によって書かれた平明な美しさを持つ詞(ことば)と曲の魅力。この三つの事柄に加え、その場その時の何かが加わって、その「言葉」が現れ出たのだとしか言いようがありません。

幸いコンサートは満員になり、幾ばくかの益金も出て、その使い途を話し合う最後の世話人会の前に、以下の様な私信を他の世話人の方々に送りました。『‥‥コンサートの最後に、富山みずえによって歌われた武満徹の作詞作曲による「翼」の素晴らしかった事は、いまだ皆様のご記憶に新しい事と存じます。つのだたかしのリュート伴奏に導かれた富山みずえの声によって、コンサート会場のアイレフホールに放たれる言葉一つ一つの鮮明な美しさ。それは私にとって、あたかも瑞々しい言葉の誕生の瞬間に立ち会っている様な、真にたぐい稀な経験でした。実用的な道具としての言葉のやり取りを日常としている私の様な人間にとって、自分達が話す母語としての詞(ことば)日本語が、あれ程までに美しく、人の心の奥深くにまで届いて行くものだ、と云う事を久し振りで思い出しました。そこで、今回のコンサートの益金の使い途として、あの様な美しい声によって歌われた日本語を、中学や高校位の年齢の若い人達に是非聞かせたい、聞いて欲しいと強く思いました。<後略>』

残念ながら、今回、私の希望はかないませんでしたが、何時の日にかと願っています。