2009年12月31日木曜日

百子の花日記 30


12月31日。大晦日の花 ゆずり葉
ゆずり葉は春、新芽が出てから古い葉が落ちることが名の由来です。代を譲る葉であると示してありました。行く年来る年の両年の無事を祝う心でいけます。
 
常滑小壷 ゆずり葉

30日、年もおしせまって、お正月飾りの棒〆や鏡餅、うらじろ、ゆずり葉,橙、奉書紙、紅白水引等をそろえると、お正月を迎える心になります。今年こそ落ち着いて準備をと、思っていましたのに毎度のバタバタになってしまいました。路端で売っているお正月飾りの中に、枝の付いたゆずり葉を見つけましたので、この年に感謝を込めていけました。
 

百子の花日記 29 



12月29日。花生け2種 太郎庵椿 山茱萸の実 カラスウリの実

             枸杞の実

2009年12月28日月曜日

百子の花日記 28(番外編)


静子さん滞在中の食事あれこれ。 静子さんのご要望は「大根おろしをたくさん食べたい」との事で、朝食には普段の魚の干物や、卵のある風景に加えて、茶碗一杯の大根おろしが添えられる事になりました。
以前、息子が留学中のイギリスに出掛けた折の事、市場で巻きの固いキャベツや固そうな大根など、日本のそれと比較にならないほどの(大げさに言えばジャガイモの様な固さの)キャベツを買って、葉を一枚一枚丁寧に剝がしてゆがき、ロールキャベツを作った事があります。
その話を静子さんにすると、「よく作ったわねー」と驚かれました。イギリスの野菜類は、そのまま煮込み用というものが多かった様に覚えています。静子さんが風邪気味の時に、野菜を使った特効薬をお教えしましたが、イギリスでは生(なま)の蓮根は手に入らないとの事。日本では、色々な食材が簡単に手に入る幸せを思いました。

冬瓜のある朝の食卓。

風邪の特効薬。 皮付きのままの蓮根(節を入れて)、大根
各 厚さ2cm 、干し椎茸 3枚
水2カップ。これらを鍋の中で半量になるまで煮詰め、その煮汁を飲みます。どうぞ、お試しあれ!

2009年12月26日土曜日

百子の花日記 27



12月25日。メリークリスマス!2週間も遅れて生まれた孫娘ミワは、クリスマスベビーです。誕生を祝って、ヤドリギと南天を生けました。丈夫に育ってね!

メキシコ  吹きガラス蓋付き瓶 やどりぎ
山本教行作 灰釉しのぎ水差し  南天

ヤドリギは、W農園のIさんから頂いたものです。木に寄生する植物で、めったに手に入らない珍しいものです。Iさんは、リフトに乗って高い枝からこのヤドリギを採って下さいました。伐る時に樹液が出て、涙を流した様に思えたそうです。私もそうですが、「伐りますね」とか「伐らせて下さいね」と一声掛けて、伐ったそうです。そのヤドリギは、グリーンの真珠の様な珠を持っていて、その中に新しい芽を宿しています。そして1年で、わずか一節しか成長しません。

2009年12月25日金曜日

ミワの誕生


本日25日午前3時55分、娘の第2子「ミワ」が無事誕生しました。沙夜のときと同じく予定日よりも2週間近く遅れての出産で、ずいぶん心配させられましたが安堵しました。今日の午後、恒例の「誕生記念バースデーケーキ」を作りました。いちごで、MIWAと書きました。
写真を撮った後は、もちろん私達のお腹に、これまた無事におさまりました。

2009年12月24日木曜日

百子の花日記 26




11月30日。黄葉を集めて牛乳瓶の中へ。

牛乳瓶 いのこづち やぶからし 金水引 からすうり

12月1日。土鍋の蓋の中に置いてパチり。ニワトリ時計の脇に置いてパチり。生き生きとした山芋の葉と小菊の白とのコントラスト、それにウニのラベルのオレンジで粋な小品になりました。

ウニが入っていた小瓶 白小菊 鳴子百合の黄葉 山芋のつる

ニワトリ時計は、今泉の頃からAが小学校入学時にI叔母ちゃんから貰ったもの、もう一つのIのものは物置で眠っていますが、毎日コケコッコー ポン、コケッコー ポンで起こして貰い、我家とは25年以上の付き合いです。

2009年12月19日土曜日

百子の花日記 25


12月12日 小鹿田・坂本工窯新作展で花を入れました。品のある花入なので、別の花も入れてみたいものです。お正月の花はどうでしょう。

櫛描き筒花入れ 山法師の紅葉 初あらし 薩摩の野路菊

2009年12月18日金曜日

百子の花日記 24



11月28日 “文言之興”の会で花を入れました。

トルコ ピッチャー こばのずいな はつあらし
韓国 塩辛壷   やつで

2009年12月16日水曜日

東京から東北へ その9






朝7時過ぎに無事大阪・梅田のバスターミナルに到着。福知山線に乗り換えて、丹波篠山で仕事をしているHさんにお会いする為「篠山口」へ。Hさんとは初対面です。9月に丹波のSさんから送って頂いた、
阪急・梅田での催事「国画会・西の会」に、一般の部で出品していたHさんの切手大の写真に映っていた掛け分け皿の仕事が気になり、便りを出したのが切っ掛けです。

車窓から見る紅葉、また篠山に近づくにつれて霧の風情が美しく、1時間半ほどの列車の旅は楽しいものになりました。篠山口で降りると、まだ青年の面影が残るHさんが改札口で待っていてくれました。軽四輪に同乗して、早速仕事場に向かいます。母屋に入ると、小さな子達3人が「お帰りー」と出迎えてくれました。八畳ほどの座敷に招じ入れられ、奥様お手製のぜんざいとお茶を、後に餡と生クリームを添えた(記憶が曖昧になっています)美味しいスコーンを御馳走になりました。部屋を見回すと物の好きな人らしく、ナマコ釉のたっぷり掛かった楢岡の大きな片口や、福島(?)の物と云う石の手焙りの他、外には東北の堤のものとおぼしき大瓶などが据えられてあります。
丹波のSさんの住居は向かい側の尾根筋にあり、庭に出てみるとそれが小さく見えています。私も以前、何度か迷いながら辿り着いた事を思い出しました。

さて、2012年秋に福岡での個展を約してお暇するつもりでいた処、Hさんが大阪日本民藝館まで2時間程の路を車で送って下さる事になり、思いがけなく特別企画展「民藝の巨匠たち 濱田 河井 芹沢」を見る事が出来ました。今度の長旅双六にふさわしい、素晴らしい「上がり」になりました。

東京から東北へ その8





11月21日。東京滞在最終日でもあり、まだお訪ね出来ていなかったIさんの「I フォーク テキスタイル ミュージアム」へ。此処は、40年にわたるIさんのインド行きの中で集められた4000点にのぼる染織品の他、他の諸国の染織品を併せておよそ7500点のテキスタイルの優品を蔵する小さな美術館です。11月にオープンしたばかりで、数日前にはオープン記念で英国の著名な染織品の研究者 J・ギロー氏の「記念講演会」が行われたばかりと聞き、残念な気がしました。ところがお訪ねしてみると、参加希望者があまりに多かった為に、今日再び追加の講演会をやる事になったというのです。なんと運の良い巡り合わせでしょうか。受付で手続きを済ませた処に、4階のIさんの御自宅にとお招きがあり、J・ギロー氏、同夫人やIさん御夫婦のお昼の席に同席して、お寿司をたくさん御馳走になりました。

さて、講演会は30人ほどの人が参加して、会場の美術館に並ぶ品々についてギロー氏が短いコメントを挟みながら進められて行きました。2時間ほどで話が終わって、「トランクショー」なるものが始まりました。私は初めてでしたが、ギロー氏が現地で集めてきた様々な染織品を、一種のオークションにかけるのです。値段はあらかじめ決められた値段、希望者が重なれば「じゃんけん」で落札者を決めると云うわかり易いものです。私も2点買う事が出来ました。その後、渋谷で丹波のSさんと待ち合わせ、南青山の「アンデルセン」で夕食を御馳走になりながら、再来年の春にお願いする事になった個展の打ち合わせ、また昨年からSさんが審査をしている「日本民藝館展」についてのお話しなど、2時間ほど話をしてお別れしました。10時50分発の大阪行き夜行バスの出発時間にはまだ早かったのですが、駅で待つ事にして東京駅の八重洲南口へ。2時間半ほど待った後、バスで大阪に向かいました。寒い夜でした。

東京から東北へ その7






11月20日。今日は、朝から横浜のOさんのところへ。到着すると、倉庫を整理した際に出て来たという品を、いろいろ見せて下さいました。その中には仕事を始めて間もない頃、松本の「ちきりや工藝店」で確かに目にした覚えがある、タンザニアの胴に彩色をした大きな曲げ木の蓋物であるとか、ちょっと唐三彩を思わせるグァテマラの三彩平鉢などがあり、嬉しくて思わず時の経つのを忘れました。
お昼に美味しい中華そばを御馳走になったり、珈琲に甘いもので三時のおやつを頂戴したりしながら、結局4時頃まで嬉しい品選びを続けてしまいました。
午後5時に六本木の「S」でTさんと待ち合わせの約束をしている為に慌ててOさん宅を辞した後、乗り継ぎを何度かして無事に「六本木一丁目」で下車。しかし初めてお訪ねする場所でもあり、「S」がずいぶん遠く感じられて仕方ありませんでした。10分ほど遅れて「S」に到着。
長男は、到着済みで一安心しました。お店の方と御挨拶をしていると、外の椅子に座っていた細身の男性が店の中へ。その人が、Tさんでした。Tさんの作る「塑像」の展覧会を来春に予定している事もあり、実際の作品を「S」で見せて頂く事と、お互いに顔合わせをして御挨拶をする事が目的です。7・8点の作品を見せて頂いた後、下のカフェでコーヒを飲みながら話をいたしました。催事をやる際にお互いがやりたい事、あるいはどうしても譲れない事などを率直にお話ししました。このTさんの「塑像」の発見については面白いエピソードがあるのですが、それは来春の催事まで「お預け」という事にいたしましょう。

2009年12月14日月曜日

小鹿田・坂本工窯 福岡展 始まる








12月12日、今年も無事に小鹿田・坂本工窯新作展の幕を開ける事が出来ました。浦和展に比べると、“物並べ”についてはある定まった形以上の事が出来ないもどかしさはありますが、今年の出品作の中でも特に調子の良い数点の尺一寸皿、そしてこれから先につながる可能性の見える八寸や九寸の“いっちん”の皿の仕事、また形の安定して来たしょうゆ差し等、まずまずの成果をおさめる事が出来た年であったと思います。夕刻からは作者である坂本工さんはじめ、遠くは八女のTさん等も参加して下さり、15人ほどの人で賑やかにオープニングパーティーを開く事が出来ました。

2009年12月9日水曜日

美しい言葉


2005年11月から12月に掛けて、東京と大阪のデパートで行われたE・ヒューズ生前最後の個展の、案内状に添えられた文章(エドワード作・静子訳)は実に美しいものでした。これを彼自身の肉筆による原文の英語で読んでみたいと思った私は、エドワードの離日直前に、電話でそれを伝えました。しかし、翌春の彼の急逝によって、願いはかなえられぬまま終わりました。今回のヒューズ夫人・静子さんの来福で、ようやくその願いがかないました。

To change like a Tree ”と題された、その全文を御紹介します。

In a changing and uncertain world I am more than ever inspired and guided by nature and Mingei.
Living as we do in the English Lake District I am increasingly aware of the example of the trees around us, which are the same but new each year, as they slowly change in maturity and beauty.
To thrive and be healthy a tree must renew its leaves each year. Each leaf is similar but subtly and beautifully different. Each grows and finds its natural place on the tree, giving strength and vitality to the slowly changing and maturing tree.

Just as the leaves serve the needs of the tree, my pots serve the needs of everyday life. I try to make my pots as naturally as the leaves on a tree. My cups andsaucers, plates and teapots, like the leaves, seem to be similar, but each is crafted with individual care and attention, changing subtly each year as they are renewed in the service of our everyday lives.
I hope my work will mature like the great and beautiful trees around us, evolving naturally to give joy, pleasure and comfort in this ever changing world.
     
うつりかわる不確かな世界のなかで、自然と民芸に励まされ、導かれることがますます多くなりました。英国で湖水地方に住んでいるうちに、私たちを囲む樹木が意識のなかでだんだん大きな存在になってきています。木々は毎年同じでありながら、ゆっくり成熟して美しく、年ごとに新たです。 
生い繁り、健やかであるために木は毎年新しい葉をつけなければなりません。似通っていながら、一枚一枚、かすかに、見事に違って、それぞれに所を得て芽をだし、ゆっくりと成熟する樹木の力となり、生気をあたえます。 
木の葉が木の必要にこたえるように、私のやきものには日々の暮らしが働きの場、そこで私は自然に、木の葉のように作ろうと努めます。私が作るカップ&ソーサー、皿、ティーポットなどは木の葉に似て皆同じにみえますが、一つ一つ、心して作っています。日々の暮らしに役立つことでやきものは日ごとに新しく、そうして毎年少しずつ変化しています。 
周囲の立派な、美しい木々のように、私のやきものが自然に成熟しながら、やむことなく移り変わる世界のなかでよろこびや楽しさの源となり、心あたたまるものになってくれますようにと希っています。

2009年12月7日月曜日

イギリスからのお客様




2006年の春に53歳で急逝した、イギリスの陶芸家 故エドワード・ヒューズ夫人の静子さんが、2003年11月以来6年振りに来福。当夜11月30日に、エドワードや静子さんと顔見知りである10人程の人が集まり、店の2階で小さな歓迎会を開きました。
その後の一週間、彼女は我が家に滞在して、お喋りや散歩を楽しんだ後、昨12月7日、次の目的地東京へ無事に旅立ちました。仕事の上で自分が現在やっている事の意味、あるいは自分自身が抱えている問題などについて、普段あまり人と話す機会のない私にとって、静子さんの福岡滞在は“会話”を通して、それを確かめる絶好の機会でもありました。結果、自分が考えてもいなかった様な処から、自分の内面に光が当てられた様な感じで、私にとってじつに得難い経験でした。
話した内容そのままではありませんが、幾つかご紹介しましょうか。
まず、私が選んだこの仕事を通して望んでいるのは、富や世俗的な名誉よりも、自己の内に照らしてみて矛盾の少ない生き方、いわば“美しさ”を生き方に求める(こう活字にすると、かなり恥ずかしいですが)と言ったところ、それはきわめて伝統的な日本人の価値観そのものだと指摘をされたり、あるいは、私自身が仕事について持っていると思っている“確信”が実は“妄信”と、紙一重のものであって、危ういものである事。また、時代が変わっていく中で、本質を変えずに変化を指向して行く“適応”についても、日本人とイギリス人のそれらに対する考え方の違いを取り上げて様々に論ずる等、まことに興味深く面白い話が出来たのです。他人(ひと)と話をする事の意味と必要性を、改めて考えさせられた一週間でした。

2009年12月4日金曜日

百子の花日記 23



11月23日 久しぶりに庭の点検です。虫の卵が木や葉についていないか弱った草木が無いか丁寧に見て回ります。秋も深まって花も少なくなりましたが、色々な菊、紺菊などが残っていて嬉しくなりました。なごりの花々をいけましょう。
                                               
村松学作 ガラスコップ 小菊6種
山本教行 瑠璃釉花入れ くこの実 薩摩の野地菊 初あらし

2009年12月3日木曜日

百子の花日記 22 



11月16日 友人のE.Mさんから鬼柚子をいただきました。飾って楽しんだ後、大きめにきった豆腐を味噌仕立てにして柚子の皮をへぎって椀に浮かべ、香りのある美味しい味噌汁を頂きました。 そうそう、椿の初あらしも頂いて店の棚に飾りました。

2009年11月30日月曜日

文言之興の陶印から






前崎鼎之さんがお作りになった陶印の素敵な事は、すでに述べました。ここでは、その陶印の幾つかをご紹介しましょう。最初の三つは一文字の、「かぜ」・「あめ」・「そら」。「せつげっか」もよく目にする組み合わせですが、造形の力でしょうか、言葉につきまとう陳腐な感じからは逃れる事が出来ている様に思います。また最後の、「げんちゅうげん はくちゅうはく」も素敵でしょう!

2009年11月28日土曜日

“文言之興”始まる






書家・前崎鼎之さんの「鼎之鼎展(ていしていてん)」のうち、当店開催の“文言之興”(ぶんげんしきょう)が本28日始まりました。文学的感興を主題にした30以上に及ぶ陶印を元に作られた「印譜」を展観の柱に、220cm×240cmの大作「印土無心」(取り付けが大変でした。3人掛かりでサーカスまがいの事をやり、やっと据え付ける事が出来たものです)、そして9点の額入りの作品と3点の軸で構成された意欲的な書展です。陶印印譜の美しさは、類い稀なものです。感心しました。店のまわりの木々の紅葉もすすみました。お出掛け下さい。

2009年11月25日水曜日

東京から東北へ その6


今日19日は、“柳宗悦”生誕120年記念の展覧会最終日です。吉祥寺でいつもの“小ざさ”の最中を買い求め、それを手土産に駒場の日本民藝館に向かいました。小雨の中、最終日とあってすごい人出です。今回の記念展は柳の生涯を九つのテーマに分け、それぞれのテーマに沿って、それを具体的な物と資料とで“視覚化”する意欲的な試みです。民藝館の蔵品中“名品”と呼ばれる物が、ずらりと並ぶ見応えのある展観でした。ただ、いつもの民藝館とは違い、“生の資料”を扱う難しさも手伝っての事でしょうか、陳列が“説明”に傾き過ぎる感じが私には拭えませんでした。

東京から東北へ その5






冷たい雨の降る中、駅まで出迎えてくれた鈴木君の運転する軽トラックに乗って30分ほどの新しい住まい兼工房に向かいました。鈴木君は空き家になっていた茅葺きの民家を丸3年かけて自力で修復し、登り窯も移し終えた最初の窯焚き直前の昨年5月に「宮城県内陸地震」で被災。窯にひびが入ったり窯内の作品が壊れるなどして私を心配させましたが、今年2月に地元のギャラリーで、移窯後の初個展にこぎつけたのでした。さて、案内されて母屋に入ってみると、まず囲炉裡の部屋があり盛んに薪がいぶっています。母屋の右手の下屋の中が細工場で、薪ストーブを焚いて暖かくしてあります。部屋の7割ほどに板が張ってあり、私はここに泊めてもらいました。翌朝、目が覚めて母屋に顔を出すと、今朝はなんと素晴らしい天気です。陽に暖められて、地面や茅葺きの屋根からさかんに蒸気が上がります。明かり障子は開け放たれて、部屋を暖めるものは掘りごたつだけですが、とても良い気持ち良い眺めです。持参した土産の珈琲は、いつもの様に鈴木君が乳鉢でつぶし香り高く点ててくれ、トーストや野菜とともにいただきました。この時の私の失敗話を一つ。小皿にスプーンが添えられた白い粉末状のものが卓上にあり、私はてっきり砂糖だと思い込んでミルクを足した珈琲に入れて飲んでみると、これが塩っからいのです。飲んだ事はありませんが、チベットなどで飲むと聞いているバター茶もかくやと思われる、一種不思議な味でした。聞けば、同君は砂糖はほとんど使わないのだそうです。ところで、鈴木君の現在の同居人は、6歳の柴犬一匹、やぎ一頭、鶏一羽(狐に盗られるまでは三羽)です。大変な事が続いた後に、鈴木君に与えられた小王国。羨ましい様な暮らしぶりですが、誰にでも出来る事ではありません。12月の2週目に、仙台のデパートでの個展を控え忙しい日程の同君と、忌憚のないお喋りを楽しみ、昼頃に新幹線で仙台の宮城県立美術館へ。ここで、初めての「洲之内コレクション」を見た後、7時過ぎに無事東京へ帰り着きました。