2018年6月11日月曜日

忘れられないもの39 第1回 大澤美樹子個展

           
私にとって、昔から憧れの染色家は柚木沙弥郎(ゆのきさみろう)氏です。しかし、同世代同時代人としての染色家の筆頭は、なんと云っても大澤美樹子(おおさわみきこ)さんです。数年前、女子美術大学を退官された大澤さんの新しい御作を、昨2017年5月、新国立美術館の「国展」会場で一年振りに拝見しました。渋い茶と緑の二色で構成された注染(ちゅうせん)の大作でしたが、並みいる華やかな諸作の中で、はっきりした自分の切口を持つ素朴で強い表現に見えました。大いに感心し、大澤さんに宛て以下の様な購入の申入れを致しました。

大澤美樹子様 こんばんは。15日の「国展」最終日に会場に行きました。御作拝見。外来種や交配種の多い花畑で、数少ない原生種を見る思いの残る作品でした。また、少ない言葉で自らの思いをはっきり語った文章を読む様でもあり、久しぶりで、大澤さんの作品が欲しい、と云う気持ち抑える事が出来ませんでした。この路線で、お互い元気なうちに、もう一度「作品展」をやって頂きたいとも思いました。購入出来るのであればそうしたいし、一度で御支払いするのは無理かもしれませんが、金額を御知らせください。支払いが難しそうであれば連絡します。ご報告方々お願い迄。 川口拝 

しかし、時すでに遅く、先約(初日に岩立フォークテキスタイルミュージアムから)があり、希望はかなえられませんでした。

ギャラリー入口右側の壁面

ところで、大澤さんとの具体的な御縁は、1992年の「第一回 大澤美樹子個展」まで遡ります。前年、展覧会開催中の京都の画廊まで出掛け、拝見した上で福岡での個展開催をお願いしました。そんな事情もあっての事か、私自身の思い入れが強かった様で、当時、天神中心部に近い“西通り”傍にあった、NTTのEspace19(エスパストーク)を会場として一週間借り、案内状は初めてのカラー印刷。おまけに同時出品として、同年5月に終わったばかりの岩井窯 山本教行諸作品と、当時、愛媛県の山中(久万町)で廃校になった小学校を仕事場にして家具を作っていた、林栄一の松材の白木家具あれこれ。極め付けは、自家製の丸い銅板のマスクを被ったベニヤ板製のマネキン十体(これに染布を巻いたり留付けたりして、魅力的な着付けを担当してくれたのは友人の青砥このみです)と、友人で作曲家の清野謙三(きよのけんぞう)による環境音楽としての「大澤美樹子個展会場の為の音楽」です。

撮影は当時「珈琲美美」勤務だったSさん

“染色展”だから、染布を壁に下げてお仕舞いと云うのでなく、そこに幾つかの領域の表現を重ね、来て下さった方々に具体的で心地良いギャラリー空間込みの体験をして頂く事、そして家具や陶器を合わせる事で、そこに擬似的な生活空間を現出させる事など、後年八女の「高橋宏家」で行った試みと同じ(この時、自身四十代でもあり、もう少し積極的ではありますが)狙いだったのです。
記録的な売り上げの同展でしたが、私の思い入れによる無茶な出費がたたって、“大赤字”でした。しかし、私には未だに忘れられない素晴らしい展覧会です。

2018年6月2日土曜日

6回目の「村松学展」始まりました

本日が初日の「村松展」始まりました。朝早めに家を出、昨日し残した作業を終えて御客様を待ちました。盛況でした。やはり、花が入ると会場が見違える様に活き活きして来ます。不思議!ご覧下さい。

本日の二階正面並びに左右
村松ガラス諸作に入った花々

2018年6月1日金曜日

第6回「村松学吹きガラス展」始まります


明日6月2日から、6回目の「村松学吹きガラス展」が始まります。準備が出来ました。明日、花が入ります。お出掛け下さい。お待ち申し上げます。

2階正面
窓側
中央舞台

2018年5月26日土曜日

林竹二 授業三部作「開国」上映のお知らせ

© GROUP GENDAI
現在、あまねや工藝店二階で「子どもの本や」販売会を開催中です。最終日の明日27日午後5時から、第三代の宮城教育大学学長 林竹二が、1978年沖縄県那覇市の久茂地小学校6年生の子ども達を対象に行った授業の模様を、東京の映像制作会社「グループ現代」がフィルムに収めた記録映画「開国」を上映します。江戸末期、アメリカの提督ペリーの浦賀来航を手掛かりにして、国を開くとはどういう事か、を子ども達に問い掛けます。上映時間は108分、途中15分程の休憩をはさんで午後7時頃に終映予定です。終わった後、お茶を飲みながら、皆さんに感想を伺う時間を設けたいと思っています。

© GROUP GENDAI


2018年5月25日金曜日

「子どもの本や」販売会始まる

本日25日から27日まで、長丘にある「子どもの本や」販売会が始まりました。初日の今日は、お客様こそ少なかったものの、いらして下さった方々は、長い間井上さんと楽しそうに話したり、本を読んだり選んだりして、お一人当たり3時間以上も楽しんで下さいました。ありがたいこってす。どうぞお出掛け下さい。

一階のぞき
二階正面左右
二階窓辺、ご覧の様に大人向け
の本も沢山並んでいるのです

2018年5月11日金曜日

花あそび ー 薮庭流社中 ー 展 始まる


昨10日、「花あそび ー薮庭流社中ー展」が始まりました。前日、午後4時前に県外組二人に県内組一人が早々と到着。早速、二階会場で準備を始め、持ち込まれた大量の花材相手に、銘々が選んだ山本教行作の花入に花活けが始まりました。その後、メンバーが勢揃いして、途中、お茶の時間や食事休憩をはさんで、終了したのは午後9時半過ぎ。皆さんお疲れさまでした。さて、迎えた初日。開店前からのお客様等で、一階が片付かぬまま催事突入。その後も、お客様が切れず、賑やかな初日になりました。

二階会場に並ぶ花々
一階のノゾキ
吹き抜け壁にはドライフラワーのリース
活けられた花々と壁には山本教行作の陶板や硝子絵

2018年5月1日火曜日

忘れられないもの 38 もの並べ

会場写真

ここで云う「もの並べ」とは、私の仕事の「現場」であり大事な「舞台」でもある以下の場所、八女の旧「朝日屋酒店」、同じく「高橋宏家」、京都の「せんきた工藝店」や浦和の「柳沢画廊」そして「倉敷民藝館•特別展示室」等で、折にふれ、私が行(おこな)って来た催事毎の展示、並びに「あまねや工藝店」で季節の変り目や催事のたび、「のぞき」や二階会場に、その時々の展示物や出品物の納まりを案配(あんばい)して並べる事、を言います。
つい先日(2018年4月1日)終了した「中野知昭個展」の時も、この「もの並べ」をやりました。写真でご覧頂いているのはその時の様子です。考えてみれば、これまで40年近い「あまねや工藝店」の仕事の一つとして、催事の度におそらく延べで200回以上、様々な「もの」を並べて来た事になります。しかし、そこそこ「もの並べ」と云える様な案配が自覚的に出来る様になったのは、ようやくここ20年程の事です。以下に述べる様な、切っ掛けがあっての事です。

中野さんの諸作とR • ゴーマンの作品三点

「あまねや工藝店」で催しをやる時、それが大きな催事であれば、
一 • 二階に並ぶ品物のほとんどを取り払い、店の中を空(から)にした
状態でその催事の品を並べます。普段の、賑やかに物が並んだ状態に比べると、一人の作り手が作った物、或は催事用に選ばれた品々(東北地方の諸産品や出雲の焼物等)だけが並ぶ訳ですから、空間自体も並んだ物も真(まこと)に美しく見え、結果としてこれを見る人達に対する物の訴求力がいや増します。
これまで、六人の作り手(山本教行 • 柴田雅章 • 鈴木照雄 • エドワード•ヒューズ • 大澤美樹子 • 名取敏雄)の個展、また東京の当時「バザール岩立」と云っていた、岩立廣子さんの貴重なインドのコレクションの展示、そして出雲の「出西窯展」の時と盛岡「光原社」にお世話頂いた「北の手仕事展」の時に、それを行いました。それでも、全体として見ればさほどの数ではなく、これまでの39年で、回数にして20回程でしょう。

もの並べ前
もの並べ後、写真は2015年のもの

さて、1990年代の半ば頃だった様に記憶していますが、或る年の「山本教行展」の時の事。それまでの「山本展」では、作品は必ず前日までに到着する様に、トラック便で送るなり御自身で持って来るなりして準備し、一気呵成に「もの並べ」をやってしまうのが山本さんの常でした。そんな山本さんの手際の鮮やかさを、何処かで私は宛てにし、楽しみにもしていた訳です。ところが、その年に限って「 どうしてもその日は予定がたたず、伺えない。荷物を送るので、物を並べるのは貴方がやってくれ 。」とこう仰るのです。
さて、開梱(かいこん)はしたものの、大きな段ボール箱十箱分程の大量の作品を前にして、「さぁー、大変な事になった!」と途方にくれました。しかし、会の初日を翌日に控えた金曜日ですから、とにかくやるしかありません。細君と二人、一階と二階を行きつ戻りつして、少しづつ少しづつ展示作業を進めて行きました。それまでの個展の時も、値札のカードを書いたり花を入れたりして、帰宅が午前3時を過ぎる事は度々でしたが、この時はその時刻を過ぎても目処(めど)が立ちません。こうして、なんとか全ての作品を並べ終え準備が整ったのは、日を跨いだ初日の開店数時間前でした。
後日、会場入りした山本さんから、この「もの並べ」に対して合格点を頂戴し、ようやく自分の「もの並べ」に少し(本当に少し)自信が持てる様になったという訳です。


ところで、写真で見て頂いている「中野展」は、空いた壁に掛ける様な平面の仕事がありませんから、そこを埋めるのがなかなか難しいのです。考えて、アイルランドの画家リチャード•ゴーマンの不透明水彩(グアッシュ 中央の作品)一点と左右に二点の油彩を掛けました。掛けてみると、半ば予想していた通り、中野さんの漆器諸作と何処かで響き合う様な雰囲気が会場に生まれて、本当に嬉しくなりました。「もの並べ」の、これが醍醐味です。その上、初日に来て下さったお客様の一人が、ご自宅の茶室の茶掛けに使いたいと仰って、中央に掛かるグアッシュをご予約下さったのです。私には思いも寄らない嬉しい使い途です。配達がてら、R•ゴーマンのグアッシュが掛けられた茶室を拝見に行こうか、と思案中です。

2018年4月24日火曜日

「 花あそび ー 薮庭流社中 ー 展 」のお知らせ

唐津「あるところ」での課外授業
来る5月10日(木曜日)から20日(日曜日)まで、川口百子が教授する花活けのグループ「薮庭流」社中5人の、初めての展覧会を開催します。今回は薮庭の花に加えて、銘々が一種類の花を持ち寄り、それらを併せて、様々な時期に作られた岩井窯 山本教行作の花入れ(すべて販売)に入れて、皆さんにお目に掛けようというものです。他に、教室で作ったドライフラワーのリースも幾種類かご覧頂けます。普段の催事と違うのは、5月の教室の翌日の木曜日、10日12時から催事が始まる事です。どうぞ気をつけてお出掛け下さい。

案内状に使った花の写真は昨年11月6日
「森光宗男メモリアルコンサート」の時の
川口百子による舞台袖の献花。撮影は橋本文夫氏

2018年4月3日火曜日

忘れられないもの 37
建物としてのあまねや工藝店

今泉の店舗夜景。看板は古板、文字は鈴木召平。
雨仕舞い悪く、左手の押出窓下の木の框が腐って

取り替えた後、窓枠下部にステンレス製の水切りを
付けてくれたのは、イタリア文化センタードリ
アーノだった。イタリアで同じアルバイトをしてい
と云って、彼は前歯2本の間に開いた小さな丸い
(口中に小釘を頬張りその穴から小釘を押し出す、
為に穴が開くのか、開けるのか?)を見せてくれた。

1978年 春 。10年近く暮らした東京を引き上げ、一歳になったばかりの長男と妻の百子を連れて、母と伯母が暮らす太宰府に帰りました。この先、自分が工藝の世界と関わりを持ち続ける為、売り手という立場で「工藝店」を始める為です。
帰り着いて福岡の不動産屋数軒を廻り、安めの家賃と繁華な天神地区から比較的近いという理由で、< 福岡市中央区今泉二丁目五番十二号 >に建つ木造モルタル二階建の一階部分(十坪程)を借りる事にしました。しばらくして、店の裏に建つ、当時すでに築30年程の木造瓦葺き一軒家の半分、南西部分(二畳•八畳に台所と手洗付き風呂なし)を借りて住居(すまい)にしました。

今泉店舗室内 

これまで、自分の手で何一つ具体的な形を作る事が出来ていない、という負い目の様なものに背中を押され、店舗改装工事は可能な限り自分でやる事に決めて、道具類(鋸、金槌や電動工具類)を用意し、家族(母と妻)の手を借りて工事を始めました。
店の図面や技術的な実際面については、近所に住む詩人の鈴木召平
(すずきしょうへい)さんとの御縁でお近づきになったばかりの一級建築士 相原敏一(あいはらとしかず)さん(故人 後に幼馴染Sちゃんの尊兄だと判明)にお世話になりました。幸い(?)1978年の夏は、記録的な大渇水で断水が続き、そのお蔭で、水道工事も自分で出来ました。
終わってみれば、専門業者に依頼したのは電気工事と建具制作だけで、水廻りの設備から壁布貼り、そして店舗用の棚作りに至るまで、なんとか全ての作業を無事に終える事が出来ました。工事を始めて
10ヶ月が過ぎていました。
それから地上げによる立ち退き(1990年8月30日)までの11年間(自身の三十代)をこの店で過ごし、そして此処で培った縁(遺跡発掘のアルバイト)が、また平尾の店での仕事(福岡市博物館ミュージアムショップ)につながる事になります。

平尾店舗正面。看板は前崎鼎之作
真鍮板に銅板の切り文字

1990年秋に移転した平尾の店は、元の店から南東にまっすぐ
700〜800m下った辺りに、戦後間もなく建てられた古い木造二階建てで、表の壁は波板のトタン葺き。
一階は天井一面にプリント合板が張り巡らされた十坪の事務所スペースで、奥の引戸を開けると、古い板塀付きのブロック塀を巡らした陰気な感じのする一坪の半戸外の空間。
狭くて急な階段を上った二階は、畳敷きの六畳一間で、右奥に一間
(いっけん)の押入れと流しに手洗付の物件でした。

平尾店舗室内

これを、’80年代の半ば頃から店に出入りする様になっていた宮島豊さん(現在、札幌で「フーム空間計画工房 主宰)が、室内の天井部分や構造上問題のない壁や柱を全て取り払い、こちらの要望(例えば、一•二階の隣家との境、壁一枚向こうは隣家の居間でもあり、お互いの気配を消すための工夫として、一階にブロックの壁〈展示棚兼用〉、二階は物入れを作る等々)を聞きながら、師匠筋に当たる白井晟一
(しらいせいいち)の建築言語とも云うべき、木毛セメント板の天井、太い梁や柱、搔き落としのセメント壁、木製ルーバー、中央に真鍮のドアノブが付いた背の高い扉等々の材料•意匠を駆使し、細かく図面を描き現場管理をしてくれたお蔭で、敷地十三坪一杯に建てられた古家が、至極居心地の良い店舗空間に様変わりしました。店舗奥も文字通りの中庭にする為、知人で植栽を手掛ける坂井健雄さんにお願いして、夏椿やヤマコウバシ等の樹木数本を入れたり御影石(みかげいし)の敷石を配したりして、見違える様に気持ち良くなりました。

中庭を臨む
右手から見た平尾店舗正面
左手から見た平尾店舗正面
背高ノッポの正面扉

その後しばらくは、「あまねや工藝店」が宮島豊設計士のモデルハウスともなり、福岡近辺を中心に直接間接を含め10棟近くの住宅の成約実績につながる事にもなりました。その事に加え、’90年代から始めて店舗設計を含む空間計画や、環境音楽に関する講演会などを実施した(宮島さん、私を含む4人の仲間の)グループ名「フーム空間計画工房」が、札幌の一建築設計事務所の名として、主に北海道地域の皆さんに貢献し続けている事も、宮島設計士への大きな感謝と共に私のひそかな誇りとするところです。