2016年5月21日土曜日

5月催事のお知らせ その4〈 版のもの型のもの展 〉

やって来たもの展
本日21日から29日(日曜日)まで「版のもの型のもの展」と題して、5月最後の催事を行います。泰山金剛経石拓から芹沢銈介、柚木沙弥郎、大澤美樹子そして名取敏雄などの染色家の型染めやリトグラフさらにアートプリントなどを見て頂く催しです。そして同時に、4月後半10日間ほど出掛けた際、手に入れた品のあれこれを見て頂く「やって来たもの展」も同時に開催いたします。長いそして慌ただしかった5月の催事もこれで一段落、振替催事としては充実したものになりました。どうぞ皆様お出掛け下さい。以下は案内状の文章です。

「版」も「型」も、手の仕事を数に移す場合に用いられる技法として考えだされたものです。仏様や神様を木版に彫り刷られた「お札」や、渋で固めた和紙に型を彫り染められた唐草の「木綿布」などはその好例と言えるでしょう。15世紀のドイツに生きたグーテンベルグの名前を、彼の発明した「活版印刷」の名前と共に思い浮かべる方もあるかも知れません。人の暮らしと縁の深い工藝の領域の作り手達も様々な技法を駆使して、自分の仕事を数に移す工夫をしています。今展では、泰山金剛経の拓本やインドネシアのジャワ更紗、藍唐草の木綿生地や型紙、またインドの木版更紗の木型や李朝の菓子型等少し古い時代のものに加えて、芹沢銈介•柚木沙弥郎•大澤美樹子の型染め布や版の仕事など、おもに平面の紙や布に染め或は刷られた仕事を取り上げて、皆様方にお目に掛けようと云うものです。

一階のぞき
印度更紗に更紗の木型
益子で手に入れた鋳物の釜
名取敏雄型染絵の軸仕立
ジャワ更紗二点と柚木沙弥郎たすき紋リトグラフ
吹抜けに掛かる柚木プリント
柚木沙弥郎作型染めと
泥防染の印度更紗二点
インドチーク額に入る名取敏雄型染布
名取敏雄作型染絵
正面棚の様子
btanのあれこれ
名取敏雄作型染布とbtan製品
印度鉄額に入る名取敏雄型染絵

名取敏雄作陶額入型染と型染函
芹沢銈介作「心偈」型染
名取敏雄作型染絵

2016年5月17日火曜日

5月催事のお知らせ その3 福岡書芸院 書展
〈 書花茶 手紙 - あまねや工藝店と共に - 〉


本日17日(火曜日)から22日(日曜日)までの午前10時〜午後6時天神のアクロス福岡二階交流ギャラリーに於いて、福岡書芸院主催の書展「書 手紙 あまねや工藝店と共に が始まりました。
昨日午後3時過ぎ、たくさんの花と一緒に会場入り。あらかじめ運び込まれていた冊子「たんえん」連載の記事「わすれられないもの」所載の工藝品を、会場のあちこちに花と共に並べました。
本日は11時30分から、オープニングセレモニーの茶会があり、折尾で木綿の織物をなさっている中本扶佐子さんが茶を点てて下さいます。どうぞお出掛け下さい。

入り口付近、薬土瓶•函三種
韓国塩辛壷に入るコバノズイナ
入って正面 、越前の水甕やドゴンの梯子
会場奥、布が下がる付近が茶席
会場中央部、スペインの椅子
並ぶ編組品
編組品の向かいに土鍋やトルコピッチャー
左メキシコ土鍋 中トルコピッチャー 右ペルー土鍋
茶席の床、茶掛は外村吉之介自筆「無地極上」
会場奥の飾り棚、並ぶは「たんえん」掲載品
丹波 焼締甕に入るアジサイ
茶席掛け花、西川作品に入るオオヤマレンゲ
ペルー 素焼壷に入るアマリリス

2016年5月14日土曜日

5月催事のお知らせ その2
〈林竹二 授業二部作 上映会〉

1985年「民映研」第一回上映作パンフレット
昨年から、店の二階を使って「記録映画」を見る試みを再開しました。’85年頃から仲間数人で始めた「民族文化映像研究所」の記録映画上映会は、3回目を終えた辺りで女性の知人グループに引き継がれ、20年近く続きましたが、赤字が続いて撤退するしかありませんでした。この処、それらの16mmフィルムがデジタル化されると共に賃貸料金が下がって、利用し易くなった事もあり、今また日本のあちこちで上映会の企画が盛んになっている様です。そんな事情の中で、当店二階の上映会企画も復活した訳です。せめて、半年に一度と思っていましたが、それは困難で、ようやく一年一度のペースです。

奥に立っているのが川井田さん
明日15日は、グループ現代制作の「林 竹二  授業二部作」をご覧頂きます(午後1時開始1500円)。この映画は1977年、沖縄県那覇市にある久茂地小学校の三年生と五年生に対して林 竹二が行った二回の授業、三年生には「ビーバーの習性の観察」を通して、また五年生には1920年代にベンガル(いまのバングラデシュ)で発見された「カマラとアマラ」と言うオオカミに育てられた二人の少女の人間世界への復帰の記録を通して、「人間とは何か」を子供達に考えさせる授業の模様を映像化したものです。再視聴した昨年末、改めて良い映画だと思いました。林竹二は、1970年頃、宮城教育大学の二代目の学長として同大学に赴任し、バリケード封鎖中の大学に一人で入って、二度にわたる学生の自主退去(全国で唯一)を実現させて、「機動隊」の学内導入を防いだ(友人に聞かされるまで私も知りませんでした)大学学長として、また後に諸処の学校に出掛けて行った数々の授業の実践や、筑摩書房から出版された著作集を通して広く知られている教育者です。

今回は「グループ現代」のプロデューサー川井田博幸氏にお越し頂き、制作側から見たこの映画の意義などについてお話し頂く事になっています。ご参加をお待ちします。

2016年5月13日金曜日

5月催事のお知らせ その1 〈 本が一杯 〉


本日12時から、5月の最初の催事である「子どもの本や」販売会が始まります。昨夕、約十箱、その前に運び込まれたものと合わせて十五箱、の段ボール箱にぎっしり詰め込まれた本を持って井上さんが来店。全量を二階に運び上げた後、“本並べ”が始まりました。
私が店の一階で、前崎鼎之さん(福岡書芸院主宰)と17日から始まる「書 花 茶 手紙 ーあまねや工藝店ーと共に」の打ち合わせで失礼している間に開梱は終わり、8時頃には数百冊の本が二階に並びました。いつもながら壮観です。15日、日曜日までです。

二階に並ぶたくさんの本
踊り場もこのとおり
たくさんの絵本

2016年5月8日日曜日

四つのお知らせ


このゴールデンウィーク期間中、準備に忙殺されていた四つの催しのお知らせです。一番近いのは、当店二階を会場にして5月13日(金)から始まる「子どもの本や」販売会です。会期は15日まで。今年も沢山の面白い本を準備して、井上さんが店の二階で待っていて下さいます。どうぞ親子でお出掛け下さい。


また、販売会最終日の15日は当店二階を会場にして、グループ現代制作の「林 竹二  授業二部作」をご覧頂きます(午後1時開始1500円)。この映画は1977年、沖縄県那覇市にある久茂地小学校の三年生と五年生に対して林 竹二が行った二回の授業、三年生には「ビーバーの習性の観察」を通して、また五年生には1920年代にベンガル(いまのバングラデシュ)で発見された「カマラとアマラ」と言うオオカミに育てられた二人の少女の人間世界への復帰の記録を通して、「人間とは何か」を子供達に考えさせる授業の模様を映像化したものです。再視聴した今年、改めて良い映画だと思いました。
林竹二は、1970年頃、宮城教育大学の二代目の学長として同大学に赴任し、バリケード封鎖中の大学に一人で入って、二度にわたる学生の自主退去(全国で唯一)を実現させて、「機動隊」の学内導入を防いだ(友人に聞かされるまで私も知りませんでした)大学学長として、また後に諸処の学校に出掛けて行った数々の授業の実践や、筑摩書房から出版された著作集を通して広く知られている教育者です。


次に、17日(火)から天神のアクロス福岡二階会場で開催される「福岡書芸院」主催の書展「書 花 茶 手紙  ー あまねや工藝店と共に ー」のご紹介です。この会では、私が昨年四月から同院発行の冊子「たんえん」に連載している記事「わすれられないもの」所載の工藝品を会場に並べ見て頂くと共に、同所で行われる「茶会」で使用される道具類を当店が提供。また、書展開催を記念して制作された記念の冊子「日常」(主宰の前崎鼎之氏と私の共著)も会場と当店とで販売(500円)されます。私の担当部分は、主にこの「わすれられないもの」を少し短くつづめて書き直したもの。月末の「たんえん」の締切に加えて、この冊子の「書き直し作業」に手を取られ、三月頃から始めて今日も未だ最終作業の大詰めです。(5月8日午後3時、無事校了)


最後は、21日から当店二階を会場にして行われる催事「版のもの型のもの展」のご案内です。現在、京都の「せんきた工藝店」で行われている「版と型の仕事展」に、ものを少し足して行われる催事です。「泰山金剛経」石拓から、芹沢銈介や柚木沙弥郎また大澤美樹子、名取敏雄などの諸作家の型染め作品などを皆様方に見て頂く会です。他に、李朝の木の菓子型やインドの更紗の木型なども準備しています。さらに、店の一階では4月下旬に出掛けた10日間程の旅で、手元に集まったものも用意して皆様にご覧に入れます。これらのものは順次、ブログで皆様方にご紹介するつもりです。

2016年5月1日日曜日

あった事会った人 13


「あった事会った人 12」を書いてから四ヶ月。すでに、一年の三分の一が過ぎてしまいました。そこで、ここ数ヶ月の出来事やその中で出会った人などの事を、メモ(独り言の様なものなので、読みにくいところは御容赦)を頼りに書いてみます。さて、昨年の12月辺りまで暖かな日が続いて、このまま春になるかと思いきや、1月24日に大雪が降り、その後数日は近年にない寒さの為にあちこちで水道管が凍結。寒さの為の断水は初めて経験しました。その月の30日から2月第3週まで、10年ぶりの「森信也クロッキー展」を開催。

線の上から着彩したクロッキー2点

3月も20日過ぎから桜の蕾が膨らみ始め、店の向かいの“山口さんち”の桜をはじめ、自宅傍の百年池のほとりの山桜、そして森向うの坂本の部落や太宰府政庁跡の様々な桜が目を楽しませてくれました。

百年池傍の山桜
太宰府政庁跡の桜

一方、店の仕事もこの頃から忙しくなり始め、4月の「柴田展」DM用の撮影やら版下作りが始まりました。4月2週目の土曜日9日から始まる「柴田展」を前にして、4月7日木曜日には唐津の基幸庵で9日から始まる「西川展」の為の「もの並べ」で唐津泊まり。
翌朝、昼過ぎ到着予定の柴田さん親子を迎える為に福岡へ。

基幸庵の「西川展」
「柴田展」準備中

「柴田展」を17日に終えた後、「八女 • 柴田展」“もの並べ”の為
18日午後3時過ぎに「朝日屋酒店」へ。14、15日と続いた熊本地震の後も止まない余震を考えて、展示を「地震対策展示」に。
午後11時頃帰宅。翌19日は、5月初めに予定していた催事キャンセルの為、「振替催事」の撮影に「スタジオ フィデル」へ。昼過ぎに撮影完了。そのまま、「N印刷」で版下作成、夕方校了。23日出来上がりの予定を聞いて、20日早朝、新幹線で京都「せんきた工藝店」で開催予定の「版と型の仕事展」の“もの並べ”へ。夕方終了後、そのまま東京へ。21日は準備日で休養日のつもりだったのだけれど、駒場の「日本民藝館」で開催中の「朝鮮工藝の美」を見て、帰りに3年ぶりで自由が丘の「岩立フォークテキスタイルミュージアム」へ。井の頭線から東横線に乗り換えるのに、延々と歩かされてうんざり。帰りは、地下鉄を乗り継いで旧友Fの待つ「お茶の水」へ。新宿に廻り吉田秀和の本二冊を購入。探していた本なので嬉しかった。

八女 • 柴田展
京都 • 版と型の仕事展

22日朝6年ぶりの東北へ。桜が満開の盛岡で4カ所を訪ね、それぞれ懐かしい顔に再会後、新幹線で南下。午後7時半最寄り駅「栗駒高原駅」到着。栗駒の鈴木君の自宅へ、同君とは5年ぶり。市内で夕食をしたため、酒盛りの為の買い物。その後、午後11時頃から飲み始めて、結局午前4時頃まで話す。翌朝、未だ咲く前の山桜を眺め、鶯があちこちで鳴き交わすのを聞きながら、土産に持って来た「横澤のパン」と、最近の私の楽しみ「自家追焙煎の珈琲」に目玉焼き、自家製野菜などで朝食。あっという間に時間が過ぎる。
昼近くの新幹線で、20年ぶりの益子へ。


夜は囲炉裏を焚いてくれました
自作の杯と丹波の徳利
室内からの眺め
連休中の催事を控えて、屋根の修理中でした
盛岡では満開だった桜も此処の山桜はこれから

出発が遅れた為に予定していたバスに乗り遅れ、結局、宇都宮から二駅先の「石橋」まで、大塚誠一君に迎えに来てもらう事に。益子まで18km程。途中、道具屋に寄ったりした後、同君の仕事場、140年続くと言う「大誠窯」へ。同君は柴田さんの弟子時代、私の店に来た事があり、その縁で今回お訪ねした次第。仕事場と作品をいろいろ見せてもらう。ここは大きな登窯で仕事をしている、関東周辺の産地としては珍しい窯だ。5年前の大震災の時に、益子の諸処の窯は大きな被害を受けたと聞いているけれど、ここもまた窯がつぶれ築き直したとか。夜は旧知の「南窓窯」石川雅一氏の自邸へ。奥様の美味しい手料理でこの日もまた帰りが12時を過ぎる。

翌朝、約40年ぶりの「益子参考館」へ。建物や展示品に大震災のときの傷が残るのを見て、今回の熊本地震で大きな被害を出した「熊本国際民藝館」を想う。日本(世界)で唯一残る「外村展示」も失われてしまった。参考館の展示品の中に、「世界の民芸」(1972年朝日新聞社 刊)に納められている品を見ると、何か懐かしい気がする。喫茶用の椅子なども良いものが多数。その後市内の道具屋に行き、昼食も食べて、再度大塚君の自宅へ。この人は、無類の物好きで、自宅に古いものを並べる専用の部屋まであるのだ。3時過ぎまでそうやって過ごし、また「石橋」の駅まで送ってもらう。今日の目的地は、「湘南新宿ライン」で1時間半程先の「浦和」だ。今年11月に10年ぶりで開催予定の、「R • ゴーマン個展」の為の作品選びが目的。選品後町へ。浦和で泊めてもらうつもりだったけれど、翌日の予定を考えると東京の長男のアパートへ帰った方が良さそうな気がして、駅傍の「フレンチ居酒屋」で柳沢さんと飲みかつ食べて、お別れした。


益子参考館から本館へのアプローチ
益子参考館、色の違う石は修理された処
喫茶室の椅子二種
大誠窯の登窯
大塚君の仕事
大塚君の持ち物、現代の沖縄の南蛮の徳利
浦和のフレンチ居酒屋で食事の後、何故撮ったのか?

25日は昼過ぎに、なじみの横浜 K 舎へ。帰りに雑司ヶ谷の染色家•名取敏雄さんを訪ねる。6年ぶり。以前と変わらず、素朴で率直な人柄で私の好きな人。21日からの催事、或は来年度の催事用に、いまある仕事のほとんどすべてを見せてもらう。出前のお寿司を御馳走になりお土産をもらって、同行のモトちゃんと良い機嫌で帰る。26日は休養日、とは言っても昼過ぎから街に出て、F君と待ち合わせて新宿を歩き、帰りに新中野の「S」でピザを肴にワインを1本。
翌27日は、昼頃Aさんと待ち合わせ笹塚の「つるとかめ」に入居中のYさんのお見舞い。土産の最中を美味しそうに食べて下さった。その後、目白で「坂田」と「モンサカタ」へ。次に、朝、土産を買いに行った吉祥寺に行く途中の電車で広告を見た「MIYAKE  ISSEY 展」を見るために、六本木の新国立美術館へ。私は初めてのところ。


会場近くに泳ぐ鯉のぼり

会場は二階で、18年前に四国 • 坂出の「猪熊弦一郎現代美術館」で見て以来の、三宅一生の展覧会だ。中身は実に刺激的で面白かった。作品は40年程前から今のものまで。洋服から始まり、表現として(結果的に)洋服と云うジャンルを超えてしまった様な仕事。興奮して外に出てみると、隣りの部屋に「国展」の文字が見えたので、中の人に聞くと「国展工藝部」の会場は三階だとか。(なんと!今日が初日だったのだ)三階に上ると、会場入口に福岡の「柴田展」初日の前日に、わざわざ来てくれた北九州の阿部さんと熊本 • ふもと窯の井上君の顔。
井上君から入場券を貰って中に入る。広々と明るいところに、あれこれのジャンルの作品が並ぶ。見終わった後、外が透けて見えるエレベーターで下る途中、どうも大澤美樹子さんらしい顔が2階の喫茶に見える。もう一度、二階に上り見るとやはり大澤さん。同席の三人の方々には申し訳なかったけれど、あれこれの話を30分程。ほんとにびっくりした。翌28日、再度京都に寄り、今日が最終日のGの「わの会」へ。いろいろと買い物をして、夜8時過ぎ、新幹線で約10日ぶりの博多へ。これでおしまい、長々とお退屈様!