2012年1月12日木曜日

ジョン・グラハムの事







明日14日から約2週間行なわれる “J・グラハム個展”を前に、私とジョン・グラハム作品との最初の出会い、そしてジョン・グラハムの事を書いてみます。福岡に於ける J・グラハム3回目の個展(2001年3月)の会の案内状に、私は次の様に書いています。

’97年の6月、美術雑誌のページ上に J・グラハム作品の写真を見出した時、親しみと同時にその作品の持つ表現の新鮮さに強く惹かれました。それはまるで一目見て人を好きになる様に私を大胆にし、連絡先であった浦和の柳沢画廊に、その日の中に電話をし、福岡での個展開催の申し入れをしたのでした。しかし、柳沢さんを通じて申し入れをしたジョンとの一回目の交渉は上手く行きませんでした。よく考えれば当たり前ですが、何処の誰ともわからない人物からの申し入れが、そう簡単に受け入れられる筈がありません。諦めかけた処に、“福岡書芸院”主幹の前崎鼎之さんから、「全面的に援助する」との有難い申し出でがあり、’98年の春に書芸院一階の“ギャラリー聚”で第1回展開催の運びとなったのでした。後略

上の文章中、“諦めかけた理由”とは「作品の半数買い取り」という極めて厳しい条件の提示にあって、今も昔も変わらず貧乏経営の当店には、その時点で諦めるしかない様な高いハードルだったのです。
無事に開催が決まって臨んだ初日の朝、欲しい作品を買う為に“ギャラリー聚”の開店前に一番で並んだのは言うまでもありません。会が終わってみれば、前崎さんのご協力のお蔭もあり、大成功でした。
その後2001年の1月には前崎鼎之さんと長男の成一さん、それに私の3人で、アイルランドのジョン・グラハムを訪ねる旅を行ないました。私にとっては、初めてのヨーロッパ。前崎さんにとっても、パック旅行でなくすべて自分たちで計画を立て、例えば列車の窓口に行き自分で切符を買う、言葉の不自由な人間にとっては、この一事を持ってしても、とても出来そうにない様な事を自分で引き受けてやらなければならない、そんな旅行だったのです。その時の旅行の詳細については、前崎さんが自分のブログ(あまねや推薦サイト“福岡書芸院”からWeb site“前崎鼎之”へ、次に“出会い”へ)の中で既に書いて下さっているので、そちらを見て頂く事にいたしましょう。

それ以降、2003年には J・グラハムが家族(細君のイヴォンヌと、その当時7歳だったレイチェル)で来日した折りには我が家に二泊し、友人のS 君が作った“懐石料理”やY 寿司の“にぎり寿司”を食べたり、また太宰府に散歩に行ったりと楽しかった様です。さて、J ・グラハムは1962年ダブリンの生まれ。父親が工場労働者(有名なギネスビールの)であった為に貧しく、27歳まで大学に行く事が出来なかったのだとか。元はウィスキー工場だった母校の美術大学では、版画の刷師としての勉強をし、後に版画家に転身。魅力的な作品をたくさん作り出しました。今回の展示で一番古い作品は1996年製作の“Small Etching"で、最も新しい作品は2009年作の“Plane E.G.Ⅰ・Ⅱ”です。旧作から新作まで、全28点。充実したよい展覧会になりました。どうぞ皆様お出掛け下さい。

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