2011年5月10日火曜日
Kさんへの手紙
大震災直後、市内のデパートで同世代の作り手の人達(50代一人、60代二人)の展観が催されました。一日出掛けて、食事をしたり話をしたり致しました。後日その内のお一人、鹿児島で磁器の仕事をしているKさんから頂戴した御礼状への返信を、ここに掲載するものです。
大震災と云う大きな悲劇の後でありながら、陽はうらうらと暖かく若葉の美しい季節になりました。その後お元気でお過ごしの事と存じます。お葉書拝見しました。Kさんらしい誠実さの感じられるお便りでした。有難うございます。
さて、どの時代を生きる人にとっても、自分たちの生きている時代と云うのは、どこか不透明で見通しの利きにくい処がある様に感じられるものだと思います。そんな中、現実の有り様が一気に透けて見えてしまった様な出来事が、今回の震災だったのではないでしょうか。
つまり私達の日常が、実は安定を欠く非常に危ういバランスで支えられてあると云う事、そしてその事に私達がどれほど無自覚でいたかと云う事です。その事を踏まえた上で、’70年代に私達の世代が(20代の若者として)当面した「人としてどう生きれば良いのか?」、この問いを今あらためて、自らの眼の前に突きつけられている様な気がします。ただ、’70年代と今とが大きく違うのは、私達の世代がそれぞれの仕事の領域で、それなりに経験を重ね、その仕事や言葉が、まわりに対して影響力を持ってしまっている事でしょう。したがって、その事への自覚なく、不用意に発言したり仕事を続ける事が、出来にくくなっているのは間違いないと思います。
今回、丹波の柴田さんの会を7年振りで開催して、その仕事振りをつぶさに見、話を聞いて感じたのがこの事です。貴方御自身も「つまらない仕事をすると、仕事をして来たこの手に申し訳ない。」と仰っていた様に、自分の仕事を通して自らのうちに醸成されて来た或る「感覚」を大事にする事が、さほど簡単な事ではない、むしろそれを裏切る現実の方が圧倒的に優勢で力を持ってしまっている、そんな時代に私達は生きているのではないでしょうか?
ではどうすれば良いのか?限られた時間を生きている私達に、その答えが簡単に見つかる筈もありません。与えられた時間の中で、先程の問い「人としてどう生きれば良いのか?」を自らに引き受けて、愚直に誠実に問い続ける事。こんな当たり前の事の繰り返しの果てに、運が良ければ「大事な何か」を見つけられるのかもしれません。
薮庭のトウオガタマが匂っています。御礼まで。
あまねや工藝店 川口義典
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1 件のコメント:
後段のご意見、私の胸にもグッときます、、、
(a.)
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