2010年8月7日土曜日

野間吉夫さんの事

福岡に帰って店を始める決心をした1978年の事、事前に幾人かの人に相談をしました。その中の御一人が、当時の福岡民藝協会会長・野間吉夫さんです。柳宗悦から、民藝の世界の「九州鎮台」と評される程、戦後の雑誌「民藝」紙上を舞台に、故郷である鹿児島の苗代川や佐賀の多々良(たたろう)、また九州の荒物や佐志の葛布などについて健筆を振るい、当時残されていた九州の民藝の仕事に光を当てたと云う意味で、大きな功績のあった人です。 六本松にある九州大学教養部キャンパス(当時)の裏手、小さな土蔵付の小住宅が野間さんのお住まいでした。玄関を上がると廊下の奥が居間になっており、そこに通されて一通り話を聞いて頂きました。 野間さん御自身、戦後間もない頃、玉屋デパートの美術画廊で「バーナード・リーチ展」などを手掛けた経験からか、福岡で「民藝店」をやるのは難しいから止めた方が良い、との御忠告でした。 後に、この忠告が間違っていなかったと云う事を、私自身思い知らされる事になる訳ですが、結局はせっかくの御忠告を無視して、「あまねや工藝店」を始める事になります。 野間さん亡き後、残された籠類など荒物のコレクションは、まとめて福岡市博物館に寄贈されていますが、今に至るまで、それらが並べられたと云う話を聞きません。写真は野間さんから頂戴した色紙。

1 件のコメント:

itsy さんのコメント...

そしてそのあまね屋が始まって本当に良かったこと。