2017年9月26日火曜日

忘れられないもの29 点茶の愉しみ

            
私が「民藝」と云う言葉に初めて出会ったのは、大学入学後間もない1970年の夏。レポートの宿題で、課題図書の中から選んだ岡倉天心著「茶の本」(岩波文庫★)の、手掛かりになりそうな参考書を探しに東京 お茶の水の古書街に出掛けて見つけた、柳宗悦の「茶と美」(1952年乾元社刊)の文中です。今にして思えば、藍色木綿で装(よそ)われた本体に茶の手漉揉紙(てすきもみがみ)のカバーが掛けられた、その外見(そとみ)の美しさに惹かれたのかもしれません。その後、「茶の本」をどう読んでどうレポートを書いたのか、今は全く覚えていません。しかし、これが’72年春、倉敷民藝館初代館長 外村吉之介(とのむらきちのすけ)先生との出会いにつながる訳ですから、よくよくこの世界と御縁があったのでしょう。

抹茶を飲み始めたのも’72年頃からです。既に出入りする様になっていた駒場の日本民藝館の台所で、陳列替えや民藝館展準備のお八つ時に、他の手伝いの若い人達ともども、当時、日本民藝館主事であった浅川園絵(あさかわそのえ)さん〈故浅川巧氏息女〉が、例えば苗代川(なえしろがわ)焼の蕎麦掻碗(そばがきわん)に点てて下さった茶を、到来ものの様々な菓子(こちらの方が楽しみでした)と一緒に、格別うまいとも思わず飲んでいた様な気がします。点茶の稽古は始めて10年以上がたちます。私にとって点茶の愉しさは、何といっても身の廻りの品々を見立て使いして、その場にいる人達皆とその喜びを共有出来る事につきます。今回、皆さんに御紹介する四種の茶碗も、そうやって、点茶の稽古で楽しく使ったものばかりです。


最初は、李朝時代の会寧(かいねい)の碗です。朝鮮半島北部の仕事で、中に湯を注ぎ入れると、柔らかく白い糠釉(ぬかぐすり)の景色が夜空に浮かぶオーロラの様に現れ出る不思議な碗です。四囲の自然がそうさせるのか、民族や文化の違いを超えて、素朴ながら強い調子を持つ日本の東北地方の焼物に通じる印象があります。(径14cm高さ10.5cm 推定)


 次の写真右側、李朝時代 祭器の白磁小碗です。端反気味の口縁を持つこの碗の姿の美しさと、碗が掌(たなごころ)にすっぽり納まった時の、何とも言えぬ気持ちの良い重さが魅力です。(径11cm高さ8.5cm) 同じ写真左側の飴釉小碗は武雄系唐津の仕事です。裏を返すと、生き生きとした高台廻りの削りの見事さに眼を奪われます。(径10cm高さ7.5cm ) 


最後は、型ものとして数多く作られた中国宋代の白磁の平茶碗です。重ねて焼くため口縁に上釉(うわぐすり)が掛けられておらず、そのままでは口当たりが悪いので覆輪しました。抹茶の緑がひときわ冴え冴えと美しく見えます。(径17.5cm高さ5.5cm)

2017年9月19日火曜日

「十八番の会」土蔵二階の様子

昨日お伝えしそびれた「十八番の会」会場土蔵の二階の様子です。

階段を上ると、バッグ類が下がっています
奥の窓際の様子、手提げがたくさん
手摺から下を見ると、一階展示台の様子
二階の奥に進むと
ラフテーブルの上はYAMAYO窯花入れ
壁に下がる手提げ

2017年9月18日月曜日

第五回「十八番の会 • 八女展」始まりました

台風一過の八女はいい天気
五回目の「十八番の会 • 八女展」が始まりました。とは言いながら、初日から近づく台風の影響もあって来て下さる方々もまばらで、せっかく信楽から荷物を持って来てくれた山田洋次さんも手持ち無沙汰でした。しかし、夜は地元八女の康太郎さんと一緒にあれこれの話で盛り上がり、前日に引き続いて連日の午前様でした。会場二階の様子は続編で。

本日、福島八幡に幟も立ちました
大鳥居正面左に控えめなサイン
近づいてみるとこうです
左を見ると、ここが入口です
飛び石伝いに奥に進むと
ここが入口
入ると正面に大木さん制作の
大きな花のモチーフの型染布
入口から奥を臨む
会場中央の展示台
左側壁面の展示
奥を背にして正面を見ると
natsumichiのお二人の型染暖簾
外から見る土蔵の様子
二階の窓際に型染バッグ

2017年9月12日火曜日

第5回「十八番の会」会場の「土蔵」紹介


第五回「十八番の会 • 八女展」開催が近づきました。ここで、今展で使わせて頂く会場の「土蔵」を、皆さんに紹介いたします。福島八幡の参道沿いにあり、外観はこの様に立派なものです。


祭りの期間中は、石の大鳥居の両脇に立てられる白地に大きく墨書された「幟」が目印で、少し手前ですが、鳥居に向かって大体その左横辺り(写真は福島八幡境内側から撮っていますので右手)に位置します。ただ、案内状にも書きました通り、福島八幡秋祭り期間中は両脇に屋台が出店しますから、土蔵の入口がわかりにくいのです。


土蔵脇の板塀を潜り、扉を開けて中に足を踏み入れるとこんな具合。


一階から二階を見上げると、こうです。


一階から二階に掛けて、中央に吹き抜けの空間があり、それを上手く行かした展示が出来れば良いと思っています。


奥が参道に面している大窓です。ここにnatsumichiの型染めとYAMAYO窯の陶器をどう並べ配置するか、大変でもあり楽しみでもあります。今回は、店に出入りする若い人が準備を手伝ってくれると云うので、大いに張り切っています。初日16日はYAMAYO窯
山田洋次さんが在廊の予定です。どうぞ皆様お出掛け下さい。

2017年9月1日金曜日

第五回「十八番の会 - 待ちわびる秋 -」DMの事


いつもの事ながら、一つの催事に向けてDM一枚を作るのはなかなか大変な作業です。次回催事の5回目になる「十八番の会」も、1️⃣まず出品して下さる作り手の方々にDM用の品を送ってもらう様に依頼。

持ち込んだ品を案配良く並べ
照明を調整し
3カット目の出来上がり

2️⃣それが到着したら撮影スタジオに持ち込んで幾つかのカットを撮影。3️⃣終わったらデータの形で私のPCに送信してもらう。4️⃣それを見ながら、DMに付ける文章原稿を作成。5️⃣出来上がったら、写真データと一緒に印刷所に送り版下を作る。6️⃣PCで数回やり取りした後、印刷所に出向いて最終稿を作る。


手順はこの通りなのですが、一つ一つが滞りなくスムーズに運ぶ訳ではありません。DM用の品の到着が遅れたり、撮影スタジオの日程調整が上手く行かなかったり、原稿がなかなか書けなかったり、そんなこんなで品物を送ってもらってからDM出来上がりまで、早くて2週間です。ですから大半の催事の場合、初日のひと月前から作業を始めて、二週間前にはDMが出来上がる様に準備するのです。催事日程変更などもありバタバタしましたが、今回は、1️⃣から2️⃣までが約2週間、2️⃣から6️⃣までが一週間でした。

当初予定していた日程よりも始まりが一週間早まりましたが、いい事もあるのです。最初に「高橋宏家」で催事を始めたのは2010年、「山本教行作陶展•八女展」でした。その時も、初日の食事会の時に矢部川の花火大会が重なり、嬉しい思いをしたものです。今回も初日の16日が、その花火大会で、22日と23日は旧八女郡役所内に移転した朝日屋酒店で「子どもの本や」販売会が開催されたり、同じく22日には旧郡役所の大ホール(?)で映画「ニューシネマパラダイス」上映会、23日は山海塾の岩下徹さんのダンスパフォーマンスが予定されていたりと、盛りだくさんです。もちろん、福島八幡の「灯籠人形」も上演されます。どうぞ、秋の八女を愉しみにお出掛け下さい。

2017年8月28日月曜日

第五回 十八番の会 - 待ちわびる秋 - のお知らせ


           YAMAYO窯•山田洋次とnatsumichi•大木夏子 北澤道子

ひときわ暑かった今年の夏、皆さま如何お過ごしでしょうか。お伺い申し上げます。さて、今年も9月22日から24日まで行われる八女•福島八幡の秋祭にあわせて五回目の「十八番の会」を開催いたします。今展は信楽•山田洋次さん(1980年生)の焼物と、このところ「十八番の会」ですっかり常連になった感のあるnatsumichiの大木夏子 北澤道子 お二人の型染作品を見て頂きます。● 福島八幡秋祭開催中の22日から24日まで、八女福島と天神バスセンター間に直行バスが走ります。お問い合わせは九州高速バス(0120-489-939)まで。
●21日夜は灯籠人形の口開け公演、そして祭り期間中は、1日5•6回の灯籠人形の公演が行われます。● 今年の会場は、これまで使わせて頂いて来た「高橋宏家」母屋の南側、福島八幡参道沿いにある土蔵です。案内の看板は出しますが、祭り期間中は出店屋台に挟まれて、会場入口が判りにくいと思います。どうぞ気をつけてお越し下さい。

八女高橋宏家•土蔵 9月16日(土)~24日(日)  
 午前10:00 ~ 午後6:00 会期中無休 
 八女市本町103(福島八幡隣 参道沿い) 
 ※会場には駐車場がありません。
 市役所か 伝統工芸館の駐車場をご利用下さい。

福岡あまねや工藝店 9月30日(土)~10月9日(日)
  午前11:00~午後7:00 会期中無休    
  福岡市中央区平尾1-12-2 
  お問い合わせは 電話 092-526-0662 amaneya◎gmail.com
  ご連絡の場合、◎を@に直して下さい。 

2017年8月12日土曜日

多々納弘光さんの事


出西窯創業者の御一人で同人(どうじん)の多々納弘光さんが、6月29日に90歳でお亡くなりになった事を先日知りました。たまたま、あまねや工藝店創業38年目の7月1日が御葬儀で、鳥取の山本教行さんから電話で報せは受けていたのです。私自身、4年前の足の手術以来、車で遠くに出掛ける事がめっきり少なくなって、御自宅へのお見舞いにも伺わず失礼してしまいました。開店以前からのお付き合いを含めると45年以上に渡る御厚誼で、店を始めた’79年以降は展覧会や講演会などで、本当にお世話になりました。ある時期、私にとって出西窯をお訪ねするのは、なにより多々納弘光さんにお会いして話しをする、その楽しみの為でありました。

出西窯創業50年目の年。1997年から翌年の’98年12月に掛け、6回に分けて行った「多々納弘光連続講演会」(註 忘れられないもの27 • 28参照)の折には、「年金が頂ける様になったから」と、文字通り、手弁当で出雲から博多まで話しに来て下さいました。
それもこれも、ご自分の経験した事を後に続く人達に伝えなければ、と云う強い使命感に基づくものであったのでしょう。
有り難いご縁でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。