福岡書芸院発行の冊子「たんえん」7月号掲載の記事、「忘れられないもの 4(タイの灰釉の焼物)」をお届けします。
今日は、先月のこの欄で書いた福岡市営地下鉄工事に伴う「遺跡発掘アルバイト」から約10年後の1992年春、その現場での人の関係が御縁で始まった福岡市博物館•ミュージアムショップの仕事にまつわる話をいたしましょう。ミュージアムショップの話を持って来てくれたのは、当時、福岡市博物館の学芸課に勤務、発掘アルバイト当時は現場の補助監督をやっていた I さんです。I さんによれば、アジアに向かって開かれた都市•博多にふさわしく福岡市博物館のミュージアムショップとしては、アジアのものを中心に世界の産品(民藝品の様なもの)を紹介して行きたい、と云うのです。引き受ける決断はすぐにしましたが、ショップ用に品物をそろえる肝腎の元手がありません。そこで、私の商いのコーチ役とでもいうべき倉敷のNさんに相談しました。いろいろ事情を聞いて頂いたあげく、品物の形で400万円分程を貸して頂き、仕事を始める事になりました。
始まる年の一月。Nさんに連れられ、初めてタイのチェンマイまで品物の買い付けに出掛けました。大阪•伊丹空港からバンコク経由、チェンマイまで。チェンマイ到着は夜遅くで、空港から市内までのタクシーに乗る事ひとつを取ってみても、私自身何だか恐る恐るで及び腰だったのを覚えています。Nさんが常宿にしている川近くのホテル到着後、ひと休みして(たぶん午後10時過ぎ位から)市内のナイトバザールに出掛けました。初めての経験でもあり、出掛ける前はひどく緊張していたのが、バザールを歩く内に段々と気持ちがほぐれて来て、肩の力が抜けて行く感覚は今でも鮮明です。買い物はそのナイトバザールを始め、市内の荒物屋や各種問屋など。山積みになった品の中から好きな物を選ぶ楽しさ、これは仕事冥利に尽きる経験でした。こうして集めた品は自分でダンボールに詰めて、市内の郵便局から航空便で送ります。今回ご紹介する灰釉の焼物のうち、大きな筒鉢と型物の碗は、その時そうやって手に入れたタイの陶器です。幸いと云うべきか、この二点は壊れて届いたものですから、共に私の手元に残す事が出来ました。大きい筒鉢は後に前崎鼎之さんがブリキで蓋をあつらえて下さり、点茶稽古用の水指として今でも時々使います。灰釉碗は若干手取りが重めですが、径が五寸程のまことに使い易い大きさの品です。筒状の二点は、後に市内の古道具屋で買ったタイの古い時代の仏花器です。背の低い方は我家の仏壇で線香立てとして使っています。
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灰釉の焼きもの三種 |
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径が六寸程の筒鉢 |
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五寸程の径の灰釉碗 |
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仏花器か? |
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