2013年6月25日火曜日

変わらないもの


6月23日の日曜日、一泊した八女を朝方発って、久し振りに熊本国際民藝館に出掛けました。同行者は朝日屋酒店の高橋康太郎さん。
同館で開催中の「外村吉之介没後20年記念展」と、併催の「荒木英雄コレクション展」を見るのが目的です。小雨の中40分程で、三宮公園内の民藝館に到着。館内に入ると、最初の部屋がどうやら「没後20年記念 ー美しい暮らしとともにー 展」で、奥の囲炉裏の部屋が「荒木英雄コレクション展」らしいのですが、はっきりした表示がなく、もう一つよくわかりません。手前の部屋の展示品の中に、’72年に朝日新聞社から出版された「世界の民芸」の表紙に使われているインドの彩色玩具が、そして奥の囲炉裏の部屋に、以前荒木さんが当店で買って下さったアフリカの木の枕がそれぞれ有って、ようやく確認出来ました。
ただ、その陳列からは会場に並んでいる品々(荒木英雄コレクション)に、当然払われるべき敬意と愛情が微塵も感じられず残念でした。

二階に上がってみると、空気が一変しました。かつて、外村先生は
「民藝館の陳列」について、物を言葉に例えて、(陳列は)言葉を使って
詩を書く様なものだ、と仰っていました。言葉を適当に並べても、意味不明の文章にしかならないのに比べ、(言葉の)適切な選択や推敲がなされた作品(詩や文学、演劇など言葉によって成立する文芸作品)は、時や文化の違いを越えて、人の胸に直接届く表現を獲得する様なものだ、とでも云えば良いのでしょうか。
外村先生が亡くなられた直後、生前に先生が手掛けられた展示(二階の常設展示)は変えず、そのままにして置く、と聞かされた時は“なんと馬鹿な事を!”と思いました(今でも、それは変わりません。陳列は“今”のものであり続けなければならない、と思います。ただし、それは「民藝館の陳列」の条件が満たされ場合であって、出来ない場合は、変えないと云う選択もあり得るでしょう)が、今や「外村陳列」(無形文化財です)を見る事が出来るのは、日本中で(と云う事は世界中で)ここ熊本国際民藝館だけです。20年経った其の展示からは、先生の肉声までが聴こえて来る様な気がして、ひたすら懐かしく、この二階の展示を見る為だけに此処にまた来よう、と思いました。

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