前崎鼎之 様 ブログhttp://mteisi.exblog.jp/16010135/とツイッター拝見しました。これらの文字が、作品として「書」の領域に含まれるかどうかの判断は、立場によって人様々だと思います。大昔から現在までの文字の移り行きの中に金文や甲骨文があり、また六朝の「泰山金剛経」の文字の様に岩に刻まれたものもあって、それぞれ美しい文字としての評価は定まっているのではありませんか?
グーテンベルグによって「活版印刷術」が発明されるまで、羊皮紙に記された書き文字や様々な飾り文字などの美しさに馴染んでいた西洋の人々にとって、印刷された文字は何とも味気ないものとして、その眼に映ったに違いありません。それらの文字の作られ方も現在は大きく変わり、ますます薄っぺらで均一なものになって行きます。
そんな時代にあって、一番身近で普通の、有難味などかけらもない「ボールペン」で書かれた文字を「書」の歴史の中に繋げて行く事は、大げさに云えば、現代に生きる「書家」と呼ばれている人達に与えられた大きな仕事だと思います。拝見する限り、前崎さんの書かれたボールペンの「古今和歌集」の中にも、その可能性が「ほの見えて」いると思います。ただ、ボールペンで書かれるに相応しい今の時代の「詩歌」は別に存在するのかもしれず、であれば「書き手」としては懸命にそれを見つける努力をし、そしてそれが見つかった時に、初めて中身の備わった現代の「ボールペン」による「書」が生まれるのだと思います。
大きな期待を持って。川口義典 拝
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