2015年11月30日月曜日

忘れられないもの 8(編組品の健やかさ)

福岡書芸院発行の冊子「たんえん」11月号掲載の連載記事、「忘れられないもの8( 編組品の健やかさ)」をお届けします。


冊子「淡遠」の4月号から連載を始めて、この11月号で8回目になります。前回分迄で、掲載する為に撮り溜めていた写真が底をつき、10月初めに慌てて「スタジオ フィデル」の藤田孝介さんの処へ掛け込み、数回分の(と思われる)写真を撮影。ただ、何をどの様にと決めないままの撮影でしたから、身近に転がっている編組品をあれこれ車に積んでスタジオに持ち込み、ひとまずそれぞれの写真と全体の集合写真を撮ってもらいました。集まっているものそれぞれに異なったエピソードはありますが、今回はこれら編組品全体の持つ「健やかさ」の依って来るところを書いてみましょうか。

武雄の片口箕
インドネシアのニワトリ籠
フィリピンの背負い籠

ちなみに、写されている編組品は一番奥の壁際に立っているものが約20年前に佐賀•武雄の籠屋で買った片口箕。そこから反時計回りに、インドネシアのニワトリ籠。フィリピンのパシキンと呼ばれる背負い籠。手前の球状の品は、20数年前にタイ北部チェンマイのスポーツ用品店(?)で買った、東南アジアで盛んな足を使う蹴鞠の様な球技、セパタクローのボール。その隣は40数年前に香港で買った籐製の手提げ籠。中央の黒っぽく見える蓋物は、籐を編み竹を合わせた籠の上に漆を塗ったフィリピンの藍胎漆器の原型の様な蓋付き籠です。
これら作られた地域も時代も様々な品々に共通するのは、身近な所に自生する自然素材を使い、それを諸々の道具が要求する明確な用途に合わせて形作られたものである事で、各素材の持つ特性をわきまえた長い経験に裏打ちされた知識と、確かな手工の技術を用いて造形されると、自然の素材がこの様に美しい道具に生まれ変わると云うお手本の様な仕事です。

タイ • セパタクローのボール
中国の手提げ籠
フィリピンの蓋付き籠

装飾と言っても、造形された素材がそれぞれの構造に従って表に見せる異なった編み目位ですが、これ自体が構造に由来する装飾(ornament)なので、色を塗ったり何かを加えたりする装飾(decoration)と違って、過不足ありません。陶土やガラスまた金属など、可塑性の高い素材を使った仕事や染布•絵画など自由な造形を可能にする平面の領域の仕事に比べて、「自意識の罪(弊害)」から最も遠い仕事、それが本来的な編組品の仕事で、編組品の持つ「健やかさ」もそこに由来するものだと思います。さて、次回からは数回に渡って個々の編組品を取り上げ、皆さんにお伝えします。


2015年11月23日月曜日

二つの「もの並べ」

ここ一週間程の間に二ヶ所で“もの並べ”をいたしました。一つは17日で京都 • せんきた工藝店の“工藝の愉しみ展”を、残る一つは20日の八女 • 朝日屋酒店の“中野知昭個展”です。京都は「三坪の店内に多めの染織品をどう納めるか」を、八女は「広い会場で散漫な印象を与えず漆器をどう並べるか」をそれぞれ課題として考えました。上手く行っているかどうかは、会場にお運び下さった上でご判断下さい。

左の壁と正面に合わせて12枚の布
右壁はメキシコの白木椅子や
グアテマラの民画が掛かる
右壁の端にはタイのラフテーブル
左右の扉には夫々インドの刺繍布が
掛かり、左に革張り右に白木の
それぞれメキシコの椅子が並ぶ
奥と手前にはメキシコの吹き
ガラスのペンダント二種が下がる
入口右側のメインの棚、椀類や大盆が並ぶ
下の写真で大盆左右の四角い立方体は新作の箱台
右に並ぶ朱の二段重、その横は片口の大小
正面の棚、下に丼や鉢類、中段は三ッ椀や丸美椀
半閉の上には台形の箱台(大と小)、横は朱の瓶子

2015年11月13日金曜日

料理会の事

11月7日の夕刻から行われた「中野個展」に伴う料理会のご報告です。個展と同じく料理会も実に2年半振りの事です。
直前に参加予定者のキャンセルが出たりしてハラハラさせられましたが、滑り込みで最後の参加者もどうにか決まり、当初の予定通り私と中野さんを含め9人のメンバーで、夕刻から無事に「料理会」を始める事が出来ました。

当日の献立
柿の白和え
鯛の昆布締めと〆鯖を食べた後
秋なすのあん掛け
つがに姿煮
ぶたの角煮
栗ご飯に舞茸のみそ汁
皆楽しそうです
トーコの隠し撮り

2015年11月12日木曜日

百子の花日記 243

中野さんの会で花を入れました。瓶子の朱が綺麗なので、山本教行作の灰釉花入れにビナンカズラと椿 • 西王母を合わせてみました。

朱の瓶子と並ぶ
ビナンカズラと椿 • 西王母

2015年11月7日土曜日

「第3回 中野知昭個展」が始まります

11月7日から15日まで、当店にて3回目の「中野知昭個展」を開催いたします。6日昼過ぎに、鯖江から4時間半かけて中野さんが到着。コーヒを飲んだり話したり、と何だかグズグズしていて「もの並べ」を始めたのはかれこれ2時を過ぎていたでしょうか。そうこうする内、先の「十八番の会」でも手伝ってくれたOさんが、今回も手伝いを申し出て下さったおかげで仕事がはかどり、7時過ぎには何とか目処がつきました。本日夕方からの「食事会」は、おかげさまで満席になりました。お申し込み下さった方々、有難うございました。

正面左窓側の様子
中央の棚
正面右側
中央の舞台
左側の窓辺、奥には応量器が並ぶ
左側窓辺奥、大きな朱の盆
正面左、羅州盆の上は片口に酒杯
一階のぞき
手前には大き目の蓋物や弁当箱

2015年10月31日土曜日

忘れられないもの 7(薬土瓶 三種)

福岡書芸院発行の冊子「たんえん」十月号に掲載の連載記事、「忘れられないもの7(薬土瓶三種)」をお届けします。

奥が信楽、左が佐賀•白石、右は産地不明の薬土瓶
信楽焼の大きな薬土瓶
今年四月下旬の事、八女の朝日屋酒店で民族文化映像研究所制作の記録映画「うつわ -食器の文化- 」を見ました。その中で、沖縄の島々に自生するクバの葉を小さな柄杓状にした物に水を満たし、たき火で湯を沸かすシーンが出て来ます。同じクバの葉で作られた「水汲み」や「うちわ」は知っていましたが、これは初見です。画面の中で、クバの葉が焼け落ちもせず、見事に湯が沸くのを見せられると、軽い驚きに加え、長い時間の中で、試行錯誤の末に身近な材料で必要な道具を作り出す、先人の知恵や想像力に感心しました。多かれ少なかれ、私達の暮らしで使われる道具類は、その様にして考えられ作られ続けて来たものばかりです。今回ご紹介する、「薬土瓶」と呼ばれ直火にかけて薬などを煎じる際に使われる、これらの土瓶もまた、こうして作られて来た生活道具の一つです。少し前の時代(数十年前)まで、日本の各地に散在していた土鍋や薬土瓶の仕事も、材料の払底や需要の低迷(暮らしぶりの変化}で、ほとんど姿を消しました。

鳥取県岩美町のクラフト館•岩井窯を主宰する山本教行さんに伺うと、岩井窯で現在作られている各種土鍋やミルク沸かしの材料である信楽の陶土もすでに底を付き、手元に保有する材料がなくなれば、否応無しに別の材料を探すかその仕事を辞めるかしかない、とのお話を伺った事があります。これは独り工藝の世界の問題のみならず、有限な材料や資源をどう守って次の時代につなげて行くのか、この責任に対する地球的自覚(大きな想像力)が私達一人一人に強く求められている、という事でもありましょう。「早い•安い•便利」の三つの戒めに、ギリギリと巻き締められている私達現代の人間にそれがどこまで可能か、また自分の場で何が出来得るか、それを考えながらその答えを探し続けるしか道はありません。

さて、今回ご紹介する三種の薬土瓶のうち、いちばん大きなものは信楽の薬土瓶で径が27cm(土瓶の口まで含む)、高さ17cm。次が、共手の焼締の薬土瓶で径が18cm(土瓶の口まで含む)、高さ20cm(共手まで含む)で、作られたのは中国地方の何処かで詳しい産地はわかりません。以上の二つは少し前の時代のものです。最後は佐賀県白石焼の薬土瓶二種のうち、小さな方で径が19cm(同じく口まで含む)、高さが11cm。この土瓶は、私が仕事を初めて間もない30年程前、窯元まで出掛けて買って来たものの一つです。

2015年10月25日日曜日

「第3回中野知昭個展」食事会の献立

「あるところ」入り口が左手、右手は座敷
入り口右手の座敷2
土間の床飾り(?)
今日「あるところ」の平河直さんから、「中野展」初日11月7日夕方からの食事会献立のプランが送られて来ました。以下のものです。

柿の白和え 、椎茸焼き浸し 、お造り 、茄子のあんかけ 、
つがに姿煮 、だし巻玉子 、豚の角煮 、栗ご飯 、味噌汁 、
香の物 、水菓子 以上。

中野知昭作の応量器と、当店所蔵の大皿や小鉢などを合わせて、これらの献立がどう盛りつけられテーブルに並ぶのか、いまから楽しみです。残りは5席です。ご希望の方はお早めにご予約下さい。