2011年5月3日火曜日

朋あり遠方より


振り返ってみれば、’79年から’90年まで続いた「あまねや工藝店」の今泉時代に、今に続く貴重な人との出会いが多くあり、その後の私どもにとって大事な幾つかの事が始められました。まず、’82年に東京の「子ども文庫の会」の初級セミナーが始まり、その翌年辺りに「ロバの音楽座」の初めての福岡公演を、そして’84年には個人作家の個展としては初めての「第1回 山本教行作陶展」を、翌’85年には民族文化映像研究所製作の「越後奥三面(えちごおくみおもて)」上映会を、同じ年に外村先生の民藝に関する連続講演会を始め、’86年にリュート弾き・つのだたかしが主宰する中世喜遊楽団「タブラトゥーラ」の第1回公演(2度目は’89年)を、と云った具合です。その頃、古道具「坂田」収集のアフリカの物を並べて、催事をやったりもしています。また、先日4回目を終えた「柴田雅章作陶展」の第1回展も、’89年でした。

さて、5月1日の事。久し振りの休日に、自宅でのんびりしていると電話がありました。友人の娘・華ちゃんからで、前日4月30日の福岡公演を終えたつのだたかしさんが店にいて、私に会いたいと言っていると云うのです。’86年から5年ほどの間に、リコーダーやテノール歌手とのデュオ、あるいは彼一人のソロコンサートなど、様々な形の演奏会にお付き合いして来ましたが、「タブラ」や彼自身の名が音楽の世界で広く知られる様になるにつれ、お互い忙しい事も手伝って、自然に付き合いも絶えていました。そんな彼からの久し振りの連絡です。喜んで出掛ける事にしました。

待ち合わせの珈琲店に行くと、姿が見えません。聞けば外出中なのだとか。しばらくして、店の外にタクシーが止まり、懐かしい彼の姿が見えました。もじゃもじゃの髪とあご髭がごま塩になり、突き出したお腹が下がり気味(彼曰く)である事以外、愛嬌のある姿は変わりません。白い紙袋を下げているので中身を尋ねると、私も知っている古道具屋「F」で買ったと云う白薩摩の土瓶です。良いものでした。昼食後、私の店に場所を移して、帰りの飛行機の出発までの2時間程を、互いの知人の消息や(私には意外でしたが、彼は古い物が好きなのです)
テムズ河畔でスリップウェアーの破片を拾った話、また互いの仕事の領域で活躍し始めた若い人達の事など、楽しくおしゃべりしました。
出会いから25年が経っていました。

2011年5月1日日曜日

丹波篠山から岩美へ 4






4月27日。柴田家で10時の薄茶を御馳走になった後、鳥取県岩美の「クラフト館・岩井窯」へ向かいました。高橋さんは夕方の列車で帰る事になっており、帰途の運転は私一人になるからと、ほぼ全線の運転を引き受けてくれました。2時頃に、無事「岩井窯」到着。
早速、参考館に並んでいるB・リーチの素描(中に、外村先生を描いた作品もありました)と、西洋の焼物を見せて貰いました。
それから、喫茶「HANA」でお茶とゴマカシ(胡麻の菓子)を御馳走になりました。細君の土産である大輪の牡丹を、夫人の房江さんが「花びら」だけにしてガラス容器の中に。いつもながら、センスの良い人だと思いました。その後、JR鳥取駅から列車に乗る高橋さんを送りがてら、海辺の温泉に行こうと云う事になり、山本さんの運転で雨の中、近くの砂丘にある温泉へ。晴れていれば、美しい夕陽が望める温泉を満喫し、高橋さんを無事に駅まで送り届けた後、いつものごとく楽しく美味しい夕食にありつきました。これは、本当にご褒美だと思います、いつも。有難うございます、山本さんそして皆さん。

丹波篠山から岩美へ 3






柴田窯をお訪ねした時、5月の東京での会に向けて「素焼窯」に火が入っていました。午後の「ことり」訪問時に私達と一緒に行ける様、貴澄君は午前2時から作業を始めたのだそうです。子供の時分から、父親の手伝いで「窯焚き」をやっていたにしても、窯全体の仕事の「段取り」を良く飲み込み、テキパキと作業を進めて行く様子は、傍で見ていても気持ちが良いものです。柴田さんが、頼りにしているのがこちらにもよく伝わって来ました。
私や高橋さんに、土作りから型起こしのやり方に至るまで、わかりやすく説明もしてくれました。実に頼もしく、好ましい青年です。庭では、夫人と細君が花談義で楽しそうです。

丹波篠山から岩美へ 2







今回の篠山行きで一番印象的だったのは、樹々の芽生えの美しさです。篠山到着の翌日。午前中、柴田夫人の佐和子さんに案内して頂いて出掛けた、「丸山集落」に行く途中の雑木林の美しさは格別でした。風の強い日でしたが、その風が樹々の美しさを一層引き立て、素晴らしい眺めを作り出していました。さて、この「丸山」は、空家で使われなくなった幾棟かの家を「簡易宿泊所」として使う、実験的な試みをしている場所として全国的に有名な所らしいのです。
今回の旅の同行者・高橋さんは、地元・八女の「町起こし」に関わっている事もあって、この「丸山」をよくご存知で「行ってみたい処」であったとか。これらの建物の管理をしている人を、柴田さんがよくご存知で、内部を見せて貰う事が出来ました。中の改修は、極力元の形を残したまま、ベッドを入れ水回りを新しくし、また薪ストーブを据えたりして、「居心地の良さ」を第一に考えて作っている様に見えました。

2011年4月30日土曜日

丹波篠山から岩美へ 1









4月26日、朝7時。今回の「柴田展」で残った作品を車に積み、丹波篠山に向けて出発しました。行程は約600Kmで、同行者は二人。
細君と、2008年5月の「山本展」終了時も、作品返却の旅に同行した八女・朝日屋酒店の高橋康太郎さんです。旅の前半、鳥取のクラフト館・岩井窯まで、御一緒する事になっています。さて、朝食抜きで朝6時出発のつもりが、「簡単でも、やはりご飯は食べて」と云う事になって、結局7時に出発。工房に山桜の咲き残る中、篠山到着は午後3時頃になりました。

柴田さん御一家は、自分達も昼食を食べずに待っていて下さり、大鉢に入った饂飩を牛蒡や鶏肉入りの熱い出汁に漬けて食べる、美味しいお昼を御馳走して下さいました。ところで、私の柴田家訪問は十数年ぶり(たぶん)になります。自作と共に室内の其処此処に、スリップウェアーをはじめ、筋の通った工藝品が置かれてあるのは相変わらずですが、その数がずいぶん増えています。李朝の大きな棚や、アフガンの軟陶の皿などが心に残りました。今回の個展に於ける柴田作品の成熟度とも、何処かでそれは重なる様で興味深く拝見しました。

その後、皆で篠山城趾近くにある元・武家屋敷を改装した「岩茶房 丹波ことり」へ行きました。総勢6人それぞれが、「ことり自家製」の点心と岩茶各種を充分に楽しみました。今夜は、柴田さんの向側の尾根筋で、やはり焼物の仕事をしている平山元康さんに早目の夕食を御馳走になる約束です。予定を1時間ほど過ぎた午後6時30分頃、平山さんの自宅へ到着。実は今夜、平山さんは夜行バスで本年度「国画会新人賞」の授賞式出席の為、東京へ行く事になっているのです。こちらでも又、黒豆を炊いたものから、コシアブラやタラの芽の天婦羅、奥様お手製のさば鮨・巻寿司等々、食べきれないほど沢山のご馳走になりました。午後9時近くまで食べながらお喋りを楽しみ、東京に行く平山さんと別れて、宿に帰りました。長く楽しい一日でした。

2011年4月24日日曜日

あまねや弁当の事



4月10日に皆で食べた「あまねや弁当」の事を、中身も含めてきちんとお知らせしましょう。さて、当初7年ぶりで開く「柴田展」のお話し会の時に、いったい何を皆さんに召し上がって頂けば良いのか、ぎりぎりまで迷いました。そして、店のお客さんであり、ご自分も丹波の出身で、なおかつ柴田さんの二女・咲美さんと同じく、マクロビオティックの勉強をしているYさんにお願いする事にしました。
メニューの一部の調理と当日の手伝いを、マクロビ仲間の八女のTさんとTさんのご亭主・康太郎さんに(弁当に掛ける上紙の“あまねや弁当”の文字書きも担当、ちなみに文字下の絵は娘さんが担当)、またYさんのご亭主と娘さんも、弁当の詰め合わせ作業に駆り出されたと聞きました(有難うございます)。当日は、朝7時から作業を始めたとの事でしたが、会場到着は、予定(12時)の15分遅れ。お話し会の参加者15人分に加え、私どもスタッフと柴田さんのご友人やご家族分も入れて、全部で25人分作ったそうです。でも、弁当の予約2名分を含めて、完売でした。弁当の中身は次の様なものでした。

おにぎり三種(しそ、三つ葉、白)・生麩田楽(しぐれ味噌)・信田巻とスナップエンドウの炊き合わせ・蓮根団子の甘辛煮・オートミールハンバーグ(キアヌ入り)・竹の子の木の芽味噌焼・切り干し大根煮
菜の花の胡麻酢和えの海苔巻き・そら豆・お多福豆の甘煮(メープルシロップ)

評判も上々。大変美味しかった事をご報告しておきます。Yさん有難うございました。

2011年4月21日木曜日

百子の花日記 94





95まで「花日記」を書いたと思っていたのに、93までだったとは。私もぼけたもんだ。かれこれ4ヶ月もお休みしてしまった。
なんて書こうかな!4ヶ月も休むと、気力も失せる。

2010年12月の花 オーストラリアでセロリを生けました
           セロリ、にんにく、フィンガーライム

2011年1月6日 オーストラリアで滞在したコテッジ傍の
          住宅地の花色々

2011年2月 暮に「わかさ農園」から貰った寄生木と庭椿

2011年3月 山口さんから頂戴したクリスマスローズ色々