2010年2月28日日曜日
考える皿
昨年11月、久し振りで栗駒の鈴木照雄君のところを訪ねた時の事は、一度「あまねや通信」に書きました。仙台のデパートで個展を控えた忙しい時でしたが、5月の地震被災後に改めて築き直した窯で焼いた作品を、たくさん見せて貰いました。その作品の事を前のブログでは書き漏らしましたので、ここで皆さんにお目に掛けようと思います。それら一連の仕事(おもに皿の類いでしたが)は、十数年前に当店で個展を開いた時の諸作品と比べると、大きく印象が変わっていました。作品に施された化粧の技法そのものは、指描きや流し掛けさらに鉄絵などで変わる事はありませんが、模様そのものの抽象度が高まり、いっそう“厳しい仕事”になっています。“渋め”の調子の皿類は、
それ自体が一個の考える主体の様にも私には見えて、それを“考える皿”と呼びたくなりました。10数年以前、信楽のMIHO美術館で古い信楽の壷類の大展観を見た事があります。海外の美術館収蔵の物もたくさん“里帰り展示”されており、欧米の人達がこれらの仕事を“抽象作品”として高く評価している事が伝わって来ました。鈴木照雄の新しい仕事の印象をしいて言葉にするとすれば、この時に見た信楽の壷類から受けた印象に近いものがあります。“皿を考える”のでなく“皿で考える”人、鈴木照雄。それが、タイトルの“考える皿”の意です。
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