2017年5月30日火曜日

最終回「山本教行作陶展」始まる


先週土曜日の27日、定期開催としては最後になる「山本教行作陶展」が始まりました。先回の催事片付けもそこそこに、10日間ほど留守をしたつけが廻って、掃除および「もの並べ」は初日前日の夕刻からで、最後の作業の値札を並べ終えたのは日を跨いで翌日午前3時を過ぎていました。150種250点程が並んでいます。初日の午前11時頃店に着くとすぐに、最初のお客様と山本さんの御入来。慌てました。何とか準備をすませて、長い初日が始まりました。

1階のぞきの模様
1階踊り場から2階にかけて
正面
棚前の舞台
珈琲碗十種
道路側と庭側の花
花入は白釉鎬水差と
象嵌扁壺
もう一つの花入れ
白釉鎬水差し
パーティーの御馳走
記念写真、三分の一の人はすでに御帰還
この日も自宅へは午前4時、疲れました

2017年5月20日土曜日

最終回「山本教行作陶展」のご案内



今月27日から6月11日までの約2週間の会期で行われる、当店に於ける定期開催最後の「山本教行作陶展」のご案内です。1984年に第1回展を開催して以来、延々33年の永きにわたって隔年で開催して来た「山本教行作陶展」を、ひとまず今回を持って最後といたします。初日の27日には山本教行さんも在廊予定で、夕刻からは一品持ち寄りのオープニングパーティーも開催いたします。どうぞこの機会にお出掛け下さい。


1984年当時、今泉にあった「あまねや工藝店」における第1回展から数えて33年。当店にとって初めて経験する個人作家の会であり、意気込んで準備に臨んだ「第1回展」の事は未だに忘れられません。以来、ほぼ隔年(2008年から八女で5回開催)で行って来た「山本教行作陶展」は18回(第0回プラス展を含む}を数え、山本さん御自身も今年で陶業50年の節目の年を迎えられました。メディアへの露出度も高く、今や「クラフト館岩井窯」は、年間来場者が1万人を数える一大観光スポットに成長。数年前には、社会への“暮らしに根ざした様々な働きかけ”に対して、「倉敷民藝館賞」が与えられるまでになりました。しかし、その結果として「岩井窯」そのもので山本作品や工房作品が不足気味になり、この際、諸処において開催していた「個展•作陶展」を整理縮小しない限り対応出来ない、との結論が出され、当店でも、今展をもって「山本展」の最終回になる旨のお知らせがありました。その事自体は非常に残念ですが、考えてみれば「地産地消」の焼物版の様なもので、「作陶活動」の一つの望ましい形かもしれません。祝意を表して最終回に臨みたいと思います。

「大坪浩遺作展 • 浦和展」本日最終日

今月10日に上京して、「大坪浩遺作展」の会場設営の手伝いをして来ました。PCを持参していなかったので、紹介が最終日の本日になってしまいました。ここ浦和会場では、展示作品点数も50点程。それらを柳沢さんが上手く案配して下さって、見応えのある会場構成になりました。まずは御紹介します。

画廊入り口にS4の「たんぼ」
会場二階から三階にかけての
吹抜壁にも鉛筆やパステルのデッサン
二階会場
三階会場左壁、小品が並ぶ
正面には三点の「たんぼ」
右壁に五点の「たんぼ • 切株」
入口右の袖壁にも4点の「たんぼ」
三階会場中央の鉛筆デッサン

2017年5月1日月曜日

大坪浩の “ 雲 ” について

大坪浩さんが繰り返し描いた画題の一つに「雲」があります。15歳まで過ごした中国東北部の広大な平原に現れる、雲や雨雲を眼にした体験が下敷きになっています。日本の風土ではおよそ考えられない目の届く限りの大平原。そこに突如現れる「雨雲」、その下だけ雨が降っている様子が見える。それを造型したのが、大坪さんの「雲」です。以下、そんな様々な「雲」を紹介します。

“旅する雲”と云う題の作 SM
この二点もSM、これはたんぼと
水路かもしれず。あしからず
“あめあめふれふれ” F4
雲(雨雲に見える) S4
元氣で闊達な“雲” F4
静かな“雲” F4

ここ30年、大坪浩の描いたモチーフは限られています。主に、たんぼ、雲、空と海、の三つです。私には、最初この絵が何だか判りませんでした。只々、美しい絵と呼ぶしかない絵です。しかし、三つのモチーフの内それが何かを考えれば、答えは明らかで「雲」以外考えられません。好きな絵を一点、並んだ絵の中から自由に選んで良いと云われたら、私はこれ、”あかね雲” F4を選びます。坂本繁二郎から学び得たものを、弟子である大坪の手で、60年近い画業の末、見事に造型された一枚の絵。明らかに、大坪浩の傑作の一つです。

“ 大坪浩の鉛筆デッサン ” について

2階正面の様子、白雲木が入りました
「大坪浩遺作展」の二日目が終わりました。今回の「遺作展」で最も数が多いのは油彩で大小取り混ぜて約20点、他にドローイング • 鉛筆デッサンによる裸婦 • パステルによる裸婦が、それぞれ4〜6点、全体で40点ほどになりました。

鉛筆デッサンによる裸婦
このうち、鉛筆デッサンによる裸婦5点のうち4点が、左手によるもの(画面に左の書き込みあり)です。わざわざ利き腕の右でなく左を使う表現自体、絵を描く人達によくある事なのかどうか私にはわかりません。大坪さん御本人は、生前左手を使う理由を、ご家族には「右手を使うと描きすぎるから」と、答えておられたそうです。
一見、奇を衒った答の様にも聞こえますが、私の知る限りの大坪さんは「奇矯」からは最も遠いところにいた人です。それから推察するに、この左手を使う理由は自らの手を縛る事で、スケッチブックの紙の上に表現される「人体表現」をより真実な表現に近づける、その事に対する大坪さんの努力であり、また敬意でもあった様に私には思えてならないのです。