連休中の「あまねや工藝店」の開店日についてお知らせします。すでにお知らせしております通り、4月29日は当店2階で、1977年に東京の「グループ現代」が製作したドキュメンタリー映画 林竹二の「授業」上映会の為、店は休みます。5月1日(月)2日(火)は休まず営業、3日(水)から5日(金)まではお休みを頂戴します。
連休中の「あまねや工藝店」の開店日についてお知らせします。すでにお知らせしております通り、4月29日は当店2階で、1977年に東京の「グループ現代」が製作したドキュメンタリー映画 林竹二の「授業」上映会の為、店は休みます。5月1日(月)2日(火)は休まず営業、3日(水)から5日(金)まではお休みを頂戴します。
桜から新緑へと季節が移り、初夏の風と陽が気持ちの良い季節になりました。とは言え、不安の多い日常を抱えながら生きている私達は、こうした風や太陽からの働きかけを通して、そこに無上の励ましと喜びを感じて、何とか毎日を生き続けて行けるのだと思います。 1977年、沖縄県那覇市の久茂地小学校の3年生と5年生の子ども達もまた、当日の授業者である林竹二を前にして、この不安を感じていたに違いない、と当の林竹二が自著の中で書いています。授業を、それぞれ資質も能力も違う子どもの中に眠っている「宝」を掘り起こす作業であり、また「魂の世話」とも言う、林竹二の授業が進むにつれ、この子ども達の心の中に大きな変化が生じ、面立ちが変わっていく様子を4台のカメラと10人程の現場スタッフで記録したのが、今回、皆さんにご紹介するドキュメンタリー映画の「ビーバー」(40分)「アマラとカマラ」(50分)です。このフィルムは「人間とはなにか」を子ども達に問いかけ、林自身も又考えると云う構成の映画で、いずれも東京の「グループ現代」が製作したものです。この度、7年ぶりで皆さんに見て頂く事になりました。今後の日取りは未定ですが、 ’79年撮影の「開国」(105分)、’83年「田中正造 -最後の闘い」(120分)、’84年「教育の根底にあるもの」(180分)を順次ご紹介していく予定です。申込はamaneya○(○を@に)gmail.comまで。早めの事前予約をお願いします。
日時 ’23年4月29日(祝日) 午後1時〜4時(予定)
場所 あまねや工藝店 2階
定員 20人 参加費 2000円
申込 あまねや工藝店 092−526−0662 子どもの本や 092ー552−1651
2019年の前回展以来、4年ぶりになる「原 陽子 個展」のご案内をいたします。今回は、銅版画の額装作品16点にドローイングの額装作品8点を加え、ドローイング集 “ note " とその特装版6部(オリジナル作品付き)を用意してみなさんのお越しをお待ちしています。
本日30日の午後、母クニの二十三回忌法要のため、菩提寺の御住持に自宅までお越し頂いて経を誦んで頂きました。出席者は我々夫婦二人だけの寂しいものでしたが、仕方がありません。幸いな事に暖かい一日でした。2001年1月28日(この日が命日です)は、牡丹雪が舞い積もり雷が鳴って、忘れられない「出立の日」になりました。 たまたま、その日は菩提寺の御住持(先代)が東京滞在中であった為、枕経を誦んでもらう事と葬儀を近所の筑前国分寺にお願いしました。 母クニは市立福岡商業高校で永く教鞭を執っていた為、教え子の方々を始め縁戚の者や私どもの友人知人を含め50人ほどの方々がご参列下さり、良い供養が出来たと今でも思っています。
さて、その2001年は私たち家族にとっても様々な事があり、忘れられない一年です。まず、私はその年の1月初めから2週間ほどに渡って、アイルランドとイギリスそしてデンマークを訪ねる旅をしました。同行者は友人で書家の前崎鼎之さんと長男の成一君。アイルランドに版画家のジョン・グラハムを、イギリスでは湖水地方に住む陶芸家の故エドワード・ヒューズを其々訪ねました。あらかじめ宿の予約はしてあるものの、パック旅行ではないので、自分達で窓口に行って列車の切符を買い、時に間違えながら乗り換えや食事をするという、いまでは当たり前かもしれませんが、大変刺激的な旅でした。テート・ブリテンでウィリアム・ブレークの大きな展覧会に行き当たり、ブレークのオリジナル作品を数多く見る事が出来たのもこの時です。 入院していた母が、この旅から私が帰るのを待っていたかの様に、帰国後1週間程して亡くなりました。
娘のいつきは、年が明けてすぐに、シドニー郊外のロリエン・ノヴァーリスという幼稚園から高校までが同じ敷地にあるというシュタイナー学校のClass12(高校3年生)入学のため渡豪。その年の9月に アメリカからメキシコに修学旅行の予定だったのですが、9月11日にニューヨークの世界貿易センタービル崩落事件が勃発、侃侃諤諤の議論の末、修学旅行は決行され、その頃からようやく自分の思う事を英語で話す事が不自由でなくなった、と娘から聞いています。 卒業後、国立美術学校に4年通いオーストラリア人の同性の親友も出来、結婚も経験して娘二人にも恵まれ、すでにオーストラリアの生活の方が日本のそれよりも長くなっています。息子のあまねは大学卒業後、スウェーデンのコンサルティング会社の日本支社に勤め始めて3年目位だったでしょうか、勤めを休んで葬儀に参加してくれました。
私は、’92年以来10年間続けて来た福岡市博物館のミュージアムショップの仕事に、この時から3ヶ月ほど穴を開けてしまい、結局、続けて行くのに大変なこの仕事を辞める事を決心、こうして2001年は始まり過ぎて行きました。