2023年1月31日火曜日

2001年を振り返る
母クニ二十三回忌法要の日に


本日30日の午後、母クニの二十三回忌法要のため、菩提寺の御住持に自宅までお越し頂いて経を誦んで頂きました。出席者は我々夫婦二人だけの寂しいものでしたが、仕方がありません。幸いな事に暖かい一日でした。2001年1月28日(この日が命日です)は、牡丹雪が舞い積もり雷が鳴って、忘れられない「出立の日」になりました。  たまたま、その日は菩提寺の御住持(先代)が東京滞在中であった為、枕経を誦んでもらう事と葬儀を近所の筑前国分寺にお願いしました。   母クニは市立福岡商業高校で永く教鞭を執っていた為、教え子の方々を始め縁戚の者や私どもの友人知人を含め50人ほどの方々がご参列下さり、良い供養が出来たと今でも思っています。

さて、その2001年は私たち家族にとっても様々な事があり、忘れられない一年です。まず、私はその年の1月初めから2週間ほどに渡って、アイルランドとイギリスそしてデンマークを訪ねる旅をしました。同行者は友人で書家の前崎鼎之さんと長男の成一君。アイルランドに版画家のジョン・グラハムを、イギリスでは湖水地方に住む陶芸家の故エドワード・ヒューズを其々訪ねました。あらかじめ宿の予約はしてあるものの、パック旅行ではないので、自分達で窓口に行って列車の切符を買い、時に間違えながら乗り換えや食事をするという、いまでは当たり前かもしれませんが、大変刺激的な旅でした。テート・ブリテンでウィリアム・ブレークの大きな展覧会に行き当たり、ブレークのオリジナル作品を数多く見る事が出来たのもこの時です。      入院していた母が、この旅から私が帰るのを待っていたかの様に、帰国後1週間程して亡くなりました。

娘のいつきは、年が明けてすぐに、シドニー郊外のロリエン・ノヴァーリスという幼稚園から高校までが同じ敷地にあるというシュタイナー学校のClass12(高校3年生)入学のため渡豪。その年の9月に アメリカからメキシコに修学旅行の予定だったのですが、9月11日にニューヨークの世界貿易センタービル崩落事件が勃発、侃侃諤諤の議論の末、修学旅行は決行され、その頃からようやく自分の思う事を英語で話す事が不自由でなくなった、と娘から聞いています。    卒業後、国立美術学校に4年通いオーストラリア人の同性の親友も出来、結婚も経験して娘二人にも恵まれ、すでにオーストラリアの生活の方が日本のそれよりも長くなっています。息子のあまねは大学卒業後、スウェーデンのコンサルティング会社の日本支社に勤め始めて3年目位だったでしょうか、勤めを休んで葬儀に参加してくれました。

私は、’92年以来10年間続けて来た福岡市博物館のミュージアムショップの仕事に、この時から3ヶ月ほど穴を開けてしまい、結局、続けて行くのに大変なこの仕事を辞める事を決心、こうして2001年は始まり過ぎて行きました。

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