2018年5月1日火曜日

忘れられないもの 38 もの並べ

会場写真

ここで云う「もの並べ」とは、私の仕事の「現場」であり大事な「舞台」でもある以下の場所、八女の旧「朝日屋酒店」、同じく「高橋宏家」、京都の「せんきた工藝店」や浦和の「柳沢画廊」そして「倉敷民藝館•特別展示室」等で、折にふれ、私が行(おこな)って来た催事毎の展示、並びに「あまねや工藝店」で季節の変り目や催事のたび、「のぞき」や二階会場に、その時々の展示物や出品物の納まりを案配(あんばい)して並べる事、を言います。
つい先日(2018年4月1日)終了した「中野知昭個展」の時も、この「もの並べ」をやりました。写真でご覧頂いているのはその時の様子です。考えてみれば、これまで40年近い「あまねや工藝店」の仕事の一つとして、催事の度におそらく延べで200回以上、様々な「もの」を並べて来た事になります。しかし、そこそこ「もの並べ」と云える様な案配が自覚的に出来る様になったのは、ようやくここ20年程の事です。以下に述べる様な、切っ掛けがあっての事です。

中野さんの諸作とR • ゴーマンの作品三点

「あまねや工藝店」で催しをやる時、それが大きな催事であれば、
一 • 二階に並ぶ品物のほとんどを取り払い、店の中を空(から)にした
状態でその催事の品を並べます。普段の、賑やかに物が並んだ状態に比べると、一人の作り手が作った物、或は催事用に選ばれた品々(東北地方の諸産品や出雲の焼物等)だけが並ぶ訳ですから、空間自体も並んだ物も真(まこと)に美しく見え、結果としてこれを見る人達に対する物の訴求力がいや増します。
これまで、六人の作り手(山本教行 • 柴田雅章 • 鈴木照雄 • エドワード•ヒューズ • 大澤美樹子 • 名取敏雄)の個展、また東京の当時「バザール岩立」と云っていた、岩立廣子さんの貴重なインドのコレクションの展示、そして出雲の「出西窯展」の時と盛岡「光原社」にお世話頂いた「北の手仕事展」の時に、それを行いました。それでも、全体として見ればさほどの数ではなく、これまでの39年で、回数にして20回程でしょう。

もの並べ前
もの並べ後、写真は2015年のもの

さて、1990年代の半ば頃だった様に記憶していますが、或る年の「山本教行展」の時の事。それまでの「山本展」では、作品は必ず前日までに到着する様に、トラック便で送るなり御自身で持って来るなりして準備し、一気呵成に「もの並べ」をやってしまうのが山本さんの常でした。そんな山本さんの手際の鮮やかさを、何処かで私は宛てにし、楽しみにもしていた訳です。ところが、その年に限って「 どうしてもその日は予定がたたず、伺えない。荷物を送るので、物を並べるのは貴方がやってくれ 。」とこう仰るのです。
さて、開梱(かいこん)はしたものの、大きな段ボール箱十箱分程の大量の作品を前にして、「さぁー、大変な事になった!」と途方にくれました。しかし、会の初日を翌日に控えた金曜日ですから、とにかくやるしかありません。細君と二人、一階と二階を行きつ戻りつして、少しづつ少しづつ展示作業を進めて行きました。それまでの個展の時も、値札のカードを書いたり花を入れたりして、帰宅が午前3時を過ぎる事は度々でしたが、この時はその時刻を過ぎても目処(めど)が立ちません。こうして、なんとか全ての作品を並べ終え準備が整ったのは、日を跨いだ初日の開店数時間前でした。
後日、会場入りした山本さんから、この「もの並べ」に対して合格点を頂戴し、ようやく自分の「もの並べ」に少し(本当に少し)自信が持てる様になったという訳です。


ところで、写真で見て頂いている「中野展」は、空いた壁に掛ける様な平面の仕事がありませんから、そこを埋めるのがなかなか難しいのです。考えて、アイルランドの画家リチャード•ゴーマンの不透明水彩(グアッシュ 中央の作品)一点と左右に二点の油彩を掛けました。掛けてみると、半ば予想していた通り、中野さんの漆器諸作と何処かで響き合う様な雰囲気が会場に生まれて、本当に嬉しくなりました。「もの並べ」の、これが醍醐味です。その上、初日に来て下さったお客様の一人が、ご自宅の茶室の茶掛けに使いたいと仰って、中央に掛かるグアッシュをご予約下さったのです。私には思いも寄らない嬉しい使い途です。配達がてら、R•ゴーマンのグアッシュが掛けられた茶室を拝見に行こうか、と思案中です。

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