“ Diptych Ⅱ ” 縦75cm×横100cm |
アイルランド人の版画家 John Graham の作品を初めて目にしたのは、1997年6月に本屋の店頭で手にした美術雑誌「日経アート」の記事中で、浦和の「柳沢画廊」に於けるJ•グラハムの日本初個展の紹介文と共に、作品の写真数点が同誌に掲載されていたのです。
その条(くだり)を、後に当店に於ける三回目の個展(2001年)の案内状に、私は次の様に書いています。「 ’97年の6月、美術雑誌のページ上に J・グラハム作品の写真を見出した時、親しみと同時にその作品の持つ表現の新鮮さに強く惹かれました。それはまるで一目見て人を好きになる様に私を大胆にし、連絡先であった浦和の柳沢画廊に、その日の中に電話をし、福岡での個展開催の申し入れをしたのでした。しかし、柳沢さんを通じて申し入れをしたジョンとの一回目の交渉は上手く行きませんでした。よく考えれば当たり前ですが、どこの誰ともわからない人物からの申し入れが、そう簡単に受け入れられる筈がありません。(Johnの側からの「初回作品半量買い取り」の条件提示で)諦めかけた処に、福岡書芸院主幹の前崎鼎之さんから、「全面的に支援する」との有難い申し出があり、’98年の春に書芸院一階の「ギャラリー聚」で第一回展開催の運びとなったのでした。<後略>」
日本では、未だ一般には馴染みの薄い版画の技法、カーボランダム
プリントと呼ばれる黒一色、或は黒と灰二色の太い(ある巾を持った表情のある)線を組み合わせた彼の造型は、何処か「書」の表現にも通ずる強さと新鮮な魅力を持っていて、J•グラハムの版画に一目で私は魅せられました。
さて、J•グラハムは1962年ダブリン生まれ。父親が工場労働者であった為に貧しく、27歳まで大学進学が出来なかったと聞きました。母校の美術大学では、版画の刷り師としての勉強をし、後に版画家に転身。カーボランダムを始めとして、エッチングやアクアチントなど多様な技法を用いて、魅力的な作品を数多く作り出しています。
プリントと呼ばれる黒一色、或は黒と灰二色の太い(ある巾を持った表情のある)線を組み合わせた彼の造型は、何処か「書」の表現にも通ずる強さと新鮮な魅力を持っていて、J•グラハムの版画に一目で私は魅せられました。
さて、J•グラハムは1962年ダブリン生まれ。父親が工場労働者であった為に貧しく、27歳まで大学進学が出来なかったと聞きました。母校の美術大学では、版画の刷り師としての勉強をし、後に版画家に転身。カーボランダムを始めとして、エッチングやアクアチントなど多様な技法を用いて、魅力的な作品を数多く作り出しています。
中でも、忘れ難いのは「ギャラリー聚」における第一回展に出品された“Four Figures”と名付けられた黒一色のカーボランダムプリント
四枚一組の大きな作品(各 横100cm × 縦150cm 写真はDublinのGreen on Red Gallery での展示の様子)で、展示のために4×8(120cm × 240cm)の合板パネル四枚を用意して、それぞれに作品
一枚ずつを留め付け、二枚一組を屏風の様に角度を付けて立ち上げた時のその偉容、圧巻でした。国籍も時代も違いますが、私の目には
棟方志功の板画「釈迦十大弟子」を彷彿させる、何か得体の知れない
凄まじいエネルギーのほとばしりを感じさせるすごい表現に見えました。「生まれたての表現」に出会う事が出来た喜びの記憶と共に、John Grahamは私にとって忘れられない版画家です。
四枚一組の大きな作品(各 横100cm × 縦150cm 写真はDublinのGreen on Red Gallery での展示の様子)で、展示のために4×8(120cm × 240cm)の合板パネル四枚を用意して、それぞれに作品
一枚ずつを留め付け、二枚一組を屏風の様に角度を付けて立ち上げた時のその偉容、圧巻でした。国籍も時代も違いますが、私の目には
棟方志功の板画「釈迦十大弟子」を彷彿させる、何か得体の知れない
凄まじいエネルギーのほとばしりを感じさせるすごい表現に見えました。「生まれたての表現」に出会う事が出来た喜びの記憶と共に、John Grahamは私にとって忘れられない版画家です。
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