私が「民藝」と云う言葉に初めて出会ったのは、大学入学後間もない1970年の夏。レポートの宿題で、課題図書の中から選んだ岡倉天心著「茶の本」(岩波文庫★)の、手掛かりになりそうな参考書を探しに東京 お茶の水の古書街に出掛けて見つけた、柳宗悦の「茶と美」(1952年乾元社刊)の文中です。今にして思えば、藍色木綿で装(よそ)われた本体に茶の手漉揉紙(てすきもみがみ)のカバーが掛けられた、その外見(そとみ)の美しさに惹かれたのかもしれません。その後、「茶の本」をどう読んでどうレポートを書いたのか、今は全く覚えていません。しかし、これが’72年春、倉敷民藝館初代館長 外村吉之介(とのむらきちのすけ)先生との出会いにつながる訳ですから、よくよくこの世界と御縁があったのでしょう。
抹茶を飲み始めたのも’72年頃からです。既に出入りする様になっていた駒場の日本民藝館の台所で、陳列替えや民藝館展準備のお八つ時に、他の手伝いの若い人達ともども、当時、日本民藝館主事であった浅川園絵(あさかわそのえ)さん〈故浅川巧氏息女〉が、例えば苗代川(なえしろがわ)焼の蕎麦掻碗(そばがきわん)に点てて下さった茶を、到来ものの様々な菓子(こちらの方が楽しみでした)と一緒に、格別うまいとも思わず飲んでいた様な気がします。点茶の稽古は始めて10年以上がたちます。私にとって点茶の愉しさは、何といっても身の廻りの品々を見立て使いして、その場にいる人達皆とその喜びを共有出来る事につきます。今回、皆さんに御紹介する四種の茶碗も、そうやって、点茶の稽古で楽しく使ったものばかりです。
最初は、李朝時代の会寧(かいねい)の碗です。朝鮮半島北部の仕事で、中に湯を注ぎ入れると、柔らかく白い糠釉(ぬかぐすり)の景色が夜空に浮かぶオーロラの様に現れ出る不思議な碗です。四囲の自然がそうさせるのか、民族や文化の違いを超えて、素朴ながら強い調子を持つ日本の東北地方の焼物に通じる印象があります。(径14cm高さ10.5cm 推定)
次の写真右側、李朝時代 祭器の白磁小碗です。端反気味の口縁を持つこの碗の姿の美しさと、碗が掌(たなごころ)にすっぽり納まった時の、何とも言えぬ気持ちの良い重さが魅力です。(径11cm高さ8.5cm) 同じ写真左側の飴釉小碗は武雄系唐津の仕事です。裏を返すと、生き生きとした高台廻りの削りの見事さに眼を奪われます。(径10cm高さ7.5cm )
最後は、型ものとして数多く作られた中国宋代の白磁の平茶碗です。重ねて焼くため口縁に上釉(うわぐすり)が掛けられておらず、そのままでは口当たりが悪いので覆輪しました。抹茶の緑がひときわ冴え冴えと美しく見えます。(径17.5cm高さ5.5cm)