2017年6月27日火曜日

第11回「西川孝次吹きガラス展」のお知らせ


紫陽花の美しい季節になりました。さて、暑い季節に好んで使われるガラス器が、眼がくらむほどの溶けたガラスの眩しさとガラス窯廻りの厳しい暑さの中で生み出される事情は、近年知る人が多くなりました。また、硝子器制作中は窯の火を落とさない、村松学さんの様な人もいれば、毎朝、窯に火を入れて温度が上がるのを待ち、決めた数だけガラスを吹くと火を落とし、風呂に入ってビールを一杯、という西川さんの様な人もいる訳です。これは良い悪いの問題でなく、作り手が仕事を覚えた場所の「文化の違い」に帰すべき問題でしょう。ただそれが、吹かれて形になるガラス器の違いや作り手の「人となり」とも重なって、興味深く面白い問題です。ところで、今展DM用に送られて来た品々は、お酒の好きな西川さんらしく冷酒を美味しく頂けそうなグイノミや盃です。もちろん用器ですから、具体的な使い途は皆さん方に考えて頂くとして、どうぞご覧になりにお出掛け下さい。


● 7月第4週から8月15日まで、作品の一部が旧八女郡役所内に移転した「朝日屋酒店」に巡回します。お問い合わせは朝日屋酒店(TEL 0943-23-0924)まで。

2017年6月22日木曜日

「山本教行作陶展」最終回を終えて


山本教行様 この度も「作品提供」という形で、当店開催18回目の作陶展に御協力頂きまして、まことに有難うございました。催事終了後、こちらに残すものやお返しするものを選びながら、改めて一回の「作品展」を準備する作り手側の大変さに気づかされた思いです。
これを八女での展観も含めますと二十数回もやって頂いた訳ですから、只々感謝の他ありません。また、仕事を傍で支え続けて来られた奥様の房江さん始め、ご家族やお弟子の方々にも感謝申し上げます。細君の百子が、自宅の庭に様々な花を用意し、御作の花入れに花を生ける喜びを覚えました事も、「作品展」の始まりました1984年には想像もしなかった事です。そして、ほとんど山本さんに頼りっぱなしであった会場の「もの並べ」を通して、「売り手」の私もまた、作る“ 楽しさと喜び ”を具体的に教えて頂けた様な気がしています。


さて来る七月一日は、“ あまねや工藝店 ” 開店38周年の記念日にあたります。当日は、珈琲美々 • 吉富寿司 • あまねや工藝店、三店合同の永年継続祝いを“ 吉富寿司 ”を会場に20人程の人達と祝う事にしています。と申しますのは、昨年12月7日に“ 美々 ”の森光宗男が出張先の韓国で客死。以来、現世に於ける自分の持ち時間を強く意識する様になり、それが40周年に当たる再来年でなく38周年の今年、「三店合祝」開催を思い立った理由の一つです。ところで、今秋から来年に掛けて二人の、いずれも三十代半ばと若く元気な焼物を作る人達と催事をやる事になっています。長い間、山本さんの作られるものを眺めて来た目で見ると、彼らの造型には未だ物足りない処が多く、充分に満足は出来ませんけれども、具体的な諸々のもの(暮らし振りも含む)を通して、山本さんから頂戴した“ 物差し ”を、彼らに伝えるべく努力するつもりです。それが又、私に出来る唯一の事である様に思うのです。33年の感謝をこめて   あまねや工藝店 川口義典 拝

2017年6月5日月曜日

忘れられないもの 25 化粧陶器三種


店に並んでいる焼物をひと渡り眺めて気がつくのは、そこに並ぶ品々のうち無地の仕事は比較的少なく、焼物の表(おもて)に様々に工夫された技法で何らかの化粧を施したものがほとんどだ、と云う事です。もっとも、ここは「あまねや工藝店」なので、化粧を施したと云ってもデパートの売り場等で時に目にする、描き手の筆力が問われる写実的な花鳥風月を題材にした絵皿の様なものはありません。ここで、化粧(技法)の種類を、当店で数の多い「小鹿田(おんだ)焼」を例に、その名を挙げてみましょうか。刷毛目•打刷毛目(うちはけめ)•飛びかんな•打ち掛け•流し掛け•櫛描き•指描き•いっちん等々、これに他窯の仕事、面取り•しのぎ•点打ち•象嵌(ぞうがん)•掛け分け•押し紋•赤絵•金銀彩•三彩•搔き落とし、それにスリップウェア(練り上げ•練り込みを含む)を加えれば、現在工藝の領域で仕事をしている作り手が用いる技法の、八割方を網羅していると申し上げても良いでしょう。

しかし、当然ながら、これらの諸技法を使い安定した数物(かずもの)の日常雑器を作るには、時間を掛けた修練(高名な益子の陶芸家•濱田庄司は一種に付き一万個、と云っています)が必要です。ただ、ごく一部の技法(赤絵や染付など)を別にすれば、仕事の数をこなす事によって個々の作り手の力(技術や感性)の差が、形になる器の出来不出来に極端な影響を与えにくいのが、これら諸技法を用いる理由の一つでもあるのです。
この事でいつも思い出すのは、岡山市郊外•寒風(さむかぜ)の地にあった「寒風春木(さむかぜはるき)窯」の仕事です。親方である故•沖塩春樹(おきしおはるき)氏の作った見本を、(私が伺っていた頃は)お弟子二人が沖塩さんと共に数に移し、春と秋の年二回、六室もある大きな登り窯を焚いて、日常の食器を中心にした仕事を続けておられました。その際、沖塩さんが作られる「数に移す見本の品」の眼目は、誰が作っても個人の力(例えば親方と弟子)の差が出にくい技法を用いて食器を作る、その事です。ちなみに「寒風春木窯」で多用されていた技法は、刷毛目•しのぎ•掛け分け•指描き•いっちん•貼付け紋などで、このほか成形の際の高台の削りを、難度の高い味っぽい削りにせず、清潔な削りにするなどの工夫を加え、一貫して嫌味のない質の高い食器を作る事で、皆に喜ばれる人気の高い窯であり続けた訳です。


さて、今日御紹介する最初の品は、山陰地方で手に入れた口付きの雲助(肩径40cm 高さ40cm)です。肩に白い化粧土を見事に流し掛けています。冴えた手腕です。


次は、胴に灰釉の打ち掛けを施した丹波焼の切立の小甕です、どうと言って特別な処のない品ですが、心惹かれます(径25cm 高24cm)。


最後は白い泥奬(でいしょう)を、恐らく一•二本の筒口が付いた道具で大鉢の表面一面に流し描き、上から針の様な尖ったもので引っ掻いて作った模様(フェザーコーム)を施したイギリス19世紀の大きなスリップウェア(縦40cm 横50cm 高さ12cm)です。