店に並んでいる焼物をひと渡り眺めて気がつくのは、そこに並ぶ品々のうち無地の仕事は比較的少なく、焼物の表(おもて)に様々に工夫された技法で何らかの化粧を施したものがほとんどだ、と云う事です。もっとも、ここは「あまねや工藝店」なので、化粧を施したと云ってもデパートの売り場等で時に目にする、描き手の筆力が問われる写実的な花鳥風月を題材にした絵皿の様なものはありません。ここで、化粧(技法)の種類を、当店で数の多い「小鹿田(おんだ)焼」を例に、その名を挙げてみましょうか。刷毛目•打刷毛目(うちはけめ)•飛びかんな•打ち掛け•流し掛け•櫛描き•指描き•いっちん等々、これに他窯の仕事、面取り•しのぎ•点打ち•象嵌(ぞうがん)•掛け分け•押し紋•赤絵•金銀彩•三彩•搔き落とし、それにスリップウェア(練り上げ•練り込みを含む)を加えれば、現在工藝の領域で仕事をしている作り手が用いる技法の、八割方を網羅していると申し上げても良いでしょう。
しかし、当然ながら、これらの諸技法を使い安定した数物(かずもの)の日常雑器を作るには、時間を掛けた修練(高名な益子の陶芸家•濱田庄司は一種に付き一万個、と云っています)が必要です。ただ、ごく一部の技法(赤絵や染付など)を別にすれば、仕事の数をこなす事によって個々の作り手の力(技術や感性)の差が、形になる器の出来不出来に極端な影響を与えにくいのが、これら諸技法を用いる理由の一つでもあるのです。
この事でいつも思い出すのは、岡山市郊外•寒風(さむかぜ)の地にあった「寒風春木(さむかぜはるき)窯」の仕事です。親方である故•沖塩春樹(おきしおはるき)氏の作った見本を、(私が伺っていた頃は)お弟子二人が沖塩さんと共に数に移し、春と秋の年二回、六室もある大きな登り窯を焚いて、日常の食器を中心にした仕事を続けておられました。その際、沖塩さんが作られる「数に移す見本の品」の眼目は、誰が作っても個人の力(例えば親方と弟子)の差が出にくい技法を用いて食器を作る、その事です。ちなみに「寒風春木窯」で多用されていた技法は、刷毛目•しのぎ•掛け分け•指描き•いっちん•貼付け紋などで、このほか成形の際の高台の削りを、難度の高い味っぽい削りにせず、清潔な削りにするなどの工夫を加え、一貫して嫌味のない質の高い食器を作る事で、皆に喜ばれる人気の高い窯であり続けた訳です。
さて、今日御紹介する最初の品は、山陰地方で手に入れた口付きの雲助(肩径40cm 高さ40cm)です。肩に白い化粧土を見事に流し掛けています。冴えた手腕です。
次は、胴に灰釉の打ち掛けを施した丹波焼の切立の小甕です、どうと言って特別な処のない品ですが、心惹かれます(径25cm 高24cm)。
最後は白い泥奬(でいしょう)を、恐らく一•二本の筒口が付いた道具で大鉢の表面一面に流し描き、上から針の様な尖ったもので引っ掻いて作った模様(フェザーコーム)を施したイギリス19世紀の大きなスリップウェア(縦40cm 横50cm 高さ12cm)です。