人間が「暮らしの道具」を作るにあたって、身近な素材としての「陶土の発見」がいつの事であったのか、正確には知りません。縄文前期にあたる約一万二千年前の土器が発見されている、との記述を信ずれば、驚くほど昔にその「発見」がなされている訳で、名前も知らないその発見者に私達は大いに感謝しなければなりませんね。
さてその後、五世紀の半ばに朝鮮半島を通じてロクロや高温焼成出来る窯などが伝えられ、いま身の回りにふんだんにある焼物が私達の前に姿を現すわけです。今回ご紹介する品は、自宅玄関前の大甕三つです。ここに据えられた時期は異なりますが、いずれも明治から江戸期のものです。
後ろ二つが越前•織田窯の仕事で左は野壺、右は水甕です。
手前の、海鼠釉のたっぷり掛かった大甕は友人の鈴木照雄
から貰ったもので、堤窯の水甕です。
倉敷民藝館初代館長の外村吉之介(とのむらきちのすけ)は、ある冊子の中で「野壺は焼物の王様」と喝破しました。土に埋もれて実用に徹した“奉仕(サービス)”の究極の姿。牧師であった外村らしい言葉だと思います。(径50~70cm 高55cm~75cm)