2010年11月9日火曜日

BANGALOW日記 4
グリーンスムージー




最近自家栽培のホウレンソウや、地元の農業市場で売っている有機栽培のケールを使ってスムージーを作り飲んでいます。ケールをご存じない方には青汁に入っていると言ったら分かりやすいでしょうか。果物と混ぜるのでおいしくて飲みやすく、体の芯からきれいになったような爽快な気分になります。

作り方は簡単。

  • ケールあるいはホウレンソウなどお好みの緑の葉野菜
  • バナナを冷凍したもの 
  • 旬の果物
  • 有機ジュース(林檎や梨など)

以上の材料をお好みの割合でブレンダーに入れて混ぜてできあがり
実輪も沙夜もこの Green Smoothie が大好きです。
最近は夏も近づき、マンゴーが旬なので小さく角切りにして一緒に入れています。ミントを入れたりしてもおいしいです。
ぜひお試しください。

2010年11月7日日曜日

私たちは“何を”売っているのか?
河村典子さんと会って考えた事


昨日、河村典子さん(写真の向かって右側の女性)と2年半ぶりにお会いし、またお話もして、ここしばらく自分の中で抱え続けている事柄を“解きほぐす糸口”を見つけた様な気がして、この一文を書いてみる気になりました。

河村さんはスイス・チューリッヒ在住のヴァイオリニストで、日本とスイスを行き来しながらコンサート活動を続けている女性です。
出会いは2年半前、古い友人・U君の湯河原の別荘で行われた河村さんの演奏会でした。その時も今も、J・S・バッハの“無伴奏ヴァイオリンソナタ・パルティータ”を演目として引っさげ、それらを様々な場所(新宿・ゴールデン街の9人も入れば一杯になる様な小さなバーから、東大寺二月堂や熊野古道・北参籠所まで)で演奏する事を通じて、自らの世界を拡げようとしている人です。

もともと、河村さんはチューリッヒに本拠地を置く“チューリッヒ歌劇場管弦楽団”の団員として活躍していたのですが、同じ楽団の友人の死を切っ掛けに退団。その後、フリーとして生きる道を選び、現在に至っています。経済的な条件の良い楽団を辞め、厳しいに決まっているフリーの道を選ぶのは何故か?私が、“自ら抱え続けている問題を解きほぐす糸口”と言ったのは、この事です。(あまりにロマンチックな思い入れは危険だと承知しているつもりですが、あえて書きますと)
つまり、河村さんの選択とは、人間として自分に残された時間を“組織”の中で託された役割を生きる事でなく、“河村典子個人”として世界と出会い自分を生き切ろうとする、そんな人間としての根源的な欲求に基づく選択である様に、私には思えてならないのです。

私自身がやっている事もまた、形こそ違え、“個人として世界と出会う場”を「あまねや工藝店」に定め、そこから私自身の人との関係を紡ぎ出しているつもりです。河村さんの場合はヴァイオリンと云う楽器で奏する音楽を通して、また私の場合は店に列べる工藝品を選び、売る行為を通して、自らを表現し他人(ひと)と、そして世界とつながっていく事が出来ている。河村さんとお話しして、ありありと実感出来たのはその事です。

2010年11月6日土曜日

やって来た“言葉”


10月29日。人吉での個展初日を、翌日に控えた山本教行さんが来店。お昼を御一緒した後、京都から到着したばかりの品々の中から、あれこれ選んで買物をして下さいました。何の話からだったのか、
私が師匠の外村先生の書かれたものを、最近まで一枚も持っていなかった話をすると、倉敷民藝館で講演をした際に、お礼に貰った色紙を私に下さると云うのです。
後日届いたその言葉、「無名潔し」。何と、私にピッタリの言葉ではありませんか!もう一枚、Y社のOさんのお世話で、最近手に入れた「無地極上」の軸。軸装のやり直しをしなければならず、お目見えにはもうしばらく掛かりますが、乞うご期待!

2010年11月5日金曜日

百子の花日記 82
10月に生けた花






11月5日。10月に生けた花。
上から、西川孝次作 ガラス花入れ 赤水引、ヨメナ、ミゾソバ、
畔地のセンダン草、クワクサ
西川孝次作 手付き緑瓶 白ホトトギス、野バラ
出西窯 焼き〆水差し グアバの実
柴田雅章作 ドラ鉢 金水引、赤ゲンノショウコ、コミカン草
トルコ水差し シュウメイ菊

大阪と京都に行きました






「北の手仕事展」が始まる直前の18日。夜行のバスで大阪に行きました。大阪日本民藝館で開催中の「民藝運動の作家達展」を見る為と、京都のGで催される特別展参加の為です。翌19日の早朝、千里中央で長男の嫁・M子と待ち合わせて、モノレールで大阪日本民藝館へ。
館蔵品で構成された展覧会とあって、日頃見る事の出来ない沢山の武内晴二郎作品や、珍しい藤井佐知女史のスリップウェアの仕事等が並んでおり、見応えがありました。その後、館の職員の方に勧められて、国立民族学博物館で開催中の「エル・アナツイの世界展」へ。

見終わって、阪急・烏丸線で京都Gの寺町店へ。そこから、スタッフ男性の運転で、久し振りの大原倉庫へ。会場に着いてみると、なんと久しく会わなかった江津のKさんが居るではありませんか。びっくりしました。聞けば、私がやって来ると云うので、急遽参加を決めたのだとか。今回の特別展・中国辺境の少数民族の品々の中で、選べるものが少なからずあり、久し振りで買物の楽しさを味わいました。その夜の夜行バスで東京に戻るM子を、江津のKさんとGのスタッフの方々に委ねて、私は新幹線で博多に戻りました。慌ただしい日程でしたが、楽しい時間でした。画像は、有名な万博モニュメント「太陽の塔」を背景にM子。2枚目は、エル・アナツイ展、次が、Gの大原倉庫。そして、グラヴィールを施したインドのコップ2種。最後が、以前道具屋のUで買ったのと同じインドの真鍮の薬缶。手前が、現在使用中のちょっと汚い(空焚きなどしてしまいましたからね)薬缶。奥が、新品のピカピカの薬缶。嬉しかったなー!

2010年11月3日水曜日

北の手仕事展に寄せて 2
蟻川紘直さんの事


25年近く前の事になります。
あまねや工藝店で、初めて「蟻川工房ホームスパン展」を開催し又それに伴う講演会を企画した時、当店に代わり「福岡県工業試験場」が往復の飛行機代を負担して下さるというのです。
当然、そこには交換条件がありました。その条件とは、福岡在住の織り手の人達を集めた講演会の中で、蟻川さんがやっておられた織物技術のすべてを明らかにする事。当時から、大人(たいじん)の趣のあった蟻川さんは、動ずるふうもなく受け入れて下さいました。
その後、福岡では織り手の間で「昼夜織」(蟻川工房製の大判ストールに使われている技法)が大流行。今は忘れられている“福岡の織物界”に対するこんな貢献も、蟻川紘直さんはしています。

さて、今回の「北の手仕事展」にも蟻川工房のマフラーや大判ストール等が、たくさん出品されました。中でも、私が大いに感心したのは2点の服地です。1点目の「茶格子服地」は、向かって左の“のぞき”の中に。2点目の「緑ミックス服地」は、1階から2階に上がる右手の吹き抜けの板壁に、それぞれ掛けました。あくまで個人的な見解ですが、この「茶格子服地」が今回の「北の手仕事展」に出品された仕事の中で、一番の仕事だと思いました。
蟻川さんが亡くなって、今年で13年。蟻川夫人・喜久子さんから、工房を託されて主宰している伊藤聖子さんの中に、蟻川工房の仕事の「芯」がきちんと継承されている事が、ありありと見える仕事振りで私は嬉しくなりました。私同様、“のぞき”の中の服地に魅かれて店に入って来られたお客様や、板壁に掛けられた服地に「心がざわめいた」と仰るお客様もあって、意を強くしました。

2010年11月2日火曜日

百子の花日記 81


「女子会」メンバーの智恵さんから、写真が送られて来ました。彼女がお母さんと、伊勢神宮に行った時に撮った写真です。あまりに美しいので、載せました。杉か檜の様に見えます。その樹に触れると、とても気持ちがいいのだそうです。