2011年8月24日水曜日

案内状の作り方


9月中旬から下旬に掛けて「八女・高橋宏家」で、また10月初旬に「あまねや工藝店」で、それぞれ開催予定の「十八番の会・五人展」の催事DM撮影のため、今日24日の午前中、南区の「スタジオTech」に、撮影用の品々と小道具を運び入れました。この度の催事は、企画から実施までの期間が短い為、多くの人に迷惑を掛け実現が危ぶまれましたが、なんとかゴールに辿り着きました。

さて、まず催事の日取りが決まると、催事撮影用の品を「作り手」の方に送って頂き、到着した品を眼の前に見ながら私担当の文章原稿をひねり出します。その目処がついた処で、それらの品をTech の藤田孝介さんに撮影して貰う事になります。今回の様に5人の作り手の品を同時に並べるのは初めてなので、まずデザイン担当のIさんにDM作りの相談をいたしました。そして、送られて来た作品の中から撮るものを粗選びした後、それらの品をこんなイメージで、と云う大枠については私が決めています。その上で、画面構成その他については、全面的に藤田さんにお任せしています。

ある時期、物選びから構成までのすべてを自分だけでやっていた事もありますが、どの催事も同じ様な構成になって自分でうんざりし、写真撮りに関しては藤田さんにお任せする様にしたのです。その後、撮った写真のデータをデザイナーのIさんに送り、案内状の形に整えて貰って、それを印刷会社に廻すのです。デザイナーのIさんとしては腕のふるい様がなく気の毒ですが、それ以来、ほぼ間違いなく良い案内状が出来る様になった気がします。さて、今回の案内状の写真はとても良い写真が撮れました。

2011年8月20日土曜日

百子の花日記 116(番外編)




7月28日、29日の事。物の気配がした。階段下で洗濯物を干している後ろでシュウーと何かが動いた。階段の一番下のゴチャゴチャした処で、何かがこちらを見ている。ネズミだったら大変と、あちこち閉めて、二階も閉めに行った。捕まえようと階段を下りて来たら、閉めたと思った板戸が20cm程開いていた。おかしいなー、確認したのに。そして、物の気配は消えている。でも、いたらまずいので、階段下のものを除けながら、たしかめに掛かった。ホコリの山である。延々と片付けて、夕方まで。あれは何だったんだろう。マックロクロスケだったのかなー。不思議な気分だけが残った。

片付けに飽きた頃に、恒例の水遊びの誘いがあり、翌日、深江の海に泳ぎに行く事になった。7月の初めから家の片付けに忙殺された、その状態からやっと解放される。もののけ(?)、ほこり(?)に振り回された掃除は中断。明日は海だー!29日朝から快晴。午後3時15分に待ちあわせ深江の海で7時頃まで遊んだ。夕方、上げ潮にのって、あさり貝に似た2枚貝が沢山浜辺に打ち上げられ、波が引くと、貝は砂に潜ろうとして、プルプルと身体をたてて揺する。その姿が、なんともユーモラスで愛らしい。暫く眺めていたが、味噌汁の実に拾う事にした。皆それぞれが袋一杯の収穫。夕陽をながめ、温泉に入り、友の手作り料理を頂き、満天の星空を眺めて帰路についた。楽しい一日でありました。おまけは306個の貝を味噌汁で頂き、貝殻を並べて遊び楽しんだ事。



2011年8月15日月曜日

百子の花日記 115(番外編)






7月の初め、ひよどりが枇杷の木の枝に、巣を作り始めました。8月の上旬になると、卵を温めて、ヒナが孵りました。毎日、何度となくえさをとっては噛み砕いて、ヒナに与えています。親鳥がいない時に巣の写真を撮ろうとして帰って来た親鳥と鉢合わせして、びっくりさせてしまったりした事もありましたが、昨日無事にヒナが巣立ちました。窓の外、わずか50〜60cmの処に掛けた巣だったので、ほぼ毎日観察していた事もあり、安堵感と寂しさが残りました。そして、この夏はスズメバチも外壁の中に巣を作っていて、何処から入って来るのか、2度も家の中を飛び回り大変でした。刺されたら大変なので、こちらは退治しました。以来、羽音がするとドキドキします。

百子の花日記 114



8月13日。盆迎えの花とお供えを飾りました。

山本教行 作 灰釉四方瓶 ムクゲ、金水引、タデ、 ルドベキアタカオ
             八重桔梗、踊り子草(つる)、フロックス 

       灰釉水差し ほおずき、メドーセージ、赤水引

2011年8月14日日曜日

鹿児島・宮崎へ






秋に八女と福岡で行う予定の「十八番の会」準備を兼ねて、先週の月曜日から3日間、鹿児島・宮崎の二人の作り手の方々を、それぞれの仕事場にお訪ねしました。鹿児島・大口在の川野恭和(かわのみちかず)さんは、九州では数少ない国画会・工藝部会員の一人として、先の「国展・福岡展」開催に尽力。瀧田項一(たきたこういち)門下の一人で、弟子入りから40年近く磁器の仕事を続けて来た作家です。
また、宮崎・国富町三名在の松形恭知(まつかたきみとも)さんは国画会・工藝部準会員として、ここ10年程、活発に各種公募展に応募。入賞、入選を続けている作り手です。
驚くのはその経歴で、つい先頃まで30年間教師として、関東圏の中学に奉職。教職をこなしながら、陶芸に関する知識や技術を自らのものにしてしまう努力の人です。ただ、高校生の頃から近所の伊勢丹デパートで開催されていた草泥社の展覧会等を見ていたと云う人ですから、眼筋の良い人なのでしょう。きちんと成形され、清潔な感じを与える品を作り出す力を持った人です。

さて、大口の川野さんをお訪ねするのは、かれこれ25年ぶりです。記憶にある工房の佇まいよりも棟が増えており、そんな棟のひとつ作品展示室隣の8畳の部屋に、今回の旅に同行した長男と二人で泊めて頂きました。午後早めに到着した事も有り、近在の「曽木の滝」や、明治時代の発電所跡などに連れて行って頂いた後、近くの温泉へ。
良い気持ちのまま、母屋で自家製の野菜料理や季節の鰹など、奥様のお手料理をたくさん御馳走になりました。今回、川野さん・松形さんをお訪ねするについて、私の乏しいコレクションの中から、お二人に見て頂きたいものを車に積み持参しています。その中の、ベトナム製で磁器の型モノの食器(機械ロクロを使ったものとの事)を川野さんに見てもらいながら、磁器の仕事のあれこれを川野さんと話すのが、この旅のそもそもの目的なのです。

段ボール三箱分の陶磁器を次々に開けながら、私の考える食器の有り様を作り手の立場にある人と話す楽しさ。仲立ちとして眼の前に品物があるので、話が抽象的にならずわかりやすく、お尋ねもしやすいのが良いところです。そんなこんなで、あっという間に時が経ち、12時を過ぎて床に入りました。翌朝、早めの食事の後「十曽(じゅっそう)」と呼ばれる地域の人工湖へ連れて行って頂いた後、仕事を手伝い始めた御長男とお話をしたり、登り窯や仕事場を見せて頂いた後、催事撮影用の品を選びお別れしました。その後、宮崎県国富町在の松形さんの仕事場へと向かい、同じ様に持参の陶磁器あれこれを見て頂いたり、撮影用の品を選んだ後、その日泊めて頂く事になっている宮崎市内のEさんの御宅に向かいました。

“b・tan ぬぐい”の事ふたたび





充分に準備が整わないまま、7月の末から無理して始めた「b・tan ぬぐい展」でしたが、3週間が過ぎて、ようやく展示も店に馴染んできました。商品の種類が10種類程で、動き方が読めない事もあり、最初は少なめに送って貰っていたのです。でも、手拭い等を一人で4・5本買って下さる方もあったりして、すぐに在庫が底をつき少量づつとはいいながら、これまでに4回も追加で送って貰う事になり、面倒を見て下さっている大澤さんに申し訳ない限りです。同時期に「b・tan ぬぐい展」開催中の山梨のギャラリーでも、思いのほか皆さんの反応が良いのだそうです。暑い夏限定の催事ではありますが、新作の「注染手拭い」は、あまねやの定番として通年で取り扱う事になりそうです。

2011年8月13日土曜日

“残暑見舞い”への返信 ーイギリスからー



静子さん

本当に久し振りの、静子さんからのお便り嬉しく拝見しました。ここ太宰府は6月中雨続きで、家の中がカビだらけのひどい状態になり、店の状態も催事をやっていない事(当然、大震災の影響)もあって、一人のお客もない日が続いたりして、このままだと店を閉める事を本気で考えなければいけない、そんな状態が続いて二人で落ち込んだりしました。百子はそんな中、早目の家賃その他の支払いをなんとか済ませた上で、娘からの誘いもあり、6月半ば過ぎから2週間程、オーストラリアの娘の処に半年ぶりで出掛けました。楽しかった様で、帰って来た時は随分元気になっていて、ほっとしました。この処、1歳半を過ぎた2番目の孫娘・実輪が歩く様になり、また言葉も覚え始めて、私達を楽しませてくれる様になりました。金髪碧眼ですが、気性その他が娘にそっくりで驚く程です。しかし、娘の亭主のモーガンは自分の父方の祖母にそっくりだとも言っていますから、同じものを見るにしても、人の見方は様々というのが妥当なところなのでしょう。

7月になり、いつもより2週間程早く梅雨が明けたとたんに暑くなり大変でしたが、それよりも不気味だったのは蝉の声が一切しない事でした。7月も末頃にようやく鳴き始めて安心しましたけれども、こんな不気味な梅雨明けは覚えがありません。そんなこんなで、いま「あまねや」では、夏中ずっと8月の末まで小さな催事を二つ続けています。9月には、筑後地方の八女で同じ催事をやり、なんとかこの年を乗り切らなければと思っていますが、さてどうなりますやら。
庭木の剪定の話は笑ってしまいました。奮闘の様子が目に浮かぶ様ですし、5回も電気剪定機の電源コードを切ってしまう処など、静子さんらしくて本当に良いですね。
自分に出来る事を発見しながら、少しづつ暮らしを自分の方にたぐり寄せ、行きつ戻りつの「気持ちの振幅」を、少しでも小さくして下さる事。それが私達を含め、遠くに離れ心配して静子さんを見守っている御友人方の願いなのではないでしょうか。

原発災害の影響は、当然福岡にもあります。数値の形で出て来るものもあれば、人の気持ち、あるいは大不況と云った形の影響もあります。しかし、事故が起こるまで、こんなに危ういバランスの中に、私達の生活が支えられてあった事に無自覚であった、この事が一番の問題だったと個人的には思っています。そこから始めて、自身がいったい何をどのように変えて行けば、少しでも希望を持つ事の出来る世界を取り戻せるか、そんな事を考えています。そこで、7月中は空調を入れず、冷たい水の提供と保冷剤の貸し出しで、お客様に対応したりしました。笑ってしまう程ちっぽけな事ですが、ともかく出来るところからと思っています。

4月に7年ぶりで丹波の柴田さんの個展をやりました。その折、静子さんから頂戴したチューリップが愛らしく咲き、それを百子が小さめの水差しに入れたものを写真に撮っています。いつか静子さんに送ろうと思っていたものと、先日店に来て下さった大澤美樹子さんと一緒の写真を、ファイルで送ります。お元気で。また便りを書きます。