1週間ぶりで八女から太宰府の自宅に帰り 着いてみると、キンモクセイが満開でした |
古いモルタル二階建ての一階部分10坪程を、自分で店舗に改装する内装工事をやりかけていた時で、料理人の若い友人 (当時20歳) 佐々木志年君が、“珈琲美々”の森光宗男君を紹介してくれたのです。
たまに入る喫茶店の酸っぱい珈琲に辟易していた事もあって、当時の“美々”の珈琲がいっぺんで好きになりました。以来、工事中の現場まで珈琲を届けてもらったりして、個人的にも店同士としても、親交が深まりました。’90年に、地上げで現在の平尾の店に移るまで、そんな付き合いが続きましたが、地上げを機に、住まいを太宰府の母の家(現在の自宅)に移した事も手伝って、“美々”から段々足が遠のきました。2009年、“珈琲美々”が赤坂の護国神社付近に移動してからは、ますます縁が薄くなり、自分で飲む珈琲も市販の深目の焙煎の珈琲をあれこれ試す日が続きました。そうこうする内に、今年の一月、オーストラリアに住む娘から、以前送って貰っていたイタリアの珈琲メーカー(Lavazza)の1kg入りエスプレッソ用の珈琲豆があったのを思い出しました。
恐る恐る封を切ってみると、エスプレッソ用としては意外に浅目の焙煎であり、貰ってから時間が経っていた事もあって、有り合せの片手鍋を使い“焙じ茶”を作る要領で焙ってみたのです。それが意外に美味しくて、あっという間に1kgを消費。それに味を占めて、浅目の珈琲豆を買っては、以前からやって来た茶葉を焙じる要領で、焙煎を繰り返していました。市販の焙煎機は、中で豆が蒸し焼きに近い状態で焼けて行くのだから、蓋をした方が良いのではないか、とか「この珈琲は今ひとつ美味しくない」とか、古い友人や店のお客達から、アドバイスや悪口を貰いながら、先に御紹介した“アルミの片手鍋”、“土鍋用の少し大き目の木蓋”そして“細かい穴が開いた金笊”を使う今の形にたどり着きました。私が始めた追焙煎は、生豆からの焙煎に比べて、はるかに簡単です。ただ、浅目の焙煎とは言いながら、珈琲焙煎のプロが決めた焙煎程度を一旦壊す訳ですから、それなりに美味しくなければ意味がありません。美味しいと評判の珈琲屋で珈琲を飲みながら、皆さんに喜んで頂ける様な“追焙煎珈琲”、自家焙煎では恐れ多いので“自己焙煎珈琲 Self-roasted Coffee”、を目指します。