およそ三年半ぶりになる16回目の「あった事会った人」です。書きたい事は沢山ありますが、先ずは’22年11月に行った11年ぶりの平山元康展の記録から。この年の春に、倉敷民藝館でお世話になったMさんの蒐集品大小取り混ぜておよそ600点をお預かりする事になり、これを通常の紙の媒体(葉書)による案内状だけでは、とても皆さんに紹介しきれないと思い(観念し)、Instagramなるものを始めたのです。そのトレーニングのつもりもあり、約ひと月前の平山展で、案内状と併せて、初めてインスタを使った紹介を始めました。
年末ぎりぎりの’22年12月26日の初日の開店前、大牟田から来たと仰る沖塩さんファンの男性が店の前で待って居られて驚きました。Instagramの射程距離の長さを感じた瞬間でした。
’23年10月、薮庭流花教室課外授業に参加を許されて出掛けた高知の牧野記念植物園に建つ内藤廣氏設計の牧野記念館にて。高知の前の坂出ではおよそ25年ぶりで猪熊弦一郎現代美術館(先ごろ亡くなった谷口吉生氏設計)を訪ね、一渡り展示を見た後、3階の喫茶室から高い塀に囲まれた中庭を見た時、塀の外に道を隔てたマンションのベランダ部分が高々とそびえ、室内の様子も伺える事に暗然としました。
店の向かいの、山口さんの御宅の’24年3月末の百年桜の最後の満開の様子。ひと月後の同年4月29日には、無残にも重機でへし折られて跡形もなくなりました。ヨーロッパでは、個人の敷地内であっても大きな樹木は勝手に切る事が出来ない、そんな法の網が被せられていて、その土地の景観が守られていると聞きました。
’24年11月17日、年末の催事準備のため出掛けた京都・無名舎でお会いした吉田孝次郎氏八十七歳。画家の吉田さんは私が民藝の世界に足を踏み入れた頃、母校の武蔵野美術大学の学生課長で、同大学教授の水尾比呂志氏が周囲の人と語らって出来た「無名会」と云う組織の窓口をやっていらっしゃて、入会申し込みに同大学まで出掛けて以来のお付き合いです。かれこれ50数年になります。その後、縁の出来た「大阪日本民藝館」では、どちらも故人ですが、当時の大阪日本民藝館主事 鈴木尚夫氏とご友人で松江のお茶人 金津滋氏の指揮の下、展示替えの折の主要メンバーのお一人として、力を尽くされました。鈴木さんが主事をお辞めになった後、しばらく展示のご担当であったと、これは後にお知り合いになった方から聞きました。
同’24年11月下旬、東京滞在最終日。初めて訪ねた東京郊外の道具屋で50年ぶりに出会った、自らも含め10人程の友人達(吉田孝次郎氏の所でお話しした無名会のメンバーが多かった)と始めた同人誌の創刊号。びっくりしました。買うつもりで冊子の値段を尋ねたら、たまたま店にいらっしゃったご亭主が「進呈する」と仰って下さり、これも大感激でした。
あまねや工藝店が今泉にあった頃、お付き合いがありお世話にもなった詩人の鈴木召平(すずきしょうへい)さん(’23年12月7日95歳で逝去)の遺稿集。昨秋、編集担当の西日本新聞記者のHさんと装丁家の毛利一枝さんが店を訪ねて下さり、遺稿集出版の話と共に、私の今泉時代の召平さんとの思い出を取材し本に収めて下さいました。昭和のはじめ、日本の植民地であった朝鮮半島で過ごし育った少年の眼を通して紙面に映し出された’昭和の時代”、「昭和史幻燈」のタイトルに相応しく言葉によって視覚化された”ある昭和史”。店にも若干お預かりしています。
’25年2月2日、福岡・七隈の末永文化センターで行われた「カテリーナ古楽合奏団」の50周年記念コンサート。一月下旬に合奏団主宰で創始者の松本雅隆さんから留守電に着信があり、話してみると、昨年東京で行なった「カテリーナ古楽合奏団」結成50周年の記念コンサートの福岡公演を、私に是非聞いてほしいとの事。「カテリーナ」は、あまねや工藝店開店5年目の1984年2月、知人の飛び込み依頼で引き受けた「ロバの音楽座」の兄弟グループで、今回のメンバーは5人。ヨーロッパ中世各地の風景が透けて見える様な演奏でした。