2025年2月28日金曜日

あった事会った人 16

およそ三年半ぶりになる16回目の「あった事会った人」です。書きたい事は沢山ありますが、先ずは’22年11月に行った11年ぶりの平山元康展の記録から。この年の春に、倉敷民藝館でお世話になったMさんの蒐集品大小取り混ぜておよそ600点をお預かりする事になり、これを通常の紙の媒体(葉書)による案内状だけでは、とても皆さんに紹介しきれないと思い(観念し)、Instagramなるものを始めたのです。そのトレーニングのつもりもあり、約ひと月前の平山展で、案内状と併せて、初めてインスタを使った紹介を始めました。


年末ぎりぎりの’22年12月26日の初日の開店前、大牟田から来たと仰る沖塩さんファンの男性が店の前で待って居られて驚きました。Instagramの射程距離の長さを感じた瞬間でした。


’23年10月、薮庭流花教室課外授業に参加を許されて出掛けた高知の牧野記念植物園に建つ内藤廣氏設計の牧野記念館にて。高知の前の坂出ではおよそ25年ぶりで猪熊弦一郎現代美術館(先ごろ亡くなった谷口吉生氏設計)を訪ね、一渡り展示を見た後、3階の喫茶室から高い塀に囲まれた中庭を見た時、塀の外に道を隔てたマンションのベランダ部分が高々とそびえ、室内の様子も伺える事に暗然としました。


店の向かいの、山口さんの御宅の’24年3月末の百年桜の最後の満開の様子。ひと月後の同年4月29日には、無残にも重機でへし折られて跡形もなくなりました。ヨーロッパでは、個人の敷地内であっても大きな樹木は勝手に切る事が出来ない、そんな法の網が被せられていて、その土地の景観が守られていると聞きました。


’24年11月17日、年末の催事準備のため出掛けた京都・無名舎でお会いした吉田孝次郎氏八十七歳。画家の吉田さんは私が民藝の世界に足を踏み入れた頃、母校の武蔵野美術大学の学生課長で、同大学教授の水尾比呂志氏が周囲の人と語らって出来た「無名会」と云う組織の窓口をやっていらっしゃて、入会申し込みに同大学まで出掛けて以来のお付き合いです。かれこれ50数年になります。その後、縁の出来た「大阪日本民藝館」では、どちらも故人ですが、当時の大阪日本民藝館主事 鈴木尚夫氏とご友人で松江のお茶人 金津滋氏の指揮の下、展示替えの折の主要メンバーのお一人として、力を尽くされました。鈴木さんが主事をお辞めになった後、しばらく展示のご担当であったと、これは後にお知り合いになった方から聞きました。


同’24年11月下旬、東京滞在最終日。初めて訪ねた東京郊外の道具屋で50年ぶりに出会った、自らも含め10人程の友人達(吉田孝次郎氏の所でお話しした無名会のメンバーが多かった)と始めた同人誌の創刊号。びっくりしました。買うつもりで冊子の値段を尋ねたら、たまたま店にいらっしゃったご亭主が「進呈する」と仰って下さり、これも大感激でした。


あまねや工藝店が今泉にあった頃、お付き合いがありお世話にもなった詩人の鈴木召平(すずきしょうへい)さん(’23年12月7日95歳で逝去)の遺稿集。昨秋、編集担当の西日本新聞記者のHさんと装丁家の毛利一枝さんが店を訪ねて下さり、遺稿集出版の話と共に、私の今泉時代の召平さんとの思い出を取材し本に収めて下さいました。昭和のはじめ、日本の植民地であった朝鮮半島で過ごし育った少年の眼を通して紙面に映し出された’昭和の時代”、「昭和史幻燈」のタイトルに相応しく言葉によって視覚化された”ある昭和史”。店にも若干お預かりしています。


’25年2月2日、福岡・七隈の末永文化センターで行われた「カテリーナ古楽合奏団」の50周年記念コンサート。一月下旬に合奏団主宰で創始者の松本雅隆さんから留守電に着信があり、話してみると、昨年東京で行なった「カテリーナ古楽合奏団」結成50周年の記念コンサートの福岡公演を、私に是非聞いてほしいとの事。「カテリーナ」は、あまねや工藝店開店5年目の1984年2月、知人の飛び込み依頼で引き受けた「ロバの音楽座」の兄弟グループで、今回のメンバーは5人。ヨーロッパ中世各地の風景が透けて見える様な演奏でした。

2025年2月22日土曜日

春を待ちながら

昨年末から1月末まで続けた催事の後片付け、荷造り、発送作業の後、例年の「棚卸し」で散らかった店内を立て直すべく「片付け」と左右の覗き窓の展示作業を、ここ数日行なっています。来週には綺麗になった店内で皆さんをお迎え出来そうです。




2025年1月27日月曜日

「歳迎えの会2024」が無事終了

 

昨年12月19日から、歳をまたいで今月26日まで開催いたしました「歳迎えの会2024」は昨日、無事に終了いたしました。延長後の一週間は寒さも緩んで、ご来店の方も多くなり、なんとか最終日までたどり着く事が出来ました。ありがとうございました。

2025年1月16日木曜日

「歳迎えの会2024」会期延長のお知らせ

 今月19日までとお知らせしておりました「歳迎えの会2024」の会期を、一週間延長して1月26日(日曜日)までといたします。まだ、ご覧頂いていない皆様もどうぞお出掛け下さい。写真は追加出品しました李朝の菓子型です。


2025年1月5日日曜日

清野謙三の事


ここ10年ほどの間に、同じ時代を生きた友人・知人の訃報に接する事が多くなりました。’24年10月4日に東京の自宅で急逝した清野謙三(きよのけんぞう)の訃報も、そうして突然もたらされ、我々友人仲間を驚かせうろたえさせたのです。それに先立つ’24年の4月中旬、随分久しぶりに、清野謙三も交え古い仲間八人が集まって皆で愉しく話を交わし食事を楽しんだ、そんな記憶も消えない内だったからです。報せからひと月程後の11月15日に、宗像市の実家近くの菩提寺で営まれた葬儀には、先の仲間六人が参列し故人の冥福を祈りました。

ところで、本日1月5日で76歳の誕生日を迎えるはずであった清野謙三との交友が始まったのは、遡る事40年前の1985年頃の事です。自身で小さな場所を借りて、E・サティのピアノ作品を紹介したり或いは自作の曲の(日頃の穏やかな彼からは想像出来ない一種過激な)即興演奏などの音楽の催しを、時に、聴きに出掛ける事はありましたが、それ以前の、彼が音楽で身を立てる術を模索し、他の音楽仲間と共に音楽活動をしていた20代から30代初めの事は、彼の口から断片的に聞いているだけで、未だに詳しい事は全く知りません。

知り合って間もない頃、自分が作りたい音楽は山本教行さんの作る陶器の様な工藝品でありたいと願っているという彼の言葉も、今では直に尋ねてその真意を聞く事も叶わず、正確な意味がもう一つ明らかではありませんが、今だに私が忘れる事の出来ない印象深い言葉です。知り合った頃は、歯医者を生業とすべく九州大学に入り直し、卒業してしばらく経った頃ではなかったかと思います。その後の約10年、福岡で勤務医を続け、その間は私も患者として世話になりました。のちに、音楽的な刺激や環境を求めて東京に移ってからは、たまに帰省する時に話をする位で交友は途絶えがちでした。

さて、清野謙三との出会いがなければ実現しなかった出来事が三つあります。一つ目は1990年5月、あまねや工藝店開店10周年記念に初めて外部のギャラリーを借りて催した「山本教行作陶展」開催の折、記念事業の一つとして会場のギャラリーで催した、彼担当のキーボードを含む、3人の演奏家による自作曲の小さな演奏会で、これは山本教行の仕事に捧げる自作の詩を書くほどの熱の入れ様でした。 二つ目は2年後の1992年6月、同じギャラリーで行なった第一回「大澤美樹子個展」の時に、作曲家としての清野謙三に「大澤美樹子個展会場のための音楽」を依頼した事で、開催期間中二台の再生機器から小さめの音量で会場に流された音楽は、大海の波のたゆたいに似て、曲のモチーフが重なったり離れたりしながら会場を漂い、そこに下がる大澤美樹子の型染布諸作を始め、林栄一の朝鮮五葉松製の長椅子やチェスト、また更に会場の其処此処に置かれた山本教行の大小作品群の印象とも相俟って、会場全体が ” ただただ気持ちが良かった!” と、思い返す度ごとに、ある心地良い生理的な記憶として、新しく身の内によみがえります。

最後の一つは、私や清野謙三を含む5人の仲間で作った「フーム空間計画工房」主催で1991年11月に行なった、都市環境における音(音楽)の問題を考え問題提起する趣旨で、環境音楽の作曲で知られた(葉山の神奈川県立近代美術館の館内音楽など)故 吉村弘氏を招いて行なった講演会で司会とピアノ演奏を引き受けてくれた事で、これも彼抜きでは開催は困難であったと思います。思い返せば、一人の友人 清野謙三との縁が、その時々に行なったまわりの社会への私の働きかけを具体化するにあたり、これ程深いところで関わりを持っていたと云う事実を、書きながらいま改めて思い返し、感謝の気持ちを込めて此処に書き記すものです。「死ぬまでに自分の”白鳥の歌”を一曲だけ作ってから死にたい。」と言っていた彼が、その”白鳥の歌”を果たして本当に形に出来たのかどうか、今ではわからぬままです。ともあれ、清野謙三君!本当にありがとう。お世話になりました。

2025年1月2日木曜日

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。今年の正月は穏やかに晴れて良い日和になりました。昨年12月29日の催事前期展が終了後、私は滞っていた掃除や片付けを大急ぎで済ませ、細君はレモングラスで注連飾りを作り、何とかお節の準備も済ませて、無事に家族で正月の雑煮を祝う事が出来ました。今日二日の夕空は、澄んだ空気の夜空に三日月と金星が輝き、まことに印象的な美しい空です。今年一年が、皆様方にとって良い一年であります様に願っております。