私にとって、昔から憧れの染色家は柚木沙弥郎(ゆのきさみろう)氏です。しかし、同世代同時代人としての染色家の筆頭は、なんと云っても大澤美樹子(おおさわみきこ)さんです。数年前、女子美術大学を退官された大澤さんの新しい御作を、昨2017年5月、新国立美術館の「国展」会場で一年振りに拝見しました。渋い茶と緑の二色で構成された注染(ちゅうせん)の大作でしたが、並みいる華やかな諸作の中で、はっきりした自分の切口を持つ素朴で強い表現に見えました。大いに感心し、大澤さんに宛て以下の様な購入の申入れを致しました。
大澤美樹子様 こんばんは。15日の「国展」最終日に会場に行きました。御作拝見。外来種や交配種の多い花畑で、数少ない原生種を見る思いの残る作品でした。また、少ない言葉で自らの思いをはっきり語った文章を読む様でもあり、久しぶりで、大澤さんの作品が欲しい、と云う気持ち抑える事が出来ませんでした。この路線で、お互い元気なうちに、もう一度「作品展」をやって頂きたいとも思いました。購入出来るのであればそうしたいし、一度で御支払いするのは無理かもしれませんが、金額を御知らせください。支払いが難しそうであれば連絡します。ご報告方々お願い迄。 川口拝
しかし、時すでに遅く、先約(初日に岩立フォークテキスタイルミュージアムから)があり、希望はかなえられませんでした。
ギャラリー入口右側の壁面 |
ところで、大澤さんとの具体的な御縁は、1992年の「第一回 大澤美樹子個展」まで遡ります。前年、展覧会開催中の京都の画廊まで出掛け、拝見した上で福岡での個展開催をお願いしました。そんな事情もあっての事か、私自身の思い入れが強かった様で、当時、天神中心部に近い“西通り”傍にあった、NTTのEspace19(エスパストーク)を会場として一週間借り、案内状は初めてのカラー印刷。おまけに同時出品として、同年5月に終わったばかりの岩井窯 山本教行諸作品と、当時、愛媛県の山中(久万町)で廃校になった小学校を仕事場にして家具を作っていた、林栄一の松材の白木家具あれこれ。極め付けは、自家製の丸い銅板のマスクを被ったベニヤ板製のマネキン十体(これに染布を巻いたり留付けたりして、魅力的な着付けを担当してくれたのは友人の青砥このみです)と、友人で作曲家の清野謙三(きよのけんぞう)による環境音楽としての「大澤美樹子個展会場の為の音楽」です。
染布をまとい銅板のマスクを被った、自家製合板の マネキン三体。撮影は「珈琲美美」勤務だったSさん |
“染色展”だから、染布を壁に下げてお仕舞いと云うのでなく、そこに幾つかの領域の表現を重ね、来て下さった方々に具体的で心地良いギャラリー空間込みの体験をして頂く事、そして家具や陶器を合わせる事で、そこに擬似的な生活空間を現出させる事など、後年八女の「高橋宏家」で行った試みと同じ(この時、自身四十代でもあり、もう少し積極的ではありますが)狙いだったのです。
記録的な売り上げの同展でしたが、私の思い入れによる無茶な出費がたたって、“大赤字”でした。しかし、私には未だに忘れられない素晴らしい展覧会です。