10回目をむかえた「西川孝次吹きガラス展」出品作のうち、今回特に目につくのは“再生ガラス”による諸作です。沖縄の吹きガラスの仕事が、第二次世界大戦戦後、駐留米軍の持ち込んだ大量のビール瓶やコーラ瓶を材料として始まった事は、今展案内状にも書いた通りです。それを個人の作り手で、自らの仕事の一つの柱として作り続けているのは、西川孝次さんくらいではないでしょうか。
日本国内で、この再生ガラスの仕事を難しくしている理由が幾つか考えられます。まずは流通の関係上、ビールやコーラを含む飲料類が、ほぼ9割がたアルミ缶やペットボトルなどに変わってしまっている事、つまるところは仕事の材料である廃瓶を調達するのが難しい事。数年前の事、今展出品作と同じ再生ガラスのタンブラーの試作品を西川さんに見せられた時、“もう少したくさん数を作ったらどうか”と云う私の勧めに対して、帰って来た答えは“出来ない”でしたから、その時は材料調達の目処が立たなかったのでしょう。
次に、通常の吹きガラスの仕事に比べ、廃瓶からラベルを取り除き、中を洗い砕くと云った手間(時間)が、余計にかかってしまう事。一般的に、(西川さんの様に)一人で作業する吹きガラスの仕事自体、焼物に比べると1ヶ1ヶの設定単価が安いぶん、数を作らなければならず、この手間が仕事の足を引っ張ってしまう事。(以下は西川さんから聞いた話です)廃瓶を元にしたガラスは、一般的な吹きガラスの材料用に用意された“カレット”に比べて融点が高めである事から、仕事中の材料の固化も早いため、手早い仕事が求められる事、等々。
今回出品作中、全体の10%程30点くらいの作が再生ガラスの作品です(申し上げるのを忘れていましたが、数年前からこの再生ガラスの仕事も三原の工房で作られています)。しかし残念な事に、どの作も良い出来でありながら地味な見え方が災いして、あまり売れない仕事でもあるらしいのです。使い手である皆様方に買っていただける事が、作り手にとっての励ましになる事を考えますと、皆様方に今展の“再生ガラス”の仕事を、まずは見て頂きたいと存じます。