2008年7月25日金曜日

ボンダイ界隈



メルボルンから帰って以来の数日、雨続きでモーガンが「Yoshinoriがメルボルンから、雨を連れて来た」と冗談を言う程です。今日は雨の降り方がとりわけ激しく、買物に出たくないと云う娘にかわって、夕飯の材料を買いに下の町まで出掛ける事にしました。娘夫婦の住むボンダイは,シドニーの中心から車で15分程のところに位置する海沿いの町。渚に大きな波が立つ事もあって,冬でもサーフィンをする人達で賑わう処です。さて,目指すは歩いて10分程の処にある、地元のスーパーマーケット「IGA Bondi」です。買物のリストを用意し地図を書いてもらい,念のため娘の携帯電話の番号まで控えて出掛けました。店の前まで来ると,なんと停電のため復旧するまで閉店しているとの事。長くは待っていられないので,先日娘と行った「有機食料品専門店」で買物をする事にして少し離れたその店へ。今日の夕飯は,日本の自宅でもよく作る「ポテトグラタン」を、私がつくる事になっています。残りのメニューは、サラダにステーキの予定です。量売りの野菜数種に、牛乳と牛肉を篭に入れレジに行くと、昨日道で娘が挨拶をしていたこの店のマネージャーのステファニーです。34ドルの支払いを済ませた後、隣のカフェでラテを頼んでアパ−トに戻りました。日本にいれば何でもない、買物や電話またバスや電車に乗ったり等の日常的な事柄が、仕組みが違う事と言葉の壁の問題で、とても越えられそうにない高い壁の様に見えてしまうのです。とりあえず,最初のハードルはなんとか飛べたようです。次の目標は、独りでバスやタクシーに乗って娘のアパートまで行ける様になる事です。(細君は,既に経験済みです)





2008年7月24日木曜日

冬のメルボルンにて





































































シドニー訪問を機に、21日から23日まで旧知の友ルイーズが住んでいるメルボルンを訪ねる事にしました。彼女は10年近く前、出雲の出西窯で1年間焼物の勉強をする為に来日。帰国する前、出西窯の数人の人達と、あまねやを訪ねてくれた事が縁で知り合いになった人です。他に,細君が小さい頃お世話になったベーカー神父さんをコロンバン会の神学校にお訪ねする事も大事な目的の一つです。

さて,21日の朝モーガンに送ってもらって空港へ。ローマ法王も、同じ日にシドニーを発つらしく大変な混雑ぶり。離陸後1時間と15分あまりでメルボルン空港に到着。出迎えに来てくれていたルイーズと再会を喜び合う。まず車で彼女の家へ。今は,母屋を友人に貸し、自分は裏の離れの工房に寝泊まりしている。その工房で,果物やサラダ、紅茶そしてカボチャのスープにパンで昼食。そのあと、ベーカー神父さんが引退後住んでいらっしゃるコロンバン会の神学校へ向かう。ルイーズも初めてとの事でさんざん迷った末,約束の時間に少し遅れて到着。ヴィクトリア様式で作られた大きく立派な(でも日本人の私には,少し馴染みにくくもある)建物だ。10年ぶりにお会いしたけれど,85歳の今も毎日歩き庭仕事をなさっているとの事で,お元気そうに見える。細君の花と庭仕事好きは,小さい頃神父さんの手伝いをして培われたものだから、いわば花と庭仕事のお師匠さんといっても良い。その時のご縁がいまだに続いて、ここにこうやって座っている事を考えると不思議な気がする。お茶を飲み、1時間程話しをしてお別れする。それから、その日泊めてもらう事になっているスージーのフラットへ。(彼女についての詳しい説明は省略)繁華な通りフィッツロイに面した4階建ての古いビルの最上階が彼女の住まいだ。聞けば1890年に建てられたものだとか。2つの寝室と広いリビング、台所とリビングに面して20坪くらいありそうな庭。歩いて10分位の所に、メルボルン美術館や公園がある便利なところ。夕刻、ルイーズの兄弟アスキンの家へ。

彼らとは、6年ぶりの再会。上の女の子が大きくなっているのにびっくり。骨付きラムとリゾット,サラダに勿論ビール(この日はダークビール)。しばらく話しているうちにアスキンが帰宅。その夜のあれこれの話題の中に,いまオーストラリアでキリスト教徒の割合がどの位か問題になり、調べてみるといま現在で16%。100年前は96%だから洋の東西を問わず,私達が何をなくし何をすてて来たかがはっきりする興味深い数字だと思う。10時頃アスキン家を辞去。
翌朝、近くのカフェで朝食の後メルボルン美術館へ。アボリジニ関係の展示を見る。ロビーに木彫の盾が10点近くあり、中の1・2点は特に美しいものだった。そばにアボリジニの人が書いた興味深いカードのメッセージあり。前の日にルイーズと散々話をした話題(グローバリズムと呼ばれるものが作り手に与える弊害について)への一つの見事な答え。彼によれば,それら作られた物は自分が何者であり、何処から来たのかを示す物である事(原文を書き留めるのを忘れた為,不正確だけれども)。つまり,表現は彼個人の物と云うより,自身の根っこを確認する行為であると云う事で非個人的な世界に属するものとでも言えば良いのか。
夜,スージーの招待でイタリア料理の店で食事。ルイーズ、ジャスティン,アスキンにアラベラと私。

翌朝、トラムに乗って国立ヴィクトリア美術館へ。アボリジニ関係のブースは展示替えの為,見る事できず残念。スージーのフラットに戻り、ビスケットとチーズにお茶でお昼。再会を約しルイーズに空港迄送ってもらい,夕刻、無事シドニーに帰着。




2008年7月19日土曜日

タムワースで



17日の朝シドニーを発って,娘婿のモーガンの実家の有るタムワース迄(シドニーの北西430km程の処)、皆と一緒に車で出掛ける。6時間程掛けて、3時30分頃に無事到着。
最寄りの道路から数百メートル奥の母屋へ向かい、モーガンの両親の,ダイアンとデヴォンに1年ぶりの挨拶をする。まわりは,羊や牛を育てる広大な草地を持つ農場地帯。父親のデヴォンも,羊を400頭近く預かり、育てる仕事を初めて31年目だとか。
 
日本から持参したお煎餅でまずは、お茶を飲んだ後,牧羊犬を使ったデヴォンの仕事を見せてもらう。口笛とかけ声それに英語を使って、広い農場で羊を追う牧羊犬のトウズを見事に操り、別の草地へ移動させるのだ。見習い犬のティクルは、羊を追い始めると主人の命令が聞こえなくなり、羊をパニック状態にさせてしまい、1頭の羊を群れから孤立させてしまった。聞けば小犬の頃から牧羊犬として育てられていない為、夢中になると犬としての本能を押さえられなくなるらしい。或る事を繰り返し繰り返し動物に教えて、一つの芸を仕込む事。当然、個体により向き不向きがあるにしても、これは工藝の技術にもつながる問題であって興味深い。

夕食後、地元の合唱団の練習に出掛けると云うデヴォンと一緒に練習に参加する事にした。ズッキーニのスープとほうれん草のパイ包みを2人だけ先に食べ、20キロ先のタムワース迄いく。町の中心の市民センターの様なところが会場で、参加者は大半が中高年。男女ほぼ半々。練習曲は’60年代のヒット曲や,ジャズのスタンダードナンバー等を楽譜なし,歌詞のみで次々に歌うだけ。しかし、半分くらいは知っている曲だった事も有り楽しく過ごせた。
デヴォンに寄ると,歌を歌えば憂さがはれるのだそう。終わって帰り着くと10時過ぎで,他の家族は皆寝ていた。

2日目はダイアンと山の手に有る植物園に出掛け、400メートル程の山の上からタムワースの町を見る。ひる頃,皆と植物園で待ち合わせて朝、用意したサンドイッチを食す。午後は子羊を見に出掛け、夜は外の炉で焼いた牛肉と羊肉に、ジャガイモと野菜を合わせた食事。
簡素だけれど美味しい。翌朝,9時にタムワースを出発。昼頃、ワイン醸造場の点在するあたりで食事。夕方無事にシドニーへ帰着。



2008年7月16日水曜日

オーストラリアで



14日の夜に日本を発ち、15日の午前10時30分頃1年ぶりのシドニーに到着。
ローマ法王がシドニーを訪問する日らしく、入国検査場は大変な人の数で、預けた荷物を取り外に出るだけで1時間も掛かり,少しうんざり。

迎えに来ていた娘と一緒の孫娘Saya Matildaは、待ちくたびれたみたいで、娘に抱かれたまま眠っていました。
彼女に会うのが今回の旅の目的なので、肩すかしでした。車で市内に向かう途中、目覚めた
彼女は横にいる知らないおじさん(正確にはおじいさん!)を見て泣き、祖父経験の浅い私をがっかりさせました。

彼女がこの2週間の間に、私をちゃんと覚えてくれるでしょうか。
今夜は娘にPCの使い方を教えてもらいながら,この写真入りの「あまねや通信」を書いています。これも,ちゃんと出来る様になるかどうか。次回もまたオーストラリアからです。

2008年7月1日火曜日

東京篇 続き その2





21日は、駒場の日本民芸館で開催中の
「浜田庄司 展」を見る。
3年ほど前から、小鹿田のS君と新作を
模索中の私にとって、大事な展覧会。
さすがに御大の事ゆえ、見る物の範囲が
広く、そのこなし方も一通りでない印象。

例えば、宋時代の磁器赤絵の名品がお手本
になった片口があるかと思えば、現代中国の
民窯の水差しが有るという具合。
でもそれが皆、浜田の仕事になっている処が
すごいところ。
「現代に生きる作家の真似でなく、古典を見よ!」
と言っていたとおり。御大自身、天才で努力の人。

小鹿田の様な、伝統ある民窯にとって「新作」とは
一体どんな仕事のことを言うのか。
並大抵でない。彼はまたこうも言っている。
私の様な立場の、商人には気をつける事。

民藝館の後、浦和の柳沢画廊へ。
今日は、「AIDA/IDIR 版の交流」の初日で
オープニングパーティの日。これが今回の
上京の目的の一つなのだ。4人の作家と、
30人程の人で大賑わい。
2次会ですら20人。隣り合わせに座った
同世代の彫刻家(名前は失念、ごめん)と
話がはずむ。彼は、来年開催予定の「柳沢画廊」
と「あまねや工藝店」の交流展メンバーの
一人らしい。その時を楽しみにして、駅で別れる。

柳沢さんの実家で泊めてもらい、翌日22日の
朝早く新幹線で、岡山へ。昼頃、岡山の
Oさんのギャラリーへ。お昼に天丼特上と
ビールを御馳走になり、今日の目的の岡山
県立美術館の「柚木沙弥郎展」へ。

エントランスの、近作「白地に黒」と
「赤地に黒」の型染めの大作の展示が印象的。
館内の展示も美しく整理されており、
良い展覧会だった。夜遅く自宅へ。