2008年7月24日木曜日

冬のメルボルンにて





































































シドニー訪問を機に、21日から23日まで旧知の友ルイーズが住んでいるメルボルンを訪ねる事にしました。彼女は10年近く前、出雲の出西窯で1年間焼物の勉強をする為に来日。帰国する前、出西窯の数人の人達と、あまねやを訪ねてくれた事が縁で知り合いになった人です。他に,細君が小さい頃お世話になったベーカー神父さんをコロンバン会の神学校にお訪ねする事も大事な目的の一つです。

さて,21日の朝モーガンに送ってもらって空港へ。ローマ法王も、同じ日にシドニーを発つらしく大変な混雑ぶり。離陸後1時間と15分あまりでメルボルン空港に到着。出迎えに来てくれていたルイーズと再会を喜び合う。まず車で彼女の家へ。今は,母屋を友人に貸し、自分は裏の離れの工房に寝泊まりしている。その工房で,果物やサラダ、紅茶そしてカボチャのスープにパンで昼食。そのあと、ベーカー神父さんが引退後住んでいらっしゃるコロンバン会の神学校へ向かう。ルイーズも初めてとの事でさんざん迷った末,約束の時間に少し遅れて到着。ヴィクトリア様式で作られた大きく立派な(でも日本人の私には,少し馴染みにくくもある)建物だ。10年ぶりにお会いしたけれど,85歳の今も毎日歩き庭仕事をなさっているとの事で,お元気そうに見える。細君の花と庭仕事好きは,小さい頃神父さんの手伝いをして培われたものだから、いわば花と庭仕事のお師匠さんといっても良い。その時のご縁がいまだに続いて、ここにこうやって座っている事を考えると不思議な気がする。お茶を飲み、1時間程話しをしてお別れする。それから、その日泊めてもらう事になっているスージーのフラットへ。(彼女についての詳しい説明は省略)繁華な通りフィッツロイに面した4階建ての古いビルの最上階が彼女の住まいだ。聞けば1890年に建てられたものだとか。2つの寝室と広いリビング、台所とリビングに面して20坪くらいありそうな庭。歩いて10分位の所に、メルボルン美術館や公園がある便利なところ。夕刻、ルイーズの兄弟アスキンの家へ。

彼らとは、6年ぶりの再会。上の女の子が大きくなっているのにびっくり。骨付きラムとリゾット,サラダに勿論ビール(この日はダークビール)。しばらく話しているうちにアスキンが帰宅。その夜のあれこれの話題の中に,いまオーストラリアでキリスト教徒の割合がどの位か問題になり、調べてみるといま現在で16%。100年前は96%だから洋の東西を問わず,私達が何をなくし何をすてて来たかがはっきりする興味深い数字だと思う。10時頃アスキン家を辞去。
翌朝、近くのカフェで朝食の後メルボルン美術館へ。アボリジニ関係の展示を見る。ロビーに木彫の盾が10点近くあり、中の1・2点は特に美しいものだった。そばにアボリジニの人が書いた興味深いカードのメッセージあり。前の日にルイーズと散々話をした話題(グローバリズムと呼ばれるものが作り手に与える弊害について)への一つの見事な答え。彼によれば,それら作られた物は自分が何者であり、何処から来たのかを示す物である事(原文を書き留めるのを忘れた為,不正確だけれども)。つまり,表現は彼個人の物と云うより,自身の根っこを確認する行為であると云う事で非個人的な世界に属するものとでも言えば良いのか。
夜,スージーの招待でイタリア料理の店で食事。ルイーズ、ジャスティン,アスキンにアラベラと私。

翌朝、トラムに乗って国立ヴィクトリア美術館へ。アボリジニ関係のブースは展示替えの為,見る事できず残念。スージーのフラットに戻り、ビスケットとチーズにお茶でお昼。再会を約しルイーズに空港迄送ってもらい,夕刻、無事シドニーに帰着。




1 件のコメント:

  1. このコメントはブログの管理者によって削除されました。

    返信削除