2011年10月31日月曜日
2011年10月29日土曜日
BANGALOW日記 8 Bunk Bed
2011年10月22日土曜日
村松学さんへの手紙
村松学 様
会終了後の事務手続きに手間取って、残った荷物の返送が遅れました。お詫び申します。催事そのものは良いものになりました。ただ、出品者によって売り上げがまちまちなので、申し訳ない気もしますが、「十八番の会」の可能性は有ると私は思っています。
さて少し前の事、浅葱色の小皿の形が定まらなくて苦労しているとの連絡を貴方から貰い、その小皿を送って頂いた事があります。
しかし、それを吹きガラスの仕事として見るかぎり、深めで形が安定しない(と貴方の言う)物の方が、きちんと成形された物よりも、むしろ生き生きとした感じに溢れ、数段良い仕事の様に私の目には見えました。同じ形を安定して吹ける貴方の技術は「すごい」と思いますが、ともすれば、それは工業製品の見え方に限りなく近づいて、揃っているけれど「つまらない」物に近くなってしまいがちです。
本来、数を吹く仕事は安定した形を作ると同時に、その「安定」が「固定したもの」ではなく、中に生き生きとした「何か」を、孕んでいるものでなければなりません。私達が何かを見て「それ」に魅せられるのは、ただ凄い「技術」でもなければ、安定した「形」だけでもなく、そのなんだかわからない「生き生きした何か」なのだと思います。貴方の仕事のすぐ隣に「それ」はいます。つかみ取って、私達を喜ばせて下さい。
あまねや工藝店 川口義典
2011年10月16日日曜日
“第2回 鈴木照雄作陶展”のお知らせ
3月の大震災の折、最も大きな震度(震度7)を記録した宮城県栗原市で作陶をしている友人・鈴木照雄君の、実に16年ぶりになる2回目の個展を、今月29日から11月6日まで開催する事になりました。前回の時には今年30歳の娘が中学生でしたから、ずいぶんと時間が経った事になります。鈴木君の事は、すでに私のブログで何度か(2009年7月25日付「鈴木照雄君の事」、同年11月25日付「東京から東北へ その5」)紹介しました。現在は、3年掛かりで手を入れた築80年程の農家に、犬や山羊、鶏などと暮らしています。母屋の横には屋根を差し掛けた小さな部屋があり、中に薪ストーブも据えてあって其処が細工場になっています。2009年の晩秋、住居を移して初めて私が訪ねた時は、そこに泊めてもらいました。
また家の内外を問わず、筋の通った工藝品が様々に置かれ、暮らし手・作り手としての鈴木照雄君の「憧れの在処」を物語っているかの様です。目の前、二百メートル位の処には視界を遮る林があって、廻りは、田圃と樹木そして竹林で構成された静かな風景が広がっています。こう書くと良い事づくめの様に聞こえますが、都会暮らしに慣れた人間には、つらい環境でもあるのです。家の内と外を隔てるのは、明り障子のみ。居間に小さな炬燵はありますが、ひどく寒いのです。熊や猪、狐なども出没。散歩も命がけ(?)です。
こんな暮らしぶりの中から生み出される作品は、地味の肥えた畑で栽培された野菜の様に、骨太で逞しいのです。これ迄に柔らかな物しか食して来なかった口に、それはいささか筋っぽく、噛みごたえがあるやに感じられるかもしれません。
この事を、私は今回の案内状で次の様に書いています。
『さて、鈴木照雄君の仕事の特徴はと云えば、今時の流行(はやり)仕事に比べると、大きく“なまっている”事です。しかし、その“なまり”は作り手の暮らしぶりや、仕事が生み出される土地柄を反映した、本来的な意味で工藝品に備わっているべき、好ましいものです。』
そしてこの消息を、陶芸家・河井寛次郎は、「暮らしが仕事 仕事が暮らし」と云う短く美しい詞(ことば)で表現しています。
さて、初日29日の午後6時からは、ヴァイオリニスト・河村典子さんの「ヴァイオリンひとり」 J.S.バッハ 無伴奏ソナタ&パルティータ連続演奏会(来春と来秋の都合3回)も行なわれる予定です。河村典子さんについては、あまねや通信2010年11月7日付「私達は“何を”売っているのか?河村典子さんと会って考えた事」を御参照下さい。
したがって、オープニングパーティーは演奏会終了後の午後8時頃から、河村さんとの交流会も兼ねて、賑々しく開催予定です。詳しい事は、あまねや工藝店までお問い合わせ下さい。
2011年10月10日月曜日
百子の花日記 125
2011年10月9日日曜日
“ 十八番の会 ” 終了に当たって
“ 十八番の会・五人展 ”に御参加の皆様へ
八女と福岡の2カ所で、およそ3週間にわたって開催した「十八番の会・五人展」が無事に終了しました。終わりに臨んで、この「五人展」に御参加下さった皆様に、まずは御礼申し上げます。ご自分の「個展」と違って、すすめ方も含め見当のつけにくいであろうこの催事に、よく皆様が御参加下さったと思います。それは、裏を返せば皆様方御自身も、これまで自分が馴染んで来た催事の形以外のやり方に、これまでと違う「なにか」を期待なさっての事なのだろうと拝察いたしております。勿論、企画をした私自身も売り手の立場にあるものとして、どうすれば、使う立場にある方々が目の前にあるもの(工藝品)を、自分の暮らしに関わりのあるものとして受け入れ、使って下さる様になるかと云う事を、自分なりに考えた上での事です。
「個展」という形は、一人の作り手が作り出したものを或る場所に並べ、使い手側にそれを見てもらう形をとるのが一般的です。最近は、そこに様々なもの(例えば、珈琲や菓子など)を絡めて、企画するのが大流行の様ですが、これは作品を実際に使って見せる意味でわかり易くはあっても、必ずしも作品の売れ行きに直接結びついている訳ではありませんし、どちらかと云えば、人を大勢呼ぶ為の手立てとしてのみ、案出された色合いが濃い様に思います。「個展」は作り手の表現の場であると同時に「経済行為」でもある訳ですから、それを託された私達売り手の側が、文字通り手を変え品を替えして、一つでも多く売る事に血道を上げるのに何の不思議もありません。ただ、そこで売り手にとって大事なのは、まずは“ 何を選ぶか ”そして “ 何故選ぶのか ”と云う事です。大げさに聞こえたら御勘弁頂きたいと思いますが、そこに並ぶものに自分を重ねて悔いのない仕事を、まず売り手の側が選べているかどうかと云う事であり、自分が欲しいのは結果としての売り上げの多寡だけなのか、或は違う“何か”なのか、と云う事です。
先に、「個展」が「表現行為」であると同時に「経済行為」でもあると申し上げましたが、私にとって選んだものを売る事は「経済行為」であると同時に、私自身の「表現」でもあると思っているのです。見え方としては「寄席」で行なわれる二人羽織に似て、ともすれば“ 頭と手 ”がちぐはぐになるのは避けられないにしても、“ 頭 ”の思いを“ 手 ”が汲み取り、“ 手 ”の気持ちを“ 頭 ”が思いやる事で、これまで形になりにくかった催事が、誰に対しても説得力を持つものに育って行く事を願うばかりです。これからの皆様方の御健勝を祈ります。
2011年10月9日 あまねや工藝店 川口義典
2011年10月4日火曜日
百子の花日記 124
10月4日、今日はとんでもない日。裏庭で大きなマイマイにあった。お久しぶりと声を掛け、花採りを続けた。家に入ったり出たりを繰り返して縁側から出ようとしたら、足下に30cm位の背に規則正しく点々のある黄土色の小さな蛇。ギョッとした。今年はこれで色の違う蛇を三回見た。恐いもの見たさに追いかけたら、逃げられてしまった。睡蓮鉢をのぞくと、金魚の睡眠を妨げるカエルが中で日なたぼっこをしている。片手鍋でバサッとすくって瓶に入れたのに、蓋をする時二度も逃げられてしまった。散々である。遊びながら花採りをし、花の水切りをしていると表庭のマイマイに会った。このカタツムリも久し振りなので、カメラにおさめた。
作業を終え、玄関を掃除しているとまたガサガサと何やら動く気配、カベチョロである。しかも、背に縞が入っている。こんなの見た事ない。見近に見たいので追いかけたら、水捌け口から逃げられてしまった。二度ある事は三度ある、である。終いは、夜の9時頃に暗い玄関にキリギリス、今度は捕まえて外に出した。いろんなものに出会った一日。そうそう、家紋を付けた様な白い蛾にも会った。網戸に張り付いて、いつまでも飛ばないので、ちょっとちょっかいを出したらパアーと飛んで、わたしに向かって消えた。視界から消えた。暫くして、玄関の軒に止まっているのを見つけて安心した。庭に出るといろんなものに出会って、ビックリしたりドキドキしたり、大変なのヨ。