23日から始まった「北の手仕事展」の“もの並べ”を始めたのは、前日・22日の午後3時を過ぎていました。
案の定遅々として進まず、なんとか目処がついたのは午前2時過ぎ、自宅に帰り着いたら3時を過ぎていました。翌日、無事に初日の幕を開けられはしたものの、会期直前に来福が決まった光原社の及川さんが、パーティーを始める前「東北の手仕事」について話をして下さる事になり、急遽、友人達に連絡を入れた結果、10人程の人達に集まってもらう事が出来ました。
光原社の始まった経緯として、及川さんの祖父・及川四郎氏と宮沢賢治の関係から、「注文の多い料理店」や「春と修羅」が出版された事。その本が大量に売れ残り、借金(その当時家が一軒建つほど)の返済に苦労した事。でもその事自体、大変に面白い経験であったと、四郎氏が述べていた事。その縁(四郎氏と賢治は、花巻農林の同級生)で「光原社」と云う名前を、宮沢賢治がつけてくれた事。又、ホームスパンやこぎん刺しなど、東北の工藝品がその風土と大きな関わりを持つ中で生み出されて来た事などを、お話しして下さいました。及川さんがお帰りになった後も延々とパーティーは続き、パーティーの後片付けをして、仮眠をとり自宅に帰り着いたら、朝の5時を過ぎていました。
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