2010年4月14日水曜日
立花英久塑像展の顛末 3
催事開催まで一ヶ月をきる3月13日、ぎりぎりのタイミングで小さめの塑像6点が送られて来ました。一目で梱包に不慣れな、でもそのぶん送り手の必死な思いが伝わって来る様な様子の、たくさん詰め物が入った大きめの箱です。その翌日の午前中、撮影の為にスタジオTのFさんのところへ。3カット撮ってもらったものに文章原稿を添えて、デザイナーのI君のところへ送信。写真面のタイトル文字を、私が貰った立花さんからの手紙に書かれていた文字を、そのまま使う事にして出来上がりを待ちました。I君が忙しい時期であったらしく、校正原稿がなかなか上がって来ません。ようやく1週間目に送られて来た原稿から、写真面に使う塑像は、私が最初に見た塑像のイメージに一番近いものを選び、そのまま印刷会社に入校。「村松学吹きガラス展」の会期と重なっていた事もあり、案内状の受け取りが3月最終週の火曜日30日に。翌31日に、100部を立花さんへ急ぎ送りました。
初日前日の4月9日、朝8時30分。空港まで立花さんを、お迎えに行きました。聞けば、前日8日に大きめの荷物2ヶ口を、航空便で出したのだとか。DMをお送りする時に、心配だったので、段ボールシートを使った梱包のやり方を図に描いて、一緒にお送りしたのです。ほぼそのやり方通りで、上手く梱包が出来たようです。さて、私の車でいつもの太宰府裏道コースへ。「太宰府政庁跡」から「観世音寺」、そして「戒壇院」を廻って、我が家で珈琲を楽しんだ後、荷物の開梱の為、あまねやへ。時に1000点を越える“小鹿田新作展”からみれば、34点で楽に並ぶと思いきや、これがなかなか難しいのです。結局最終的に並べ終わったのは、金曜の12時近く、ヤレヤレでした。11日のギャラリートークには、12、3人の方々が参加して下さいました。長男Aが聞き手、立花さんがそれに答える形で、立花さんの“映像の仕事”から“塑像の仕事”への道筋を話してもらいました。実に面白い話で、立花さんの“映像の仕事”あるいは脚本や舞台の仕事が、そのまま“塑像の仕事”に“根”でつながっている事が確認出来て、まことに有意義な時間になりました。
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