その手紙をいつ書いたのだったか、よくは覚えていません。10月10日頃だったでしょうか。その中で、私の塑像発見の経緯と私の店で塑像の展観をやって頂きたいと思っている事、そして11月の初旬に上京の予定があるので、その時にでもお会いした上でお話ししたいと思っている事などを、書きました。長男のAからは、会場で立花さんにお会い出来た事、催事開催については脈が有りそうな返事を貰えた事、また塑像も“一体”無事購入出来た事、その塑像が“むちゃくちゃ良い”事などを、すでに聞かされていました。返事を待ちました。
手紙を投函してずいぶん日が過ぎた頃、立花さんから待望の電話が有り、塑像展会場のSで“塑像”を見せて貰える事になりました。電話をもらったその日、翌年(つまり今展)の“塑像展”の文章原稿を、一気に書き上げました。「暮しの手帖」掲載の塑像写真(昨年5月の第1回展出品の60点程のもの)と、今展出品の塑像(34点で、すべて新作)との間にある、立花さん自身の塑像表現の変化(立花さん自身によれば、自分の塑像に対するイメージがより明確になって来たから、との事でした)が、数人の方から“有元や木内よりジャコメッティみたい”と言われたその原因なのです。その後の事は、「あまねや通信」に書いた通りです。しかし、事はそう簡単に運ばなかった事を、今回知る事になりました。写真は、オープニングパーティーのもの。14、5人の参加で楽しくやりました。
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