2008年12月31日水曜日
Try to remember・・・ 4 瀬戸國勝さんの漆器
11月1日から9日まで、輪島で漆器作りをしている瀬戸國勝さんの漆器の会を開きました。あまねや工藝店に、単独で塗り物を並べるのは実に20数年ぶりです。これだけ間があいた理由のひとつは、店の側では単価の高い漆器は売りづらく、作る人にとっても売れなければ仕事として成立せず、お互いに遠慮してしまうのです。まして今年の大不況ですから、腰が引けるのも当然です。ただそれを理由にしていると、永遠に売れる物を追い続けるだけの、流行もの主体の情けない店になってしまいます。この会を切っ掛けにして、漆器の事をもっと皆さんに知って頂く努力をしなければと改めて思いました。
ところで、いつも当店に置いている、いわば「あまねやスタンダード」の漆器は二つの産地の五種類程です。秋田県川連(かわつら)の漆器と、長野県木曽平沢の佐藤阡朗さんの工房の物です。それぞれ25年以上置き続けていますが、経済的な問題でこれ以上種類を増やせないのが悩みです。さて、それらの品に比べると瀬戸さんの漆器は全体として、加飾法の大胆さ或は作る品の間口の広さが印象に残ります。
しかし今回店に並ぶのは椀や木皿を中心にした、瀬戸さんの考えるこれからの時代の漆器のスタンダード80種程です。輪島の定番である合鹿椀、或はその小型版である藤井椀。又、栗の木地の木目をサンドブラストの様に強調して浮き立たせ、その結果つかう際に出来るすり傷などを気にせず使える(きずつける事を奨励している訳ではありません、念の為)盆や木皿。また、木地に最初から細かい模様(とびかんな)を付け、これも結果として傷が目立たない様になっている朱の木皿など、大きく変化している暮らしの中で、漆器が矛盾なく日常生活の中に入って行ける事を考えた、技法上の工夫が目立ちました。
その他、三つ椀や朱の楕円重さらに練行衆盤の美しさも忘れられないものでした。
2008年12月30日火曜日
熊井さんの事
先週の日曜日、前々からお約束をし、楽しみにしていた彫刻家・熊井和彦さんのご自宅をお訪ねしました。同行者は森貴義君。彼の作っているガラクトーイが、彫刻家の熊井さんの目にはどう映るのか、それをお尋ねするのが目的のひとつです。約束の昼過ぎに、久留米近くの私鉄の駅までお出迎え下さり、まず石の彫刻をなさっているという広川のアトリエまでお連れ下さいました。アトリエとは云っても、石材屋さんの一隅に間借りをし、そこで制作に励んでおられる由。晴れた日には普賢岳が見えるとおっしゃる、小高い丘の上に位置するのどかな所です。そのアトリエでのお話しの中で印象的だったのは、熊井さん御自身が形を求める人であるにも関わらず、素材としての何もしない状態の石材の美しさを語られた事です。ご自分の仕事に対して、誠実で正直な人だと思いました。
実は、熊井和彦さんは川島玲未さんのおじさんに当たる方で、初めて出会ったのも川島さんの催事の時です。何をどう話したのか今は思い出せませんが、玲未さんそっちのけで話に花が咲き(玲未さんごめんなさい)、私の好きなイタリア・ミラノに30数年もお住まいであった事や、福岡のみならず日本でも有名な彫刻家・豊福知徳氏のお弟子であられた事。「居合い」の達人でもあり、イタリアにお弟子が大勢いらっしゃる事、等々。
さてご自宅は町中でありながら、敷地が200坪程もある大きな和風のお家です。かつてお住まいだったもっと繁華な町中のお家の一部を移築したとおっしゃる御茶用の炉を切ったお座敷があったり、その隣にお茶室がしつらえられて有ったりととても立派なお住まいです。
ご家族はミラノにお住まいで、ご自身は住まいの一番奥、台所隣の食堂兼居間と隣りの畳敷きのお部屋で、一人で暮らしていらっしゃるのだそうです。テーブルに座ると、まず煮物が2種出て来ました。牛肉と牛蒡を炊き合わせたものと、人参・里芋とさつま揚げを炊いた一品です。失礼ながら、まず美味しいので驚きました。それからいろいろ話に花が咲き、かつての愛車がアルファロメオのジュリエッタであったとか、今ご愛用のチェロがガダニーニ(だったか?)の弟子の制作したものであるらしいとか(中にそう書いた書き付けが張ってあるとの事ですが、なにせイタリアですからね)。でも自分の仕事の事をどう上手く言いくるめられたとしても、私だったらジュリエッタに乗っていたと聞かされるだけでその人の仕事を信用してしまうでしょうね。
閑話休題。さて、肝心の森君のガラクトーイについても色々お話を伺う事が出来ました。しかし今はここには書きますまい。話がはずみ、お酒もすすんで帰りは夜の9時過ぎになっていました。
Try to remember・・・ 3 玲未さんの事
10月4日から12日まで、川島玲未さんの「へんな人達」60人程と文庫版のブックカバー数十枚を店の二階に並べました。催事の約束をしてちょうど1年目の事です。
昨年秋に別の用で出掛けた八女で、玲未さんの「へんな人達」に初めて会いました。引き合わせてくれたのは、八女市内で「朝日屋酒店」をやっている高橋さん。二人のお嬢さん方が、彼女達のファンなのだそうです。玲未さんが作るのは一種の縫いぐるみですが、その作り方が変わっています。まず手持ちの端切れで、様々な形の小さな布のクッション様の物を作り、次にそれらを任意に(といっても、ある納まりを見つけて)組み合わせた結果、そこに人形が出現するのです。話を聞いてみると、もともとは刺繍(インドのカンタを見てからだそうです)をやっていて熊本でそれらを並べた時、場が埋まらず刺繍より早く出来る人形を作り始めたのだとか。私の目には刺繍よりも、遥かに玲未さんの表現になり得ている様に見えました。世界を見れば、それぞれの土地にそれぞれの表現の一つとして愛すべき人形がたくさん有ります。玲未さんの作る物は、それらに比べると遥かに個人的な色彩の強い物ですが(その作り方ゆえでしょうか)、ねらい過ぎない良さが夫々にあって、私は好きになりました。でも何よりなのは、それが玲未さん個人の表現として、魅力的なものである事。工芸の領域の仕事の中には、若い人の魅力的な仕事をなかなか見いだす事が出来ず、いささかうんざりしていた私にとって嬉しい出会いのひとつでした。嬉しかった事をもうひとつ。物並べの日に東北から二人のお客様があり、玲未さんの「へんな人達」を買って下さった事。しかもその内のお一人が、仕事の厳しさで知られている、ホームスパンの織り手・蟻川喜久子さんだったので尚更でした。
さて、催事のふたが開くと、玲未さんのお客さんであろう若い人達が圧倒的に多く、びっくりするやら、感心するやらでした。
この先に光あり。
2008年12月10日水曜日
雪の降った日
12月5日に唐津・基幸庵から7個口で荷物が到着。4日に車2台で持って来て下さったものと合わせると、20個以上の荷開け。詰め物の新聞紙の整理、段ボールの片付け。三カ所開催の最終地なので当たり前とは言いながら、考えると気が遠くなりそうな作業量です。2006年の浦和の催事でも、40個口の荷物を6・7人で延々と片付けた事が思い起こされます。新聞紙にくるまれた品物を取り出し、棚や床に置く。新聞紙の中から品物を取り出し、その新聞紙を畳んで段ボールに入れる。それをおよそ数百回続けると、新聞紙の固まりであった物が、床の上にその全容を現します(なんか大げさですね)。
その中で、並べやすそうな品やコーナーをまず選び、とりあえず一度並べてみます。それを繰り返す内、絶望的大量の、ほとんど洪水状態に見えた作品が少しずつ少しずつその数を減じ、再び床が見える様になってくる時の嬉しさ(これは実感です)。そして重複したもの、棚に並びきれないものを選んで再度箱詰めする。こんな段取りで会場に作品が並ぶのです。誤算であったのは、坂本さんが「民藝館賞」の授賞式出席のため、物並べの手伝いが全く出来なくなった事です。ここはひとつ細君と二人で頑張るしかないと思っていたところへ、仕事で超多忙を極める八女・朝日屋酒店の高橋さんから電話があり、「小鹿田の新作展を是非見たいので、仕事が終わった後お邪魔したい。9時頃には行けます。」との事。この御仁、若い人ながら気配りが行き届いていて、見習いたいくらいです。約束通り9時過ぎに高橋さん来店。ご厚意にあまえ、12時過ぎまであれこれの事を手伝って頂き大助かりでした。2時頃まで粘りましたが展示作業は終了せず、後は明朝と云う事にいたしました。
さて、2008年小鹿田・坂本工窯新作無地シリーズ展の最終地、福岡での展観初日の6日はひどい雪降りになりました。まず心配したのは、授賞式のため上京した坂本工さんが、無事福岡に戻って来れるかどうかと云う事と、本夕来福予定の夫人とお嬢さんが小鹿田から、出発出来るかどうかでした。(幸い?)お客様が少なかったため、その日の午後にはなんとか物並べも終わり、店の格好がつきました。夕方には、坂本夫人とお嬢さんも無事到着。話を聞くと、いつもの乗用車ではなく、四駆の軽四輪で地道を走り2時間半掛けて福岡までたどり着いたとの事。初日を無事に終え、記念祝賀会会場の一刻堂へ。
こちらのご主人Fさんは、3年前の個展の折にも坂本さんの作品をいろいろ買って下さり、またお店で実際に使って下さってもいて、私どもには有難いお客様の一人です。さて、待つ事30分あまり。坂本工さんも、空港までのお迎えをお願いした御友人と共に到着。他に坂本さんの友人夫婦一組。総勢8人で、今回の受賞を祝って乾杯。12時頃まで愉快に過ごしました。
2008年12月4日木曜日
鹿児島からの帰途、“手強い”味方に出会った事
鹿児島展の初日の幕が開き、福山帰りの坂本夫妻と私の3人は、午後4時過ぎに会場の「可否館」に到着。若い人達がたくさん来て下さる事に驚きました。夜になり、永田さんお心尽くしのオープニングパーティが始まりました。コーヒーとサンドイッチでと聞かされていた私たちは、帰り着く前にコンビニでビールと酒のつまみを、ひそかに用意。皆さんがコーヒーやサンドイッチを召し上がっている間もビールを飲んでいましたから、実は会場の皆さんのひんしゅくを買っていたのではないかと、恐縮している次第です。翌16日、たまたま帰る途中の人吉で個展をやっている丹波のSさんの個展会場であるG民芸店にお邪魔する事にしました。昼頃、人吉に着けるよう鹿児島を出立。人吉で評判のUうなぎ店でうな重を食べる計画です。昼食後、会場へ。丹波のSさんは、私の尊敬する現役作家の一人です。大学を出た後、丹波篠山の個人作家であったIさんに師事。独立後30数年をへた今、廻りの若手の作家達から目指すべき作家の一人として尊敬を集めています。いったい個人作家と云うのは、どういう人達のことを言うのでしょうか。まずは、その人自身の作った物の中に、明らかに一つの定型(スタイル)が見て取れる事。そして作り手として更に先に進む為、その定形を壊し続ける人。陸上競技にたとえれば、短距離と長距離を走り切る体力の持ち主である事。1回1回の個展は短距離走であり、それを長く続けるのはマラソンの様なものでしょう。これらの事を考え合わせると、作家として活動し続ける事は並大抵でない事がわかります。このSさんに福岡での新作展案内状を、お見せした時の事です。坂本工さんが作ったイタリアの皿に由来する縁の広い大皿について、一言ありました。皿の外見だけを見れば、いま誰でもが作っている”流行もの(はやり)”にしか見えませんから、Sさんに何か云われても仕方ありません。Sさんの云いたい事を忖度すれば、流行の形をなぞるのでなく自分の足許をよく見てもっと勉強なさいと云う事でしょう。皿自体を見る限り、7寸や8寸の皿は新作として可能性がある様に私には見えます。どうすればそれが小鹿田窯の新作として定形(スタンダード)になり得るか、その事をもう少し考えてみたいと思います。Sさんは私にとっていわば“手強い”味方の一人、大事にしたいと思っています。その後、G民芸店主人Uさんのコレクションの内、沖縄の陶工 金城次郎の仕事をまとめて見せて貰う事が出来ました。沖縄の風土そのものが、作品の向こうから吹き出してくる様な強いものを感じます。
地域に深く根ざした工芸はかくありたいと思いました。私には有難い時間でした。
鹿児島で苗代川の酢がめに出会った事
鹿児島滞在3日目の今日は、いよいよ鹿児島展の初日です。大事な初日なのですが永田さんに無理を言って、坂本夫妻と私の3人は霧島市福山の福山酢いわゆる薩摩の黒酢を造る工場を見学に出掛けました。鹿児島に出掛ける前は、30年ぶりの鹿児島だから美山地区に出掛けて苗代川焼でも見て来ようと思いもしたのですが、今の事情を聞いてみると出掛けなくともよさそうです。代わりに苗代川の酢がめを使って黒酢を作っている福山に行く事にしました。宿から車で桜島に渡るフェリー乗り場へ。15分程で桜島着。それから小1時間程走って黒酢を作る福山地区へ。8軒のメーカーが黒酢を作っており、ちょっとした運動場くらいの広場に見渡す限り酢がめが並んでいます。ただ予想に反して、並んでいるかめの大半はどうやら苗代川焼ではなさそうです。後で聞いてみると、40年程前から苗代川では酢がめを作らなくなり、信楽焼また、最近は価格の点で韓国や台湾の物などが多いとの事。しかし、執念で見つけました。あるメーカーの酢がめが並べてある広場の隅の方に、ひっそりと10数本の酢がめが横になったり臥せられたりしています。酢がめの蓋もそば釉に発色した感じの良い物です。残念ながら、金網越しなので手に取る事は出来ませんが、100年以上は経っているとおぼしき優品です。後にそのメーカーで頒けて貰えるかどうか聞いてみたところ(私ではありません)、にべもない返事です。でも考えてみたら、欲の深い人は何も我々だけではない筈ですからあたりまえです。酢がめに心を残しつつ、別のメーカー経営のレストランで昼食。最後に、福山地区の入り口に有る小さなメーカに立ち寄って壷の中を見せてもらったり味見をさせてもらったりした後、展覧会場の可否館へ向かいました。本番はこれから、とても楽しい半日でした。
2008年12月3日水曜日
嬉しい知らせ 新作展へのご褒美
11月27日から唐津で始まる小鹿田・坂本工窯 新作シリーズ展の準備の為、26日の昼過ぎに「基幸庵」に参りました。鹿児島に続く2カ所目の会場で、お店から間近に唐津城を望む事が出来る絶好の場所です。お店が新しくなったオープン記念にとのお約束が、ちょうど1年繰り延べになったのですから、ここはひとつ頑張って私の担当である物並べをしなければなりません。そうこうする内に坂本工夫妻も到着。前日に鹿児島から到着した荷物の開梱作業を終え、もの並べを始めてしばらく経った頃、東京・駒場の日本民芸館から坂本工さんに連絡があり、2008年度の日本民芸館賞を坂本さん出品の「白釉無地睡蓮鉢」が受賞したとの事。そこに居あわせた皆で、思わず拍手をしてしまいました。作り手にとってハードルの高い「無地」をテーマに据えた張本人である私も、一緒にご褒美を頂戴出来た様な気持ちになりました。その夜、基幸庵のIさんお心尽くしのお料理、呼子から来た漁師さんが目の前で烏賊や鯖・鯵などを「活き造り」にしたものを、御馳走になりながら改めて祝杯をあげ、坂本工さんの民芸館賞受賞と唐津展の成功を祈りました。宿に帰ってからもビールを飲み続け、あちこちにメールや電話をして迷惑をかけ散らした挙げ句、ベッドに入ったのは午前2時を過ぎていました。やれやれ。