前崎鼎之さんがお作りになった陶印の素敵な事は、すでに述べました。ここでは、その陶印の幾つかをご紹介しましょう。最初の三つは一文字の、「かぜ」・「あめ」・「そら」。「せつげっか」もよく目にする組み合わせですが、造形の力でしょうか、言葉につきまとう陳腐な感じからは逃れる事が出来ている様に思います。また最後の、「げんちゅうげん はくちゅうはく」も素敵でしょう!
2009年11月30日月曜日
2009年11月28日土曜日
2009年11月25日水曜日
東京から東北へ その6
東京から東北へ その5
冷たい雨の降る中、駅まで出迎えてくれた鈴木君の運転する軽トラックに乗って30分ほどの新しい住まい兼工房に向かいました。鈴木君は空き家になっていた茅葺きの民家を丸3年かけて自力で修復し、登り窯も移し終えた最初の窯焚き直前の昨年5月に「宮城県内陸地震」で被災。窯にひびが入ったり窯内の作品が壊れるなどして私を心配させましたが、今年2月に地元のギャラリーで、移窯後の初個展にこぎつけたのでした。さて、案内されて母屋に入ってみると、まず囲炉裡の部屋があり盛んに薪がいぶっています。母屋の右手の下屋の中が細工場で、薪ストーブを焚いて暖かくしてあります。部屋の7割ほどに板が張ってあり、私はここに泊めてもらいました。翌朝、目が覚めて母屋に顔を出すと、今朝はなんと素晴らしい天気です。陽に暖められて、地面や茅葺きの屋根からさかんに蒸気が上がります。明かり障子は開け放たれて、部屋を暖めるものは掘りごたつだけですが、とても良い気持ち良い眺めです。持参した土産の珈琲は、いつもの様に鈴木君が乳鉢でつぶし香り高く点ててくれ、トーストや野菜とともにいただきました。この時の私の失敗話を一つ。小皿にスプーンが添えられた白い粉末状のものが卓上にあり、私はてっきり砂糖だと思い込んでミルクを足した珈琲に入れて飲んでみると、これが塩っからいのです。飲んだ事はありませんが、チベットなどで飲むと聞いているバター茶もかくやと思われる、一種不思議な味でした。聞けば、同君は砂糖はほとんど使わないのだそうです。ところで、鈴木君の現在の同居人は、6歳の柴犬一匹、やぎ一頭、鶏一羽(狐に盗られるまでは三羽)です。大変な事が続いた後に、鈴木君に与えられた小王国。羨ましい様な暮らしぶりですが、誰にでも出来る事ではありません。12月の2週目に、仙台のデパートでの個展を控え忙しい日程の同君と、忌憚のないお喋りを楽しみ、昼頃に新幹線で仙台の宮城県立美術館へ。ここで、初めての「洲之内コレクション」を見た後、7時過ぎに無事東京へ帰り着きました。
2009年11月24日火曜日
東京から東北へ その4
17日早朝の新幹線で、5年振りになる東北へ出掛けました。10時30分頃に盛岡到着、タクシーで材木町の「光原社」へ。旧知のYさん、Oさんと御挨拶の後、「えげれす館」で珈琲を御馳走になりながら、Oさん、仙台「センダード」のKさん(私は初対面)とよもやまの話。岐阜のギャルリMのホームページで見た「光原社の会」の話から、そこを主催するAさんの焼物の話になり、先日「光原社」でAさんの展覧会を開催した事。その会には若い人が大勢押し掛けた事。顧客の新陳代謝を図りたい意図がそこには有り、ある程度目的が達せられた事。試しにKさんが買ってみたAさんの食器が使い易かった事。また、九州の若手陶工Iさんの作るスリップウェアーの話等々。それらの事について意見を求められたので、私なりに考えている事を率直にお話ししました。Kさんは私とほぼ同世代の方の様でしたが、ご自分と違う意見の私の話しを面白がって聞いていらっしゃいました。その後、お昼に美味しいお寿司を御馳走になった後、ホームスパンの「蟻川工房」をお訪ねしました。そこでも、仕事の話や物についての話しをする内に、あっという間に夕方になり、工房主宰のIさんに駅までお送り頂いて栗駒の鈴木照雄君の所に向かいました。
2009年11月23日月曜日
東京から東北へ その3
東京から東北へ その2
今度の浦和の催事では、関東圏に居る知人友人達に広く案内をしていた為もあり初日の14日、翌15日も沢山の人達が来て下さいました。今春から東京の高校に通っているYちゃんと父親のTさん、また伊東で焼物をやっているS君、転勤で今は東京に居るNさん母娘、そしてワインを差し入れてくれた古い友人のU君等々。有難い事でした。さて、夕方からは恒例のオープニングパーティーです。画廊を手伝っているSさんのご実家が、宮城県で江戸時代から代々続く御豆腐屋さんで、其処の枝豆で作った”おぼろトーフ”を皮切りに、色々のお酒と十数人の参加者のお喋りで賑やかに時が過ぎて行きました。二次会は、駅近くのAという居酒屋、其処でもみな楽しそうに盛り上がりましたよ。
登録:
投稿 (Atom)