2019年12月27日金曜日
あまねや工藝店40周年記念文集
出版順延のお詫びとお知らせ
今秋出版予定とお知らせしておりました、あまねや工藝店40周年記念文集「くらしにあかりをともすしごと」は、出版が来春に順延になりました。早ければ来年3月末、遅くとも5月のゴールデンウィークまでにはお手元にお届けしたいと思っています。編集その他、実務を担当してくれている若い友人達は、それぞれが自分の仕事を持ちながらのボランティアであることに加えて、元原稿の校正や「文集」に収める写真の撮り直し、その他の作業にも手間が掛かっている事などが原因です。しかし、実作業の大きな山は越えて大まかな「文集」の形が見える処までこぎつけ、後は具体的な本の形にする細かな作業を残すのみです。とは言っても、ゴールはまだひと山もふた山も向こうにあって、まだまだ時間を必要とします。
200部とお知らせしておりました「文集」ですが、ページ数を増やすためもう50部ほど冊数を増やすことも検討しています。また、六人の方々の寄稿文と書き込みのあるあまねや工藝店の年表は別刷りで文集に添付されます。刷数の200部中、現在の予約数は150部と少し。収める写真がカラー印刷であることもありだいぶ印刷費が嵩みそうで、定価がほぼ原価に近いものになりそうです。そんな訳で、相変わらず先行予約を募集中です。どうぞよろしくお願いします。
2019年12月17日火曜日
「天国無尺(物差しのない仕事)」
今展出品物の一つにルーマニアの古い小振りな櫃 (W 62cm D 36cm H 31cm) があります。明らかに木工専門の職人仕事ではなく、哲学者 内山節(うちやまたかし)云う処の「多職の民」である農民の自作の品のように見えます。何故か?形になるまでの工程をたどりながら考えてみましょうか。まず用途に応じて大まかな全体の大きさを決め、手近にある材料で身と蓋の部分を作る。其々の形が出来た処で、一度合わせてみる。しかし、蓋がどうにも上手く収まらない。そこで前脚の上部外を内側に少し刳って、どうにか上手く蓋を収める。
この一見、行き当たりばったりのように見える工程の進め方を見ていると、あらかじめ各所の寸法をきちんと割り出し、それに沿って各部材を加工組立して行く、そんな専門の職人仕事にはとても見えないのです。しかし、こうして形になったこの櫃は、身の回りの何か細々しいものを収める容器、或いはひょっとして、自分の幼い娘の腰掛を兼ね、その娘の身の回りの物を入れる為に作ったものかも知れません。そんな事を考えさせる程、この小櫃は素朴で愛らしいものです。これこそ「天国無尺(天国には美醜を測る物差しがない)」の仕事の一つと言って良いと思います。
「天国無尺」。この言葉自体、何処で出会った言葉だったか確かではないので、間違っていたらお許し頂くしかありません。(記憶の中では)私の師匠の外村吉之介が、50年以上前に岡山市で行われた教職員大会か何かの記念講演で B・リーチ氏と対談(リーチさん曰く、二人で漫才やろうじゃないか)。その後、それを外村が雑誌「民藝」に書いた紹介記事に付した題名か副題であった様な気がします。その中で、子供たちが描いた絵をリーチさんが評して、「 天国には(美しいかそうでないかを測る)モノサシないんだ 」云々。私の記憶通り「言葉」が外村のものであるのならば、美しいものが生まれる消息を端的に表した、如何にも外村らしい簡潔で味わい深い言葉だと思います。
追記 ’19年12月23日 先日、木工を仕事にしている大分県宇佐在の岩橋正隆君にこの小櫃を見てもらいました。同君によれば、この小櫃は(私の言う)行き当たりばったりの仕事ではなく、一応ちゃんと収まりその他、色々な事を考えている仕事に見える、のだそうです。だとすれば、収まりの形に囚われて、この櫃を見ているこちらの(常識的な)見方に問題がありそうです。
2019年12月14日土曜日
「工芸の愉しみ 冬 百選」ご案内
2019年12月12日木曜日
「工芸の愉しみ 冬 百選」準備中 / 14日から
11月の半ば、私用と仕事を兼ね半年ぶりに上京して、数人の作り手の展覧会と東京駒場の日本民藝館で開催中の「柳宗悦と古丹波展」を楽しんだりして10日間を過ごし、無事福岡に帰り着きました。途中数カ所に立ち寄り、今展のための品選びをして今年最後の催事に備えました。なんといっても私の仕事の愉しみは、あちこち歩いた末に出会う、様々な国の多様な生活領域の新古の道具類・工藝品です。東京銀座のある店で出会ったインドネシア尺五寸の大盆、また別の店で見つけたインド尺八寸の木製大捏鉢、同じくインドカッチの布味の良い手紡手織りのウール糸を使ったショール、トルコの真鍮ヤカンやルーマニアの小振りな古櫃、九寸の松材木地盆に三寸程の文字の入った漆小皿等々。他に、この時期にしか見ていただけない敷物類やキリムのクッションカバー、インド先染めのカディと呼ばれる木綿生地やタッサーシルク布、棒縞更紗のバッグやスカーフ類まで、たくさんの品揃えで皆様方をお待ちいたします。会期は例年通り、年をまたいで前期後期に分かれています。
【前期】’19年12月14日(土)~29日(日)但し、会期中の月曜日16日と23日は休み。【後期】’20年1月4日(土)~12日(日)会期中の月曜日6日は休み。開店時間はいずれも午後1時から7時まで。
今年も皆様のご愛顧を賜り、まことに有り難うございました。それでは皆様、どうぞ良いクリスマスと新年をお迎えください。
2019年11月9日土曜日
剣道と現代美術の幸せな関係
「剣道と現代美術の幸せな関係」と、タイトルに書いても皆さんには何の事だかお分かりにならないと思います。それも当然で、松形さんの尺八寸の大鉢を見て、今し方思いついたタイトルなのですから。
どう云う事かと言えば、松形さんが学生時代に美術部に所属し、絵筆を執って絵画を描いていた事はDMにも書きました。実は美術の他に、この御仁(ひと)は剣道を長いこと続けて来た人で、中学校の教師時代、剣道部の顧問を引き受けさせられて、休みもなく大変だったとの話は聞かされていたのです。今回の大鉢は、松形さんの人生の根にある美術と剣道を「産みの親」として生まれたものであるとの確信を抱くにいたり、それを皆さんにお話ししたくなって、この面妖なタイトルをでっち上げたと云う訳です。
とは言っても実のところ話は簡単で、この点打ちの仕事を見ていると、剣道の試合で相手を前に竹刀を構え、一瞬の隙を捉えて面や小手を打つ或いは胴を払う、そんな気合いが、ありありと、私にはこの尺八寸の点打大鉢から見えて来るからなのです。
現代美術の世界でこの仕事の印象に近いものを探すと、アクションペインティングで名高い白髪一雄(しらがかずお)やアメリカのジャクソン・ポロック、そして工藝の世界では武内晴二郎の一連のスリップウェアや棟方志功の書の仕事等が眼に浮かんで来ます。褒めすぎだ、と貴方は言うに違いないけれど、この仕事は本当に上出来です、松形さん。
2019年11月7日木曜日
第3回「松形恭知展」始まっています
一階正面 |
11月2日に幕を開けた「松形展」、ほぼ1週間が過ぎました。10月30日に14ヶ口で作品が到着。開梱に丸一日。31日は、ここひと月半以上放りっぱなしだった土間の木煉瓦の敷き直しと床のワックス掛けで丸一日。11月1日には、八女に引き続き山口県川棚から手伝いに来てくれた中村さんと細君の手助けを得て、「もの並べ」で丸一日。初日は、夕刻から我々を含め15人ほどで懇親会と、ブログを更新する暇なく気がついてみたら1週間が過ぎていたという訳です。そんな訳で、遅ればせながら「松形展」のご報告です。
左端は今展一の大作「点打ち尺八寸大鉢」 |
2階会場の様子 |
今展の出品点数は大小取り混ぜて400点だそうで、2階会場だけではとても並べきれず、1階正面に少し並べました。それでも並べてみると、少し窮屈ではありましたが何とか形になりました。
それも1週間程の内に少しづつその数を減じ、今は良い収まりを作る事が出来ています。また、初日夕刻から15人ほどで行なった懇親会も、I シェフの即興料理で、ある時は松形作の食器類に乗せられて、美味しいものが次々に登場し一同大満足でした。今月17日までの会期です。皆さん、どうぞお出かけ下さい。
懇親会 |
日曜日の記念写真 |
2019年10月18日金曜日
第3回「 松形恭知作陶展」のご案内
’16年以来、3年ぶりになる松形恭知作陶展のご案内です。前回と大きく異なっているのは、原料の陶土が変わった事です。当然、これまで使ってきた釉薬との相性の見極めなど、大変な事が様々にあった筈ですが、それを感じさせない今展出品の美しい黒釉や海鼠釉の諸作をぜひともご覧頂きたくご案内申し上げます。
なお初日の11月2日には松形さんを囲んで懇親会も予定しています。造形されたものと重なるような穏やかな御人柄の、松形恭知(まつかたきみとも)さんと直接お話しいただける貴重な機会です。
ふるって御参加ください。当日の料理は、いつもの様に即興料理の名手 I シェフにお願いしています。参加費は1500円です。
ご予約は電話かEメールamaneya◎(◎はアットマーク)gmail.comまでお願いします。会期は11月2日(土)から17日(日)まで。会期中の月曜日は休みます。以下、案内状原稿です。
高校生の頃「走泥社」の八木一夫や鈴木治などの前衛陶芸に触れ、大学進学後は美術部で絵筆を取っていた松形恭知さんが、どの様にして工藝領域の表現に惹かれ、後年その世界で作り手を目指すようになったのか、詳しく伺ったことはありません。ただ、美術の世界の表現に比べて「実用(用途 )」の縛りがある工藝の仕事は自分にとって救いだった、という言葉を聞いたことはあります。穏やかで激することのない(様に見える)松形さんと陶器による表現は、よほど相性が良かったのか、その後、続々と実用世界の食器類を生み出しています。ここ一・二年ほど前から原料の陶土が変わり、釉薬との相性に腐心しているとの事ですが、写真をご覧いただいてもお分かりのように、今展でも変わらず美しい黒釉やなまこ釉の各種の仕事がご覧いただけます。どうぞお出かけの上ご覧下さい。
2019年10月16日水曜日
民映研「越後奥三面」上映会ご報告
10月12日の午後1時。福岡市中心部から歩いて10分ほどの処に位置する、「アイレフ」8階視聴覚室で、34年ぶりに民映研の記録映画「越後奥三面」(1984年制作)上映会を開催する事が出来ました。東京から二人のゲスト、民映研カメラマンの伊藤碩男(いとうみつお)氏とグループ現代プロデューサー川井田博幸(かわいだひろゆき)氏を迎えて、本編上映が2時間半。その後休憩を挟んで、川井田さんが聞き手になり、伊藤さんが越後奥三面に関わる興味ふかい話を中心に1時間ほど話をして下さいました。
右端が川井田さん、ネクタイ姿が伊藤さん |
当日、受付を担当してくれた女性NさんYさんと井上夫妻そして私の五人を含めて、40人ほどの人が熱心に映画を見、話を聞いて下さいました。 前日、夕食をご一緒しながら伺ったお話を含め、伊藤さんの記憶は驚くほど正確で、その多様な記憶の引き出しの引き出し方次第では、まだまだ面白いお話を伺う事が出来そうです。来年もまた、という声もどこからか聞こえてきて、世話をした私どもも大満足のうちに終えた映画上映会でした。
2019年10月15日火曜日
2019年9月30日月曜日
愉しい一夜
今回、二年ぶりで八女展が無事に開催出来ました。準備日の20日は、すでに秋祭り初日の前日でもあり、福島八幡境内や会場前に屋台の設置準備が進んでいて、小雨もパラつく中、会場(高橋宏家土蔵)への設置機材搬入が滞りなく運ぶか心配しましたが、テキ屋のお兄さんがたにもお手伝い頂き、無事に終了。
午後から夕方に掛けて、遠く山口県から手伝いに来て下さった中村順子さんはじめ、秋祭り見物で八女滞在中の水町純夫妻や奥さんのメラニーの母上のカリーン、また、21日から3日間「朝日屋酒店」で子供の本の出張販売の為に八女滞在中の井上良子さん等が準備を手伝って下さり、大助かりでした。百子手製の夕飯とワイン4本、また親切な大家さん提供の繁升の銘酒などで盛り上がり、九時頃には朝日屋の高橋さんも参加、久しぶりに遅くまで愉しい一夜を過ごしました。
2019年9月28日土曜日
第3回「喜びのたね命のかて展」が始まりました
2019年9月18日水曜日
民映研「越後奥三面」福岡上映会のお知らせ
©️民族文化映像研究所 |
民族文化映像研究所(通称 民映研)1984年制作の記録映画「越後奥三面」の、34年ぶりになる福岡上映会のご案内です。1985年に仲間数人(福岡生活学校)で手掛けた初めての民映研「越後奥三面」上映会は、今考えると無謀で、恐ろしく高いハードルを越えないと実現出来ないような困難なものでした。
例えば、当時の上映は16ミリフィルムによるもので、賃貸料も10万円程。見たいと思えば、大きな会場を借り人を集める事でしか、自身も見る事が出来なかったのです。また、上映会場によっては16ミリ映写機を自分達が廻さなければならない場合に備え、その夏、世話人二人が「16ミリ映写機操作認可証」を得るため講習会に参加。会場も市の中心部に近い500人収容の市民センターホールを借り、友人の協力で立派なチラシを作ったりもして、懸命に情宣活動に励んでみるものの、一向に入場者数の見通しが立たぬまま日が過ぎて行くばかりでした。
例えば、当時の上映は16ミリフィルムによるもので、賃貸料も10万円程。見たいと思えば、大きな会場を借り人を集める事でしか、自身も見る事が出来なかったのです。また、上映会場によっては16ミリ映写機を自分達が廻さなければならない場合に備え、その夏、世話人二人が「16ミリ映写機操作認可証」を得るため講習会に参加。会場も市の中心部に近い500人収容の市民センターホールを借り、友人の協力で立派なチラシを作ったりもして、懸命に情宣活動に励んでみるものの、一向に入場者数の見通しが立たぬまま日が過ぎて行くばかりでした。
そんな折、当時、毎日新聞西部本社学芸部記者であった東さんが、写真入りの囲み記事を上映会前日の夕刊に書いてくださり、そのおかげで、その日の午後4時を過ぎる頃から、私の店にさかんに問い合わせの電話が入り始めたのです。当日は、地元民放の朝のラジオ番組に民映件所長の姫田忠義氏が電話出演して下さったりして、蓋を開けて見ると、なんと450人近くの入場者でほぼ満席の大盛況だったのです。
この時の貯金で、以後約20年、細々と上映会を続けてきた訳ですが、参加者が先細りで赤字続きになり、全作品上映が叶わぬまま断念、終了となった訳です。以下、内容が重複しますが、2014年に八女で「越後奥三面」を見た後に書いたブログの再掲載、そして今回上映会のチラシの原稿です。色の薄いゴチック体がブログの、濃い方がチラシの文章です。
上映会前日、毎日新聞夕刊の文化欄に当時、学芸部の記者であった東さんが書いて下さった写真入りの紹介記事、そして当日朝の民放のラジオ番組に民映研所長の姫田さんが電話取材という形で出演して下さった事もあっての事か、福岡と北九州の二会場を併せると600人程の方々がこの映画を見て下さり世話人一同、胸をなで下ろしました。その同じ映画を、昨年11月に改めて八女で見、その後1月に「椿山(つばやま)」4月に「奥会津の木地師」など、計4本の民映研の映画を見て感じたのは、初めて「奥三面」を見た当時の私達が考えていた(私が考えたがった)様に、それらの映画が「声高に時代を告発する」為の(社会正義的)映画では実はなく、「記録」という作業を通して、地域や時代を超えた「人の暮らしのあり方そのもの」を問う視点の深さを持つものである、事にようやく気がつかされました。それが、単純に見る側である私自身の年齢の所為なのか、過ぎて来た時間の中で様々な経験(学習)をして来た結果によるものか、それは判りません。
以下、略。
1985年福岡初上映の折、30代半ばであった私はこの映画を、いつの時代にも人の世にある理不尽な出来事に対する「告発」の映画としての側面のみを見ようとしていた様に思います。ところが、2014年11月に「八女 民映研の映画をみる会」で30年ぶりに「越後奥三面」を見た時、この映画が、これまで私が理解していた浅薄で皮相な見方よりも、はるかに深く長い射程を持つ「まなざし」に貫かれた記録映画である事に気が付きました。いつ観ても、その「時代」またその時々の「私」を映す鏡としての映像表現であって、或る地域や或る時代をフィルムの中に固定化し、閉じ込めただけの記録ではなかったのです。どの時代にも開かれているという意味で、優れた文学や音楽、美術などの「古典」と呼ばれる作品群が人に対して持つのと同じ意味(価値)を持つ表現、と言って良いかもしれません。
さて、福岡では34年ぶりになる今回の「越後奥三面」上映会では、ゲストとして、この映画のみならず民映研の多くのフィルムにカメラマンとして参加、活動を続けて来た伊藤硯男(いとうみつお)氏をお迎えして、撮影中のエピソードなどを交えた三面の事や、御自身もその一人である創立メンバーの姫田忠義氏(故人)や小泉修吉氏(故人)の事等々、広くお話しを聞かせて頂く予定です。皆さまふるってご参加下さい。参加のお申し込みは、092−552−1651(井上)か 092−526−0662(川口)迄。
さて、福岡では34年ぶりになる今回の「越後奥三面」上映会では、ゲストとして、この映画のみならず民映研の多くのフィルムにカメラマンとして参加、活動を続けて来た伊藤硯男(いとうみつお)氏をお迎えして、撮影中のエピソードなどを交えた三面の事や、御自身もその一人である創立メンバーの姫田忠義氏(故人)や小泉修吉氏(故人)の事等々、広くお話しを聞かせて頂く予定です。皆さまふるってご参加下さい。参加のお申し込みは、092−552−1651(井上)か 092−526−0662(川口)迄。
2019年8月26日月曜日
「第3回 喜びのたね命のかて展」
芹沢銈介 型染うちわ絵のご案内
ここしばらく雨模様の日が続いて涼しく、秋の気配が強く感じられる今日この頃です。皆様にはいかがお過ごしでしょうか。
ご機嫌をお伺い申し上げます。
さて、9月になれば毎年23日の秋分の日前後に催される、八女・福島八幡の秋祭りが楽しみに待たれる処です。昨年は、諸処の事情で開催できず寂しい思いをしました。今年はまた高橋宏家の土蔵を拝借して、9月21日から25日までの日程で八女に参ります。その後、福岡のあまねや工藝店に会場を移して、9月28日から10月13日までの二週間、皆様を会場でお待ちしております。
今展は先の2回の催事でご紹介した柚木沙弥郎の師匠である染色家
芹沢銈介の「うちわ絵」を中心に型絵紙染の諸作をご紹介する展観です。この「うちわ絵」、間口の広い芹沢の諸作の中では、どちらかと言えば小さな作品群ですが、実に多様多彩な表現がなされた領域の仕事で、ぜひ皆様方に見て頂きたくご案内申しあげます。