2016年5月1日日曜日

あった事会った人 13


「あった事会った人 12」を書いてから四ヶ月。すでに、一年の三分の一が過ぎてしまいました。そこで、ここ数ヶ月の出来事やその中で出会った人などの事を、メモ(独り言の様なものなので、読みにくいところは御容赦)を頼りに書いてみます。さて、昨年の12月辺りまで暖かな日が続いて、このまま春になるかと思いきや、1月24日に大雪が降り、その後数日は近年にない寒さの為にあちこちで水道管が凍結。寒さの為の断水は初めて経験しました。その月の30日から2月第3週まで、10年ぶりの「森信也クロッキー展」を開催。

線の上から着彩したクロッキー2点

3月も20日過ぎから桜の蕾が膨らみ始め、店の向かいの“山口さんち”の桜をはじめ、自宅傍の百年池のほとりの山桜、そして森向うの坂本の部落や太宰府政庁跡の様々な桜が目を楽しませてくれました。

百年池傍の山桜
太宰府政庁跡の桜

一方、店の仕事もこの頃から忙しくなり始め、4月の「柴田展」DM用の撮影やら版下作りが始まりました。4月2週目の土曜日9日から始まる「柴田展」を前にして、4月7日木曜日には唐津の基幸庵で9日から始まる「西川展」の為の「もの並べ」で唐津泊まり。
翌朝、昼過ぎ到着予定の柴田さん親子を迎える為に福岡へ。

基幸庵の「西川展」
「柴田展」準備中

「柴田展」を17日に終えた後、「八女 • 柴田展」“もの並べ”の為
18日午後3時過ぎに「朝日屋酒店」へ。14、15日と続いた熊本地震の後も止まない余震を考えて、展示を「地震対策展示」に。
午後11時頃帰宅。翌19日は、5月初めに予定していた催事キャンセルの為、「振替催事」の撮影に「スタジオ フィデル」へ。昼過ぎに撮影完了。そのまま、「N印刷」で版下作成、夕方校了。23日出来上がりの予定を聞いて、20日早朝、新幹線で京都「せんきた工藝店」で開催予定の「版と型の仕事展」の“もの並べ”へ。夕方終了後、そのまま東京へ。21日は準備日で休養日のつもりだったのだけれど、駒場の「日本民藝館」で開催中の「朝鮮工藝の美」を見て、帰りに3年ぶりで自由が丘の「岩立フォークテキスタイルミュージアム」へ。井の頭線から東横線に乗り換えるのに、延々と歩かされてうんざり。帰りは、地下鉄を乗り継いで旧友Fの待つ「お茶の水」へ。新宿に廻り吉田秀和の本二冊を購入。探していた本なので嬉しかった。

八女 • 柴田展
京都 • 版と型の仕事展

22日朝6年ぶりの東北へ。桜が満開の盛岡で4カ所を訪ね、それぞれ懐かしい顔に再会後、新幹線で南下。午後7時半最寄り駅「栗駒高原駅」到着。栗駒の鈴木君の自宅へ、同君とは5年ぶり。市内で夕食をしたため、酒盛りの為の買い物。その後、午後11時頃から飲み始めて、結局午前4時頃まで話す。翌朝、未だ咲く前の山桜を眺め、鶯があちこちで鳴き交わすのを聞きながら、土産に持って来た「横澤のパン」と、最近の私の楽しみ「自家追焙煎の珈琲」に目玉焼き、自家製野菜などで朝食。あっという間に時間が過ぎる。
昼近くの新幹線で、20年ぶりの益子へ。


夜は囲炉裏を焚いてくれました
自作の杯と丹波の徳利
室内からの眺め
連休中の催事を控えて、屋根の修理中でした
盛岡では満開だった桜も此処の山桜はこれから

出発が遅れた為に予定していたバスに乗り遅れ、結局、宇都宮から二駅先の「石橋」まで、大塚誠一君に迎えに来てもらう事に。益子まで18km程。途中、道具屋に寄ったりした後、同君の仕事場、140年続くと言う「大誠窯」へ。同君は柴田さんの弟子時代、私の店に来た事があり、その縁で今回お訪ねした次第。仕事場と作品をいろいろ見せてもらう。ここは大きな登窯で仕事をしている、関東周辺の産地としては珍しい窯だ。5年前の大震災の時に、益子の諸処の窯は大きな被害を受けたと聞いているけれど、ここもまた窯がつぶれ築き直したとか。夜は旧知の「南窓窯」石川雅一氏の自邸へ。奥様の美味しい手料理でこの日もまた帰りが12時を過ぎる。

翌朝、約40年ぶりの「益子参考館」へ。建物や展示品に大震災のときの傷が残るのを見て、今回の熊本地震で大きな被害を出した「熊本国際民藝館」を想う。日本(世界)で唯一残る「外村展示」も失われてしまった。参考館の展示品の中に、「世界の民芸」(1972年朝日新聞社 刊)に納められている品を見ると、何か懐かしい気がする。喫茶用の椅子なども良いものが多数。その後市内の道具屋に行き、昼食も食べて、再度大塚君の自宅へ。この人は、無類の物好きで、自宅に古いものを並べる専用の部屋まであるのだ。3時過ぎまでそうやって過ごし、また「石橋」の駅まで送ってもらう。今日の目的地は、「湘南新宿ライン」で1時間半程先の「浦和」だ。今年11月に10年ぶりで開催予定の、「R • ゴーマン個展」の為の作品選びが目的。選品後町へ。浦和で泊めてもらうつもりだったけれど、翌日の予定を考えると東京の長男のアパートへ帰った方が良さそうな気がして、駅傍の「フレンチ居酒屋」で柳沢さんと飲みかつ食べて、お別れした。


益子参考館から本館へのアプローチ
益子参考館、色の違う石は修理された処
喫茶室の椅子二種
大誠窯の登窯
大塚君の仕事
大塚君の持ち物、現代の沖縄の南蛮の徳利
浦和のフレンチ居酒屋で食事の後、何故撮ったのか?

25日は昼過ぎに、なじみの横浜 K 舎へ。帰りに雑司ヶ谷の染色家•名取敏雄さんを訪ねる。6年ぶり。以前と変わらず、素朴で率直な人柄で私の好きな人。21日からの催事、或は来年度の催事用に、いまある仕事のほとんどすべてを見せてもらう。出前のお寿司を御馳走になりお土産をもらって、同行のモトちゃんと良い機嫌で帰る。26日は休養日、とは言っても昼過ぎから街に出て、F君と待ち合わせて新宿を歩き、帰りに新中野の「S」でピザを肴にワインを1本。
翌27日は、昼頃Aさんと待ち合わせ笹塚の「つるとかめ」に入居中のYさんのお見舞い。土産の最中を美味しそうに食べて下さった。その後、目白で「坂田」と「モンサカタ」へ。次に、朝、土産を買いに行った吉祥寺に行く途中の電車で広告を見た「MIYAKE  ISSEY 展」を見るために、六本木の新国立美術館へ。私は初めてのところ。


会場近くに泳ぐ鯉のぼり

会場は二階で、18年前に四国 • 坂出の「猪熊弦一郎現代美術館」で見て以来の、三宅一生の展覧会だ。中身は実に刺激的で面白かった。作品は40年程前から今のものまで。洋服から始まり、表現として(結果的に)洋服と云うジャンルを超えてしまった様な仕事。興奮して外に出てみると、隣りの部屋に「国展」の文字が見えたので、中の人に聞くと「国展工藝部」の会場は三階だとか。(なんと!今日が初日だったのだ)三階に上ると、会場入口に福岡の「柴田展」初日の前日に、わざわざ来てくれた北九州の阿部さんと熊本 • ふもと窯の井上君の顔。
井上君から入場券を貰って中に入る。広々と明るいところに、あれこれのジャンルの作品が並ぶ。見終わった後、外が透けて見えるエレベーターで下る途中、どうも大澤美樹子さんらしい顔が2階の喫茶に見える。もう一度、二階に上り見るとやはり大澤さん。同席の三人の方々には申し訳なかったけれど、あれこれの話を30分程。ほんとにびっくりした。翌28日、再度京都に寄り、今日が最終日のGの「わの会」へ。いろいろと買い物をして、夜8時過ぎ、新幹線で約10日ぶりの博多へ。これでおしまい、長々とお退屈様!

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