本日までの予定で八女伝統工芸館に於いて開催されている、“国武絣を追う 展”に行って来ました。旧知のSさんから、パンフレットやチラシと共に丁寧な御案内の手紙を頂戴した為です。その“国武絣”という名を、私は初めて聞きました。パンフレットによれば、八女市の国武地区で200年前に生まれた牛島ノシによって考案された小絣の技法の一つで、「織締」と云う技法により、ミリ単位のごく細かい絣糸によって織られた小柄の絣、の事だそうです。技法としては、久留米絣のほか大島紬にも受け継がれているのだとか。
地元・久留米では“文人絣”とも呼ばれるこの“国武絣”を見て、思い出した事があります。仕事を始めて間がない頃ですから、おそらく30年近く前の事でしょう。伊予絣の屑糸を利用して織機(はた)に掛け、普段着用に使う“みじん絣”の一種を織っている、愛媛県の海沿いにある小さな町の仕事場を訪ねた事があります。会場に並べられている“国武絣”が、この“みじん絣”にそっくりでした。この“みじん絣”、染めはひどいものでしたが、数反を購入して送って貰った事があります。その町を訪ねるについては、松山から八幡浜行きのバスに乗って延々と行き、帰りは松山に引き返さず、八幡浜から別府行きの夜行のフェリー(今はもうないでしょうが、夜乗って朝早く別府港に着いた覚えがありますから、たぶん夜行フェリーだった筈。乗り場は、裸電球が一つぶら下がっているだけの寂しい所でした)に乗って、福岡に戻った覚えがあります。忘れていたそんな記憶を呼び覚ましてくれた、今日の“国武絣”展でした。
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