2011年12月31日土曜日
百子の花日記 149
除夜の鐘を聞きながら新年のお雑煮の支度をしています。ラジオから聞こえる紅白はsmapの歌でしめくくられます。今年は赤の勝ちでした。今,蛍の光も流れました。今年はいろいろな自然災害に見舞われました。でも皆、痛みを分かち合い助けあって立ち上がっています。
年末に花好きの友達から、ハーブの花束を頂きました。メキシコの足付きタンブラーに入れて、ゆずりはを添えてテーブルに飾りました。
あけましておめでとうございます。
今年も楽しく過ごし、花を愛でたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ここ10日間ほどの出来事
12月19日から3日間。2年ぶりになる英国からのお客様、静子・ヒューズさんを我家にお迎えし、楽しい時を過ごしました。写真は、私どもにも初めてだった「板付遺跡」にて。こまかい事は省きますが、来年12月の静子さんの来日時に、B・リーチの「陶工の本」とM・カーデューの「書名不明の本」の、それぞれ一部を英語で読む計画を立て、参加者を募って一日か二日読書会を開くつもりです。テキストの「A Potter's Book」は現在品切れ中ですが、読書会までには何とか間に合わせるつもりです。皆様、ふるって御参加下さい。
25日は2番目の孫娘・実輪の2歳の、27日は娘の31歳の、そして明けて1月2日は上の孫娘・沙夜の4歳の、それぞれ誕生日です。昨年は、家族でオーストラリアに出掛けて祝いました。今年は3人の誕生日を祝って、イチゴのケーキを作りました。
29日は帰省した長男夫婦と共に,洋食屋「S」で食事をしました。当日のメニューを見ると、なんとX'masディナーのメインの一皿であった「フランス産ほろほろ鳥のパイ包み」とスープの一皿「広島産牡蠣のロワイヤル」が有るではありませんか。X'masディナーに参加したYさんから素晴らしいメニュー構成だったと聞かされていた事も有り、それぞれを頼む事にしました。あとで聞いたら、かの「パイ包み」はメインのメニュー用に4つだけ用意したものだったそうで、それを我々家族が注文した事が嬉しかったとの事で、前菜の皿にフォアグラのムース(これもX'masディナーの一品)がサービスで添えられていました。その後、皆で記念写真を撮り帰宅。年末の楽しい思い出になりました。
今年は大変な一年でしたが,どうぞ皆様よいお年をお迎え下さい。
2011年12月30日金曜日
百子の花日記 146
百子の花日記 145
2011年12月28日水曜日
酒とお茶の日々
8年ほど前から月に一回の割で、茶の稽古を続けています。4年前から先生が自宅に来て下さる様になって、怠け者の私どもでも御稽古が続けられる体制が整い、細々とですがなんとか続ける事が出来ているのです。さて、この3・4日、私にとっては初めての茶会参加、更には本格的な茶室での“点茶”体験、と初めて尽くしが続きました。今回はその事を書いてみます。
25日のクリスマス当日。小郡“雀居”での“夜咄茶会(よばなしちゃかい)”に、前崎鼎之さんから声を掛けて頂き、出掛けました。約束の時間、5時30分に会場に到着。道に面した会場の“雀居”入口には篝火が焚かれ、軒下には「懸釜」と書かれた提灯が下がっています。室内に入ると、左手が待ち合いで、そこの壁にはロシア正教の「三手のマリア」と名付けられた“イコン(聖像画)”が掛けられています。手前の床には鋳物の黒い燭台に朱の蝋燭が点され、ある雰囲気を作り出しています。ご亭主によると、本日の茶会は“聖誕祭”にちなんだ趣向である故だとか。ここで白湯を頂き、茶会の始まりを待ちます。しばらくの後、彼方此方に丈の低い行灯の灯りを見ながら、正客の前崎鼎之さんの持つ和蠟燭を点した手燭を先頭に、次客以下3人が連なり(雁行)続きます。正客から順に、躙り口から茶室の中へ。床(白隠禅師の書なるものが掛けられていました)や御道具を拝見の後、まず“前茶”なるものを頂きました。二個の茶碗の中に、二人分の御薄が手早く点てられ頂きます。その後、朝鮮風(鶏龍山の徳利等に付いているワラビ紋の様な模様)の茶碗に“濃茶”が点てられ、正客以下順に頂きました。炭手前も拝見したのですが、それがどの後であったかよく覚えていません。そして,点心をお酒と共に頂戴した後に中立ち。表の腰掛け待ち合いでしばらく過ごした後、再びお茶室へ。床の軸は巻き上げられ、聖誕祭らしく縁が金色のスリランカの団扇が掛けられています。それらを,燭台や灯明の灯りで拝見しつつ、薄茶を頂きます。最後に“雀居”のご亭主が御挨拶に出て来られ、楽しい“夜咄茶会”は終了しました。写真の上から3枚目までが“夜咄茶会”の模様。写真を撮るためにフラッシュを使いましたから明るく映っていますが、本来は写真2枚目の暗さ・雰囲気です。
その翌日の26日。正月2日に予定されている、佐賀地方の“年取り”と“正月茶会”の予行演習を兼ねて、久留米の熊井邸へ。立派なお茶室はこれまで見るだけだったのですが、炉に炭を入れ釜を使って、先生のEさんに教えて頂きながらですが、薄茶を点てました。その後のお酒も含め,まことに楽しい「酒とお茶の日々」でした。
2011年12月26日月曜日
2011年12月25日日曜日
百子の花日記 143
2011年12月18日日曜日
百子の花日記 142
季節外れの菫とホウセンカが咲きました。ホウセンカは10月頃から花をつけ、今は種も出来つつあります。バスハイクで高千穂に行った折り、天岩戸神社の社務所にことわって貰った種をバラバラとポットに播いたのをすっかり忘れていたのです。突然、20センチほどに育ち、ちょっと色っぽい花を付けました。12月に入って急に寒くなりましたから、パチンとはじける種は出来るかどうか、わかりません。
高速自動車道を日田で降りて小鹿田に向かい15分位走ると、道路と川に挟まれた家があります。小さな畑と庭にこざっぱりと手が入っていて、小鹿田に行く時はこの御宅を見るのが楽しみでした。四季折々沢山の花があり、特に夏のホウセンカは道路まではみ出して咲き、とてもきれいでした。でも、ここ1・2年庭は荒れ、どうも人が住んでいない様に見えます。御病気か,引っ越しなさったか。あのこざっぱりした庭は見ることが出来なくなりました。
2011年12月13日火曜日
百子の花日記 141
和紙の原料として有名なのは、楮、三椏、雁皮です。その中で、披針形(ひしんけい)の葉が白っぽく縁取りされた様に見え、ラッパ型の花をつける雁皮を図鑑で見て、「欲しいな!」と思いました。
三年前の事、久留米の緑化センターで沖縄産の雁皮を見つけました。初めて見る苗木にドキドキしたのを覚えています。黄色の小さな花と思っていたのは、実は花びらでなく、退化した4枚のガクなのです。でも、ここでは私はそれを“花”と呼びますね。そのラッパ型の花と縦長の実が今年も付き始めました。本州の物は5月頃に花が咲きます。我家のは11月から12月で、今は青い実が5個ついています。沖縄産ですから、寒さが厳しくなると家の中に取り込みます。はじめ苗は1本と思っていたのですが、植え直してみると3本あり、うち1本は枯れてしまいました。移植は難しいのかもしれません。植物を植える時、3本一緒に植える事があります。それらはお互いに切磋琢磨して、成長が促されるのだそうです。2本の株はまだ小さいのですが、すこしづつ成長しています。雁皮は、1メートル位まで成長する樹なのだそうです。大事に育てたいと思います。