2011年7月31日日曜日
本日のお客様 その2
7月30日。女子美術大学の進学説明会のため急遽来福が決まった、大澤美樹子さんが午後3時過ぎ、実に13年ぶりに来店。節電の為、あまねや工藝店は未だ空調機の元電源を入れていず、店内が外部並みに暑いので、すぐに冷凍庫でよく冷えた保冷剤をお渡しし、涼をとって頂きました。(ちなみに、当店では来て下さった方に、よく冷えた水の提供と保冷剤の貸し出しサービスを行っています、ご用命下さい)
何故か、その前後はお客様が多くバタバタしてしまいましたが、市販の大半の「手拭い」が実はプリント(模様に裏表あり)である事や(私が好きで使っている手拭いも、実はプリントである事が判明)、「注染」の事などをお客様に的確に説明して下さったりして、大助かりでした。
さて、今日は夕方から大澤さんを囲んで、友人数人と私ども夫婦で食事をする事になっています。最初は季節柄、博多区に在る有名な「うなぎや」に行くつもりでいましたが、土曜日でもあり予約が取れなかったので、近所の「洋食屋 S」に行く事にしました。それが、料理好きの大澤さんにとっては、大正解だったのです。食後、メニューにある、前菜の中のラタトゥーユや茄子のポタージュ、更に S のカレー、そしてデザートの桃のコンポートにジュレの作り方まで、詳しく聞いて、頭の中にメモしていらっしゃいました。それを聞かれたS君も、丁寧にその美味しさの秘密の一端を開陳。自分の仕事に関して、本当に自信がある人なのだなァーと、改めて思いました。愉しい一夜でした。
2011年7月28日木曜日
2011年7月26日火曜日
百子の花日記 111
2011年7月24日日曜日
“b・tanぬぐい展”が始まりました
一昨日お知らせした、“第3回 フィリピンの手仕事展”と同時開催で、女子美「b・tanぬぐい」プロジェクトの展示を始めました。
これは、女子美術大学工藝科教授の大澤美樹子氏が担当教授として女子美で行われた、文部科学省の「質の高い教育プログラム」に認定されたプロジェクトです。大澤美樹子氏は、かつて2度の個展をあまねや工藝店で行った経緯があり、その御縁で今回の展示が実現したものです。一昨日は、2階の「フィリピンの手仕事展」の品を並べるのに手一杯で、ようやく今日の夕方、あれこれの愉しい仕事を1階の“のぞき”を中心に並べる事が出来ました。皆様方に、御案内申し上げます。
次に、案内のチラシの文章を掲載いたします。
あまねや工藝店で2度の個展を行った、染色家で女子美術大学工藝科教授の大澤美樹子氏が、担当教授として学生を指導した女子美の「b・tanぬぐい」は、文部科学省の「質の高い教育プログラム」に認定されたプロジェクトです。今回、その「b・tanぬぐい」の活動が、NHK教育TV「素敵にハンドメイド」8月号テキストに8頁にわたって特集が組まれ、全国に紹介される事になりました。手拭を染める際に使う日本の伝統染色法「注染(ちゅうせん)」を、美大で製作しているのは女子美が唯一です。これを生かした「b・tanぬぐい」プロジェクトは、美大生デザインの手拭製品と、僅かな事で製品にならず陽の目を見ないb反手拭を、若いセンスで新しい小物によみがえらせた製品作りを行っています。このたび、あまねや工藝店で其の「b・tanぬぐい」製品を、暑い夏の期間限定で皆様に見て頂く事になりました。特に、20種に近い学生デザインのオリジナル手拭は、色合いが何とも美しく皆様に是非ご覧頂きたい品のひとつです。お出掛けをお待ち申し上げます。
2011年7月22日金曜日
フィリピンの手仕事展が始まります
明日7月23日から8月28日まで、3回目になる「フィリピンの手仕事展」が始まります。2回目の1999年からだと、12年にもなるのですね!早いものです。でも実のところ、5年前の2006年に、倉敷民藝館の特設ギャラリーに於いて、“山本まつよ蒐集による フィリピンの手仕事展”と名付けて企画をし、遠くの友人達を含め、ずいぶん沢山の方々に見に来て頂いた事が有ります。私には忘れられない思い出です。それから数えても5年。比較的最近、私どものお客様になって頂いた若い方々にとっては初めての、まとめて見て頂くフィリピンの工藝品の数々です。お楽しみいただければ幸いです。
ただ、催事の期間が一月を超える長さですので、開店時間を12時から19時までに、そして日曜日は開けますが会期中の月曜日はお休み。更に、8月13日から15日のお盆休みを頂戴いたします。ご注意下さい。次に、チラシの案内文を掲載いたします。
季刊「子どもと本」の出版や“子どもの本のセミナー”を通して、子どもの本の質を40年近くの永きに渡って問い続けて来られた「子ども文庫の会」の山本まつよ氏は、戦後まもなく疎開先であった倉敷で、倉敷民藝館設立前後の外村吉之介氏(初代館長)と出会い、民藝の世界に眼を開かれます。その後、友人の招きで訪れたフィリピンのマニラで、彼地の手仕事の品々を目にして、それらを日本に招来。以後自ら設立した「ナヨン」を通じて、それらの品を日本に紹介して来られました。
当店で催事としてそれらの品々を並べ、初めて皆さんに見て頂いたのは1981年、あまねや工藝店開店から2年目の9月の事でした。
その時から、小さな会を幾度か繰り返した後、フィリピンの織布や籠類は、あまねや工藝店の店内になくてはならない品の一つになっています。そんな会の中でも、2006年の秋、ほぼ40年にわたって続けて来られた山本まつよ氏のフィリピン工藝収集品の中から大・小およそ300点程の品を選び、倉敷民藝館の特別展示室に並べて皆さんに見て頂いた展覧会は、企画をした私にとっても忘れられない思い出の一つになっています。それから5年。今回、新しく選び直したものも含め、改めてフィリピンの手仕事の数々を皆様方に見て頂く事を思い立ちました。残念ながら、これまでの催事の時の様に、山本さん御自身に直接フィリピンのお話を伺う事はかないませんが、2006年の倉敷民藝館に於ける催事の際に用意された、山本さんの挨拶文を代わりに皆様にお目にかけるつもりです。どうぞお出掛け下さい。
2011年7月12日火曜日
BANGALOW日記 6
2011年7月11日月曜日
「第85回 国展・福岡展」を見て
7月2日、土曜日。福岡市美術館で開催されている「第85回 国展・福岡展」を見に行きました。以前、北九州市美術館で行われた「国展」開催の折りに、展示の手伝いに出掛けて以来ですから、福岡で見るのは20数年振りという事になります。公募展を見に行く機会があまりない私にとって、今回の公募展見物(?)はまことに強烈な体験でした。その事をお話ししてみます。
会場に足を踏み入れますと、通常は「企画展」の時に使われる、奥の広い展示室に絵画や彫刻・版画を、そして手前の少しこじんまりした展示室に工藝部門の作品と写真が並べられています。ここで、工藝部門の仕事の印象を述べる前に、絵画の並ぶ部屋を見た時の事を先にお話ししましょう。絵が並べてある部屋は美術館の展示室ですから、私達の馴染んでいる一般的な部屋に比べれば、あたり前ですが天井は高く(たぶん4〜5m位)また広いのです。その部屋の壁一面、上から下まで、右も左も、前も後ろも(たぶん大半が150号とか200号の)巨大な画面(あたりまえですが、それぞれ違う表現の)を持つ作品で埋め尽くされていて、圧巻と言えば圧巻ですが、並んでいる絵画のそれぞれが見ているこちらに向かって、思い切り大きな声で叫んでいる様な印象を持ちました。どうやら、この会場で必要とされているのは、作品を通じて見ている人に“自分の声”を届けると言うより、他の作家に負けない様に、他より大きな身振りや声で、自分の存在をアピールする事が優先されている様にしか、私には見えませんでした。
以前、私に公募展の出品作が大きな画面である事の理由を教えてくれた友人がいます(大きい方が、作家の力量がはっきりとそこに現れる)が、個々の作品の優劣(あるいは好き嫌いと言えば良いのでしょうか)はともかくとして、こんな形の展覧会で並んでいる絵をじっくりと見て、その絵を好きになる人が果たしているのでしょうか。
そもそも、これらの作品自体、表現の向こう側に自分と同じ人間(絵を見る人、あるいはその表現を受容する人)を想定して描かれているのかどうかすら、私にはわかりません。こんな私の見方自体が、あまりに素朴で雑駁に過ぎるのでしょうか。
さて、工藝部門の作品の印象ですが、絵画部門に比べると小さな部屋二室に、染織りが8割程、他の陶磁・木工・ガラスが2割くらいに見える感じで並んでいました。絵画に比べれば、実用と云う“くくり”があるだけ、見え方は破天荒でもなく、うるさい感じもしませんでした。ただ残念ながら、そこに並んでいる様々な作品の中に、大きな説得力を感じさせるものを見つけるのが、私には難しかった事を告白しなければなりません。何故でしょうか。此処でも領域こそ違え、絵画の並ぶ部屋と同じく“大きな作品(例えば、陶器ですと尺五寸位の皿)”が目につきます。大きなものと小さなものが並んでいると、どうしても大きなものが“物理的に”目立ちます。ですから、自分自身の作家としての技術的、感覚的力量を反映させた上で、具体的な形を持つ工藝品として表現する為には、大きな作品の方が“他”(これが一体誰なのか、それが問題でしょうが)に対して説得力を持ちやすい、と考える事に矛盾はない様に見えます。でも、たとえば意匠違いの湯呑みが10個とか、八寸皿が5枚とか、そんな見ている方が想像する事で、日常の暮らしにつなげやすい出品作(入選作)が、工藝部門であればこそ、あって欲しい気がしました。
それからもう一言。会員の方々には余計なお世話でしょうが、工藝部門に於ける今年の様々な受賞作の中で、最高賞に当たる“国画賞”に選ばれていた“チェスト”の受賞は、私にはどうしても納得のいかないものでした。旧知のKさんにお尋ねしたところ、その年の出品作中、作品として圧倒的な説得力を持つものが選ばれる訳では必ずしもなく、これがまた面妖というか、団体に縁のない私にはとても理解出来ない、一種“政治的な”駆け引きの様な事で決まるのだそうで、この事自体、私にとって俄には信じ難い事でした。ここにもまた作者や“表現”を蝕む現実が、顔を覗かせているのでした。
2011年7月10日日曜日
百子の花日記 110
百子の花日記 109(番外編)
娘のお膳立てで、オーストラリア・バンガローの娘の家族に会いに行きました。あちらは冬。寒い日は2・3日でしたが、それでも毎日夕方には冷え込んで、夜は薪ストーブを焚きます。孫娘達は半年会わないうちにずいぶん成長して、特に次女の実輪ベアトリス(一歳半)は、“アゲイン”と言ったり、“みてて、みてて”(バレエで踊る様な姿で)“もうちょっと”、と英語・日本語を取り混ぜて話をし、嫌な事ははっきり“いや”と意思表示をするしっかりした子に育っていました。
沙夜マチルダは三歳半。反抗期まっただ中で、自分の思い通りにならないと泣きますが、上手に自分をコントロールしている優しい子でもあります。私は英語が話せないので、沙夜が通訳をしてくれたりして、ずいぶん成長しているなーと思いました。