2010年12月28日火曜日
バンガローにて 6
ずっと向こうは南極!
今日は、こちらに来て初めてお日様が臨めそうなお天気だという事で、朝からバイロンベイの浜に出掛ける事になりました。家族だけで10人の大所帯ですから、移動も大変です。浜についてみると風が強く日も出ている訳ではないので、私は海に入りませんでした。その後、昨日行かなかったバイロンベイの灯台にも行きました。見晴らしの利く場所から南をみると、感無量。なんといっても、ずっーと向こうは南極ですからね。
バンガローにて 5
12月27日。今日は娘の30回目の誕生日ですが、相変わらずのひどい雨降りです。結局、会場を外から室内に移してやる事になりました。テーブルを3つ用意して、そこに18人分の食器とカトラリーを用意しました。その後モーガンに頼まれて、お祝いのボードを私が書く事になりました。そのうち三々五々人が集まり始め、飲んだり食べたりが始まって娘の30回目の誕生日のパーティーが始まりました。皆が持ち寄った食材(細君の作った生ハムや、前の晩から準備したサラダ。そして、ご近所のドムが作ったローストした肉や、彼の細君ジョージア製のバースデーケーキ等)、そしてシャンペンやビールなどでお腹が一杯になりました。余興で細君の歌、また私とデヴォンの歌でお開きになり、私共も宿に帰り寝てしまいました。夕方6時頃、誰かがドアを叩く音で眼を覚ますと娘で、「これからバイロンベイの海に行こう」と言うのです。晴天でもなく、また時刻も(私たちの常識では)遅いのですが、出掛けてみるとまだまだ浜には人の影もあり、ほぼ10年ぶりの海の感触を楽しみました。楽しい一日になりました。
2010年12月26日日曜日
バンガローにて 4
根岸のおばあさん
今年の7月初めにあったばかりの孫娘達ですが、6ヶ月と云う時間の経過は彼女達(特に実輪)に大きな変化をもたらしていました。
実輪はもう少しで歩き出す時期で、いまは盛んにハイハイをし、また正座を上手にしたりして、まわりの大人達をなごませています。
そして、自分が母親から叱られたときの言葉「めっ!」を上手に使って、私達を笑わせてくれます。上の孫娘・沙夜はじき3歳、自我の形成期でもあり難しい年齢に差しかかっています。さて、幼女と老女がすごく近い(E・ファージョン「ムギと王様」の中の「ねんねこはおどる」のお話の中に、それが巧く書きとめられています)とは良く言われる処ですが、実輪も髪をあげ正座をしたりしていたりすると、まるで東京の下町にいるお婆さんそっくりに見える事があります。そんな彼女を、私はひそかに「根岸のお婆さん」と呼んでいるのです。
バンガローにて 3
私たちが滞在しているバンガローの町、および娘の自宅周辺のご紹介をしてみましょう。自宅前は広い公園(の様なもの。Show Groundと云う表示がありました。でも、私にはそれがどんなものかわかりません)に臨んでいて、そこに大きなユーカリの樹や樹齢が数百年はありそうな樟の樹が立っていたり、また馬場やかつてのポロの競技場跡があったりする極めて環境の良いところです。少し歩くと小さな川があり、水辺にはタロイモの大きな葉が茂っている所もあり、見飽きる事がありません。散歩の折に、クッカバラ(笑いカワセミ)を見つけたので、声を録音して皆さんにご紹介しようと何度か試みたのですがうまく行きません。それでは、またお便りします。
2010年12月25日土曜日
バンガローにて 2
時間は少し戻りますが、23日と24日は続けて二つのFarmers Marketに行きました。23日はバンガローから5、6Kmの処にあるバイロンベイの、24日は地元バンガローのものです。23日の朝、出掛けてみますと公園のような場所に、仮設のテントがたくさん並び、思い思いに野菜やパン・果物、はちみつ等を売っています。市の中頃には、少女の3人組(どうやら、市に店を出している農家の娘達のアルバイトらしい)が前に帽子を置いて、クリスマスの歌を歌っています。3人だから三重唱という訳でもなく、メロディーを3人が歌っているだけのもので、はっきり言えば「へたくそ」ですが(マー、御祝儀なのでしょう)、前の帽子にはけっこうお金が入るのです。オーストラリア人の、“鷹揚な優しさ”を感じました。24日の市は(滞在している家の目と鼻の先にある)普段は駐車場になっている場所に、仮設のテントが10張りくらい並び、おもに野菜や肉等を売っていました。感心したのは、入り口にたくさんの花びらが撒いてあった事です。規模は小さいですが、日本では経験出来にくい事でした。
バンガローにて 1
22日にバンガローに到着して以来、ほんのわずかな時間お陽様がのぞいただけで、バンガローはずっと雨模様です。真夏のオーストラリアに来たつもりが、梅雨の日本に逆戻りしたみたいな陽気なのです。昨日のクリスマスイブなど、大雨でバンガローのメインストリート
(といっても、200メートルたらずの)が通行止め(実は、単に歩行者天国で通行止めになっていた事が後に判明!)になるくらい雨が降りました。今日は聖誕祭であり、また下の孫娘・実輪の誕生日でもあります。娘のいつき(12月27日)と上の孫娘・沙夜(1月2日)の誕生日が近い事もあり、自宅近くにあるモーガンの新しい事務所のバルコニーを会場に、ダイアン(モーガンの母親)手作りのクリスマスプディングとバースデイケーキで、3人の誕生日と聖誕祭を祝いました。チャールズ・ディケンズの小説などで名前だけは知っていた、(一般的な日本人にとっては馴染みの薄い)クリスマスプディング(カスタードクリーム添え)を初めて食べました。暖かい事をのぞけば、友人のIさんが作る「ダークフルーツケーキ」そっくりです。ほかにダイアン手製のハムやアプリコットのチャツネ(ハムに添えて食べる)、そして私たちが宿で作ったリンゴのサラダ(砕いたピーナッツ入り)などを食べた後、クリスマスの歌・数曲を歌い楽しみました。
2010年12月22日水曜日
夏のオーストラリアから
昨21日、慌ただしく日本を発って、夏のオーストラリアにやって来ました。私は2年半ぶり、細君は沙夜の誕生以来ですから、ほぼ3年ぶりです。昨年9月に、娘一家がシドニーからバンガローに移ってきてからは、初めての訪問になります。最寄りの空港は、シドニーからゴールドコーストになりました。日本でのゴールドコーストはよく知られた大観光地ですから、どんなに大きな空港かと思ってやってきましたら、意外なことに日本の小さな地方空港並のこじんまりしたものでした。手続きを済ませて表に出ますと、沙夜と娘が待っていてくれました。空港からバンガローまでは約80キロ、小一時間の旅程です。昨夜、私はジェット音の響くエコノミー席でよく寝られませんでしたから、ようやくたどり着いた娘の家で夕方までぐっすり眠ってしまいました。
居間には、近づいた聖誕祭のためのクリスマスツリー(オーストラリアには樅の木がないのか、松の木でした)と、娘手作りの大きなフェルト製の靴下が用意されていました。
明日は、朝8時からバイロンベイで開かれる産直市を見学した後、沙夜の通う「ローズコテッジ」のフェスティバルに参加することになっています。
またお便りします。
2010年12月19日日曜日
師走の長崎「けやき」へ
新年を迎えるまで10日あまりになった今日、今年最後の小鹿田・新作展準備(物ならべ)のため、師走の長崎へバスで出掛けました。
本来なら16日に小鹿田に車で入り、17日に窯出しされたばかりの品を積んで、長崎へ向かう予定だったのです。
ところが、16日の朝、目を覚まして外を見ると、なんと今年初めての雪が盛大に降っているではありませんか。急いで小鹿田に電話を掛けてみると案の定、小鹿田でもひどい雪降りとの事。これでは、車で小鹿田に行く事は出来ませんし、小鹿田から荷物を出す事も出来ません。そこで相談の結果、初日を1日か2日遅らせて貰う事にして、荷物は急遽トラック便で送る事にしました。その荷物が昨日会場に到着している筈なので、長崎に出向いたと云う訳です。
さて会場の「けやき」は、長崎駅前から市電で15分程。昭和町通の電停からすぐの中園町にある、カフェを兼ねたカレーを食べさせるお店です。地下1階にギャラリーがあり、そこが会場になっています。
さほど広くはない会場の壁際に棚と、部屋の中央に大きなテーブルがあります。そこに、昨夜のうちに荷解きされた300点ほどの小鹿田の焼物が、とりあえずと云った様子で並べてありました。
4時間ほど掛けて、それを並べ換えました。古いものがお好きなご主人のSさんなので、店のあちこちにインドを始めアジア各国の染織品や籠類、また李朝の木工品や焼物、民画などが飾られており、それらの邪魔をしないよう列べるのは案外大変でした。
32年近く前の事。当時万屋町(よろずやまち)で喫茶店を始めて間がないSさんをお訪ねし、「あまねや工藝店」を始めるについて、いろいろと相談に乗って頂いた事があります。通りに面して幾つかの窓がきってあり、カウンターの奥には管球式のアンプが据えてあって、つながれたスピーカーからはジャズが流れている、そんなしゃれた雰囲気のお店でした。お店の一角に民藝品を並べたコーナーが作ってあって、物が好きな人なのだと云う事が私にもわかりました。 25年程前に宮城県・鳴子の沢口滋さんを福岡にお招きして、漆器の展覧会と講演会を催したときの事です。Sさんにお願いして、長崎でも同様の展示会・講演会をやって頂いた事があります。私は車の免許を取って間もない頃でしたが、沢口さんと木曾の佐藤阡朗さんを車に乗せ、漆器も積んで背振の山を越え、長崎まで車で往復したのです。
いま考えれば「なんと大胆な!」と恐ろしくなりますが、山道のS字のカーブを大きく対向車線にはみ出しながら、へとへとになって、でもなんとか無事に長崎まで辿り着いたのを覚えています。
その時、九州の山は標高が800メートル位までは、杉の植林がすすんでいてつまらないと思った事。そして当時、今泉の店舗裏の自宅に隣接する6畳一間で倉庫代わりの部屋に、沢口さん・佐藤さんの御二人に泊まって頂いた事。またその時、台所に据えた畳半畳ほどのガス給湯式簡易風呂(湯船の上に洗い場を兼ねた蓋がしつらえてあるもの)に入ってもらい、びっくりされた事などと共に、忘れられない思い出です。脱線が、ついつい長くなりました。Sさんに催事を引き受けて頂いたのが、その時に次いで2回目だと云う事を、皆さんにお伝えしたかっただけなのです。
2010年12月13日月曜日
休日の過ごし方
「抱き人形展」が無事に終わり、今日はのんびり休日の予定だったのですが、百子の「花生け」の生徒さん方3人が、我家の薮庭で花材を調達し自分で捌いて花生けをする、と云う新しい課題に挑戦する為に、昼少し前に訪ねて見える事になっています。私は、お昼に「お好み焼き」を作る係になっている事もあり、少し早めに起きて掃除から始めました。皆さんは、予定通りの時間に到着。あいにくの雨でしたが、長靴や合羽の身支度をして薮庭へ。玄関で捌き、客間が臨時の教室になって早速「花生け」です。花器は我家にある様々な道具類ですが、紅葉した葉などを使い、それなりに上手く収まっていました。時々、賑やかな笑い声も聞こえて、皆さんとても楽しそうでした。
終わった後、皆さん持ち寄りのお料理などと合わせて、「お好み焼き」を食べました。評判も上々で、胸をなで下ろしました。久し振りの楽しい休日になりました。