2010年8月6日金曜日
28年前の“学びの”夏
1982年8月6日。その当時の西市民センターの一室で、東京から講師の山本まつよさんを迎えて、第1回「子ども文庫の会」初級セミナーを開きました。前年の’81年に、あまねや工藝店の催事として行った「フィリピンの手」 展で、講演会講師として御招きした山本さんの、フィリピンの手仕事に関する講演を聴いた友人5、6人が、その講演会の折の話だけを手掛りに、セミナーの世話人を引き受けてくれたうえ、人集めから会の実務に至るまでを手伝ってくれたおかげで実現したものです。
つまるところ、それは何故だったのか?想像するしかありませんが、植民地としての長い歴史を持ち、また島の数が7000余りとも言われるフィリピンの、そこに暮らす人達と暮らしの中から生まれて来る健やかで多様な工藝品に対する山本さん御自身の“敬意”が、ありありと伝わって来る様な講演会の話の中に、山本さんの“人となり”を見極めての事だったのでしょう。そしてまた、世話人各々が、これから本を読み始めようと云う年齢の幼児を持つ、若い親であった事が決定的だったのかもしれません。しかし、人集めは大変でした。何より大変だったのは、誘う側の私達もその“セミナー”を聞いた経験がない事です。当時、発刊されて間がない「子どもと本」の福岡近辺の読者リストを送って貰ったり、同じ年頃の子を持つ友人、知人に声を掛けたりして、35人程の参加者を集め、なんとか開催にこぎつけました。
セミナーは3日間。一日に2コマづつで、「絵本」から始まり、「わらべうた」、「詩」、「日本の昔話」、「西洋の昔話」、最後が「ファンタジー」の順に進んで行きました。
山本さんによれば、大人である私達にとって一番わかりにくいのが、絵本なのだとか。それは子どもと違い、私たち大人が絵本を判断する場合、それが名の通った作者の描いたものであるとか、有名な出版社から出版されているものであるとか、およそ絵本の良し悪しとは直接関係がない“知識”や“自らの思い入れ”あるいは“一種の感傷”に依存していて、ひどく観念的であるからなのだそうです。まずは、参加者が持ち寄った絵本を一冊ずつ読みながら、この本のどこを良いと思ったか、駄目だとすればそれはどうしてか、皆で検討を加えていきます。
自らを省みて、正直にお話し致しますが、このとき皆の前で自分の考えを話す事で自身に問われているのは、皆の前で間違った事を言いはしないか、あるいは講師に突っ込まれて答えられなかったら恥ずかしいとか、そんな自分の中にある“けちな自尊心”をどう克服するか、にひとえに掛かっています。これを守ろうとすれば、“何も言わない”と云う選択しかありません。
事実、セミナー開催中に講師の山本さんから意見を求められても、みな黙ってしまって何の意見も出て来ない事が度々でした。目の前に差し出された問題を前にして、立ちすくんでしまう自らの情けなさ。
“子どもの本”を読もうと思えば、お互い裸になって、正直に(これが難しいのです)考えた事、感じた事を話すしかない、とも言われました。子どもの様には読めないとすれば、われわれ大人は評価の定まった本を一冊一冊丁寧に読んでいくしかありません。
つまづき転びながら、3日間のセミナーを終えて身の内に残ったのは、知らない事を教えてもらえた充実感と云うより、一種の“強い風”に自らを吹き倒された様な気持ちの良さでした。その後、セミナー自体を続けていく為、われわれ世話人の周囲への働きかけを、傍で見ていた山本さんから、「福岡には、子どもの本を読みに来ているのであって、社会運動をしに来ている訳ではありません。」と釘を刺されたり、様々な事がありました。数年後、熊本で同じ様にセミナーが始まり、また年に1回であった福岡でのセミナーが3回に増えたりしながら、雨の日にも大風の日にも休まず、25年続きました。
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