2009年7月1日水曜日

30年目の御挨拶




1979年7月1日、福岡・今泉の地に最初の店を構えてから30年。大きな失敗もせずに、これまでの日々をなんとか無事に過ごして来る事が出来ました。バブルのあおりによる立ち退きで、’90年10月に現在地の平尾に店を移してからは、物を売り続ける事を生業にした難しさを痛感させられる事になりましたが、また同時に、店の2階を利用して小さな催事を定期的に続ける事や、映画会・講演会等を自前の場所で出来る喜びを知る事にもなりました。その間、物を作る立場の皆さんの協力、あるいは買う事で私の仕事を支えて下さったお客樣方や友人達に多くを負ってきました。そして今は亡き母クニ、妻の百子(ももこ)を始めとする家族の協力なしには、これほどの長い時間
“あまねや工藝店”を続ける事は出来ませんでした。
あらためて、家族の皆をはじめ皆様方に御礼申し上げます。
有難うございました。

1972年の春休み、博多に帰る途中に偶然立ち寄った倉敷民藝館で、倉敷民藝館の初代館長・外村吉之介(とのむら きちのすけ)先生と出会った事が、私に民藝の世界の扉を開いてくれました。その後の偶然も重なり、先生のお許しを頂いて、私はその年のひと夏を倉敷民藝館で臨時職員として過ごす事になります。
夏休みの50日を過ごした倉敷の町を去る前の或る夜の事、先生のお供をして出掛けた岡山から帰るタクシーの中での私の問い、「私だけこんなに幸せで良いものでしょうか?」に対する先生の答え、「その喜びを人と分かちあったらどうでしょう。」に出会いました。
牧師でいらした先生の、いかにもキリスト者らしい見事な答えです。この言葉が、その後の私を支える事になり、また“あまねや工藝店”の指針ともなりました。
’70年安保以後の時代の趨勢の中で、外の社会(私にとっては“世界”と同義語でした)の何処にも自分の拠り所を見出す事が出来ず、ぬるま湯の様な(実は非常に恵まれた)環境の中で生き悩んでいた私にとって、この真夏の文字通り“暑い”50日の経験ほど具体的で充実したものはなかったのです。
70歳を過ぎてなお、自分の中に或る“確信”を持ちながら仕事を続けておられる先生は、ケチな自尊心に悩み、自分の居場所を探し続けていた私に“思想”を生きる人の姿を、はっきりと目の前に見せて下さったのでした。この後6年ほど臨時職員として倉敷民藝館でお世話になり、私の徒弟修業時代が終わります。

店を始めた当初は工芸に関わる立場の中で、唯一みずからに残された
“売り手”という立場に馴染めず、自分の中の“挫折感”の様なものを払拭出来ずにいました。しかし,2年3年と仕事を続けるうち、どうやら自身の“思い込み”とはうらはらに,私自身人と話をする事が好きであるらしい事,そして好きになれなかったこの“売り手”という立場が実は自分に向いている、というより自分に“用意された場所”ではないかと思えるようになって来たのです。これはその後の様々な人々との出会いを通じて、自分の中で強い“確信”に変わります。
こうして、“あまねや工藝店”での私の30年が過ぎて行きました。

                    

2 件のコメント:

  1. 30周年、おめでとうございます。

    次の30年をどうしていくのか、これからいっしょに考えていきましょう。

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  2. congrats!!
    We are so happy for you and very proud.

    much love.

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