2010年10月4日月曜日

盗作と模倣について



数年前の事。ある公募展で「文部大臣賞」を授与された絵画が、現存するイタリア人画家の作品そっくりだとして、全国紙数紙に写真入りで大きく報じられた 事があります。覚えておいでの方もあると思います。その写真を見る限りでは、モチーフといい構図や色彩まで、なるほどそっくりです。その折りの、この日本人 画家の釈明は「イタリア人画家を深く尊敬しているので、結果として似てしまった」云々。これが、言い訳けとして認められる筈もないのは自明の事です。一人の人間が、与えられた能力と時間を駆使して生み出した “ 表現 ” に、“ 自分の看板 ” を掛けて私し、またそうする事で、自身の利益を求める事。これはどう考えても、私には犯罪としか思えません。

ところで、画学生の教育法の中に、古今の名作を自らの手で模写する事によって、空間構成や構図また色彩などを学ぶ方法が有るのは、広く知られています。書で云う「古典」の臨書 も、また同じ狙いからでありましょう。工藝の世界でも、まず真似る処から始まるとはよく言われるところです。民藝の世界で大家(たいか)と呼ばれている作家達も、李朝の “ 呉須三段重函 ” やイギリスの “ スリップウェア ” などを手本に写し、東京・駒場の日本民藝館に作品を残してい ます。河井寛次郎・濱田庄司の二人共にこの三段重函を写していますし、河井はスリップを象嵌の技法に置き換えて、表現したりもしています。そして、それは私の見るところ、見事に河井の 仕事になりおおせています。
濱田もスリップの仕事をやってみてはいるものの、一連の大皿の “ 流し掛けの仕事 ” へ舵(かじ)を切り、自分の仕事を発見しています。

ここで、後に「彼らがスリップウェアの仕事をやらなくなったのは何故か?」を考えてみるのは、興味深い事です。思うに(たぶん)スリップの技法そのものが 、“ 意匠 ” として余りにも魅力的で強力すぎる事、したがって何をどうやっても上手な真似にしかならない事、であれば作家としての表現をそこに重ねにくい事 などが考えられます。
一方で、焼物を仕事にする人間にとって、このスリップが意匠としてどんなに魅力的であるかを示す出来事(事件)が顕著になったのは、 2004年「芸術新潮4月号」紙上に、丹波の陶芸家・柴田雅章氏が永年の研究と努力の成果である、“ スリップの技法 ” を発表してからです。以後数年、ス リップの技法に基づく出品作が、公募展の中に異常に多くなったと聞きました。そして、今もその影響は続いています。

さて、工芸の世界がまず模倣から始まるとは 言っても、「これは、あんまりだ!」と思う仕事が大手を振ってまかり通っているのが、最近の「民藝」の世界です。その 代表格が、九州地方のある伝統的な窯のA君の仕事です。3ヶ月程前にも、全国誌「ブルータス」に(特集タイトルが “ 民芸とミヤゲモノ ” と言う面妖なものでした)大 きく 取り上げられたりしていて、A君の仕事が、あたかも公に認知された仕事の様に見えます。罪が深いのは、このB誌に代表される一部のメディアと、A君の仕事 を買い続ける民芸店、そしてそれを許容する(と云うより、何も言わない) 日本民藝館や地元の民藝協会でしょう。

丹波の柴田さんが作る焼物の “ そっくり さん ” で有名なA君の仕事ですが、柴田さんが生み出した “ スリップウェアの意匠 ” だけでなく柴田さんのポットも、あるいは鳥取の山本教行さんの珈琲カップの形と意匠( 一昨年、人吉の魚座民藝店で見て山本さんの若い頃の仕 事だと思い、私も見事に騙されました )まで真似ていて、ここまで来ると、厚かましくも見事なものです。300年先には個人の名前は残りませんから、将来の民藝 の世界( 残っていたとして )では、むしろ “ 良い 仕事の見本 ” として取沙汰されるかもしれません。皮肉なものです。

しかし、いやしくも民藝の世界で仕事をしようとする人間であれば、浜田庄司が「生きている作家の真似はするな!古い仕事に学べ!」と云い残している言葉を、深く己の肝に銘じ常に反芻すべきでしょう。
昨年、東京でお会いした時にA君の仕事を評して、「危険信号」と言っていた柴田さん、これはもう立派な「赤信号」ではありませんか? 

2016年3月18日 追記。昨年のオリンピックエンブレムの盗作問題を機に、私のこのブログを見て下さる方の数が増えました。そこで、前から気になっていた文章に少し手を入れました。

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